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平成ゴキブリ大戦争!

 ある夏の夜。

 深夜のインターネット巡回を終えた亜美は飲みかけのコーヒーカップを持ち、タッタッタと2階のリビングへと上がって行った。
 古い家に育った人は”2階にリビングが何であるんだ?”と思うかもしれないが、最近は日当たり具合などにより、1階よりも2階にリビングを作った方が快適になることが多いらしく、平成の世となってからは更に、2階にリビングがある家も決して珍しくは無い。

 「さーて寝ようかな。ととと、忘れてた。お風呂場の窓を閉めないと」

 湿気が籠もってしまう事もあるので、お風呂に入った後は一定時間窓を開けておく約束になっているのである。風呂場の湯気が抜けきっている事を確認してから窓を閉める。「さーて寝よう」と後ろを振り返った時、背後に黒い影が見えた。

 「きゃああああ」

 ゴキブリ。ゴキブリだ!!!
 今・確かに・ゴキブリが出た!!!

 腰を抜かしかけながらも、水滴で滑る足下を支えて必死に逃げる。
 慌ててリビングに立ち戻り、中性のコンパクト洗剤を手に取る。理由は昼間のワイドショーで確かゴキブリにはこれが一番効くと言っていたからである。

 「やっつけてやる!!!」

 勇ましく風呂場に戻り、コンパクト洗剤を振り回す。しかしゴキブリのスピードの方が早い!振り回しても振り回してもなかなかゴキブリにあたらないのである。しかしゴキブリは社会の敵である。許す訳にはいかない。

 「五月蠅いぞお前。何やっているんだ」

 亜美の大騒ぎに、旦那の敦が2階へとやってきた。

 敦の顔を見てようやく我に返る亜美。冷静に辺りを見回すと辺りは透明色の洗剤だらけのとんでもない状態になってしまっている。ゴキブリの姿はもう無い。油断した隙にどこかへ逃げて行ってしまったようである。

 「あのね、ゴキブリが、ゴキブリが居たのよ。それでねやっつけようと思って…」
 
 右手に持っているコンパクト洗剤を恥ずかしそうに隠す。しかし当然隠しきれる物では無い。

 「分かったから、ちゃんと後水流しとけよ。今度からゴキブリが出たら俺を呼べ。いいか洗剤なんてもう二度と撒くんじゃない」
 「はい…」

 敵が去った後の戦場を寂しく一人で綺麗にする。思いの外簡単にコンパクト洗剤は水に流れない。泡の塊を必死でシャワーで流しながら、亜美は屈辱にまみれ苦悩していた。

 「負けない。私は絶対に負けないのよ!」

 亜美はその日の夜は眠れなかった。
 そして翌朝の10時、近所の薬屋さんの開店と同時に怒濤の如く、店に飛び込んだのである。

 「これと、これと、これと…」

 21世紀になったとはいえ、人間対ゴキブリの対兵器の種類はあまり変わっていない様に思われた。具体的に言うと、待機型兵器”ゴキブリホイホイ”、”ゴキブリ団子”、そして攻撃型兵器”ゴキブリスプレー”である。

 「これ全部下さい!」
 「はい。少々お待ち下さい」
 
 朝の時間は客が少ないせいもあり、店員の動きもかなりノンビリしている。カゴ一杯の対ゴキブリ用品。その顔からは「一家庭の量としてはちょっと多すぎないか…」という言葉が伝わって来そうである。

 「昨日の夜出たのよ。でも引っ越してきたばかりで、何も置いて無くて、怖かったの」
 「そうですか。もうゴキブリが出てくる季節ですからね」
 「これだけあれば大丈夫ですよね。大丈夫ですよね。
  他にも何か良い商品はありますか?」

 「精神安定剤も買って行かれた方がいいかもしれませんよ」

 と言いたいのを店員は必死に堪え、試供品のキャンディをお釣りと共に亜美に渡した。糖は脳の唯一の栄養分。混乱している亜美を沈静化させるのに多少の効果があるのかもしれない。

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 家に戻った亜美は早速設置型のゴキブリホイホイとゴキブリ団子を設置した。
 ゴキブリホイホイが出回り始めた頃は組立をしなければ設置できなかったと思うが、最近のゴキブリホイホイはビニールから出して置くだけの気軽さである。

 これはおそらく対アメリカ輸出を考えての事だと思われる。ゴキブリホイホイが初めてアメリカに輸出された時、需要があるにも関わらずあまり売れなかった。理由はアメリカ人が上手にゴキブリホイホイを組み立てる事が出来なかったからだと言われている。

 「うー。こんなに細かい物を組み立てるなんて出来ないよ」
 「役にたたないわね」

 アメリカ人だけの笑い話の様だが、ゴキブリホイホイの世界にも標準化の波が広がって来ているようである。

 台所の水回りや昨日遭遇した風呂場回りにゴキブリホイホイをある限りどんどん設置する。ゴキブリホイホイもチョコレート味風、ミルク味風、などバリエーションも豊か。その次はゴキブリ団子である。これはその餌を食べたゴキブリが巣に戻り、死に、更にその死体を食べたゴキブリが死ぬという連鎖型の武器である。

 「中身は結局ホウ酸でしょ」

 小さい頃はタマネギとホウ酸を混ぜて良くゴキブリ団子を作った物だが、最近は既に完成した物が売られているからラクチンである。最後に最終兵器、ゴキブリスプレーをいつでも取り出せる場所に設置する。ノズル部分がピストル状になっており、これは効きそうである。

 「いつでもいらっしゃい!やっつけてやるから!!」

 亜美はすっかりやる気である。

 亜美の精神的ダメージ  80%
 現在の戦死者 ゴキブリ 0匹

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 ゴキブリのセバスチャンは今日も又夜の散歩を続けていた。

 「昨日はへんなおばさんに追いかけられて、気分悪かったなー。おい、キャサリンそっちの調子はどうだい」
 「全然問題なしよ。やっぱり私は水場が好き。今日も私はお風呂場で遊ぼうかと思うんだけどセバスチャンあなたは又リビングに行くの?」
 「ちょっとお腹がすいているんでな、じゃ、行ってくるよ」

 ゴキブリが一日生息するには一滴の水があれば良いと言われているが、一般的に水滴の豊富な場所で生活を行う事が好きな様である。風呂場の扉を抜け、セバスチャンは巣を抜け、勢い良くリビングへと向かう。時計の針は現在深夜の3時を指している。人間は既に寝てしまっている時間帯である。

 「オヤオヤ、今日は床にごちそうが落ちているじゃないか、これはイタダキだね」

 ぱくぱくっと一気にセバスチャンは床に落ちていた餌に食らいついた。
 味は悪くない。が、食べたとたん急に喉が乾いてきてしまった。「塩味が濃いのかな…」水場を探して歩き出そうとするが、体が動かない。「あれ?」とセバスチャンが思った次の瞬間、足が動かなくなり、体が床に倒れてしまった。

 「人間のトラップにやられてしまったか、くそー仲間に知らせなければ、うわわわわ、血液が!血液が乾燥していく!!!」

 他の仲間のゴキブリが助けに来る気配もない。助けに来た所で、ゴキブリは死んだとたんに仲間の餌となってしまう運命だから、「あ、死にかけてる、ま、いっか」位の感想を述べられた上、放置されるに決まっている。ゴキブリの世界に”協力”とか”介助”という物は存在しないのである。

 数時間後、セバスチャンはそのままの仰向けの姿で息を引き取った。

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 「やった!やっつけたわよ!!」

 朝、リビングにやって来た亜美は大喜びである。リビングの床に大型の黒いゴキブリが倒れている姿を目撃したからである。予定ではゴキブリは巣に戻って、それを食べたゴキブリが死滅する予定だが、なかなか予定通りにはいかなかったらしい。

 ゴキブリの死体から出た汁が染みないよう、念には念を入れ、ティッシュを10枚程取り出し、ゴキブリを包んだ後は、更に透明のビニール袋にそれを入れゴミバコへ。
 勿論、死んでいた所に消毒用アルコールを振りかける事も忘れない。

 翌日、翌々日と朝起きる度にリビングにはゴキブリの死体が転がっていた。大成功!亜美は喜びを隠せなかったが、ゴキブリは一匹居ると三十匹は居ると言われている生物。油断は出来ない。いや、しない方が良い。

 亜美の精神的ダメージ 70%(10%回復)
 現在の戦死者 ゴキブリ3匹

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 「セバスチャン、リッキー、そしてキャサリンもやられたわ。キャサリンは妊娠していたのよ!後1週間と少しで可愛い赤ちゃんが産まれたというのに」

 ゴキブリの妊娠期間は約3週間と言われている。

 一度の出産では種類にもよるが、大体20-30匹の子供が産まれるのが普通であるようである。そして生まれたゴキブリの赤ちゃんはあっという間に、約60日で生殖活動が行える程にまで成長する。人の赤ん坊が十月十日で生まれる事を考えると恐るべき成長スピードである。

 俗に”ゴキブリが一匹居たらその家には三〇匹のゴキブリが要る”と良く言うが、この数字理論的には色々と調べてみると、どうやらゴキブリの産卵数に起因するようである。

 「せめて卵鞘を落としていてくれれば…」
 「そうね、そうすれば子供だけでも助けることが出来たのに…」

 ゴキブリは卵が大量に含まれた卵鞘を産み落とす事により繁殖する。基本的に卵鞘は体から分離し、壁などに産み付ける事が多い為、卵鞘が成熟してしまえば、卵が孵る可能性は非常に高くなる。今回ルーシーは妊娠した直後直ぐ殺されてしまったようである。

 サムが悔しそうに触角を降ろす。現在生き残っているゴキブリは17匹。同じ卵鞘から生まれた兄弟である。

 「ルーシーも妊娠して居るんだろ。くれぐれも外に出るなよ」
 「わかってる。サムあなたの子供だから、大切に」
 
 サムはこのゴキブリのグループのリーダーである。

 ゴキブリは人やその他のほ乳類のように雄雌ペアになって生殖活動を行う種も居れば、ナメクジやカタツムリのようにメスのみで単性繁殖を行う種も居る。事繁殖に関してはかなりアバウトな生き物なのである。

 「しばらくは俺の糞でも食べていろ、おい、お前ら行くぞ!」
 
 ゴキブリは自分の糞は勿論、死体、自分が生んだ卵鞘さえも生きる為には容赦なく食い荒らす。現在ゴキブリの種類は全世界に4千種類と言われている。内人間の居る活動圏に生息しているのはたったの40種類に過ぎない。

 チャバネ、ワモン、ヤマト、黒ゴキブリなど日本で有名なのは4種ほどであろうか、良く物の例えに使われるが、繁殖範囲は全世界。良く物の例えに言われる言葉であるが、核兵器で人類が滅んでもゴキブリだけは生き残ると言われている。

 「あと2週間すれば新しい仲間が生まれる。頑張らないと」

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 「駄目だわ。今日も取れてない」

 ゴキブリ達が学習したのか、ゴキブリ団子による駆除は暗礁に乗り上げた。
 と思いきや全く取れなかったのでほったらかしになっていたゴキブリホイホイにゴキブリの幼虫が複数匹引っかかっていた。

 「繁殖してる?」

 ゴキブリは1年間に10回程卵鞘を産み落とし、総合計300ヶほど産卵する。亜美の恐怖は更に高まって来た。

 そしてその夜、またしても思いがけない所で恐怖の対面をしてしまうのである。
 深夜のビデオ鑑賞。軽くカクテルなどを飲みながら楽しい時間であるはずのその時。ガサゴソ・ガサゴソ・ゴキブリが亜美の前を横切ったのである。

 「出た!!!」

 亜美は表情を変えず、攻撃型兵器”ゴキブリスプレー”を取りにお風呂場へと走り込んだ。むんずとノズルの安全ピンを取り、容赦なく隅に隠れたゴキブリ目がけて振りかける。霧状の液がゴキブリに雨の如く降りかかった次の瞬間、ゴキブリはあっけなくコロッと腹を上にして動かなくなった。

 「え?もう死んだの?」

 昔のゴキブリスプレーはもっと振りかけないと効かなかった様な気が…外見は同じでも中身は相当昔に比べ進歩しているようである。ゴキブリが一般的に怖い理由は外見の怖さのみでなく、「なかなか死なない」点にあったかと思う。しかし今は違うのだ。対ゴキブリ兵器は恐るべきレベルにまで進歩していたのである。

 「これなら、怖くなくなるかも」

 丁寧に死んだゴキブリを片づけ、ゴキブリスプレーの粉末が飛んだフローリングの部分にも綺麗にウエットティッシュで拭き取る。これほどまでに効くと人間に対しても何らかの悪い効果があるのではと疑ってしまいたくなってしまう。

 「でも水場から離れているテレビの側にも居るなんて…やっぱり温かい所が好きなのかしら…念の為、ここにもゴキブリホイホイを設置しておくことにしましょう」
 
 結果、水場よりもテレビの裏の方がゴキブリはより捕獲される事になった。このルートはゴキブリの散歩コースなのであろうか???

 亜美の精神的ダメージ 55%(15%回復)
 現在の生存数 ゴキブリ 70匹(ルーシー・アマンダ・ティアラ・出産)

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 亜美は朝のワイドショーを見たり、調べる内に、ゴキブリを絶滅させるには、一匹・一匹退治するよりも、”ゴキブリが生活しにくい”環境を作る方が有効である事に気が付いた。

 「なるほどね、即実行しなくては」

 夕食が終わった後は、生ゴミは必ず蓋付きのゴミ箱に入れ、食料は机の上に置きっぱなしにしない。お風呂に入った後は必ず換気し、”洗濯乾燥機能”を1時間は動かして、風呂床を水滴だらけにしておかない。
 残念ながら効果は目に見えないが、確実な手応えの様な物を感じつつある亜美なのであった。

 では、ゴキブリ側はどうであったのであろうか

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 「ルーシー出産おめでとう。でも子供達は残念だけど…」
 「どんどん、敵のトラップに引っかかって命を落としているわ。何度も不用意に餌を食べないように教えているのだけれど、聞かないのよ」
 「小さい子はそうだよ。そういえばサムはどうしたい」
 「見回り中よ。それがどうしたの?」

 最古参ゴキブリの一人、ティンガーが言いにくそうな顔でルーシーの前で前足をさすっていた。先日ゴキブリホイホイに引っかかりそうになり、何とか直前で逃げ出す事が出来たのだが、その時関節を捻り、悪くしてしまったのである。曲がった関節が復活する事は無い。残念ながらティンガーはこの足を生きている間ずっと引きずる事になる。

 「それは丁度よかった。色々と考えたんだけど、俺とアマンダ。隣の家に引っ越そうと思うんだ」
 「どうして?生まれてからずっと一緒に仲良くやってきたんじゃない」

 気が付くとルーシーの後ろには、最近隣の家からやってきた年上ゴキブリのアマンダの姿が見えた。嘘か本当かは真実は不明であるが、本人が言うには何と昨年の冬を越えた!のだという。数々の家々を放浪し続けている旅ゴキブリとも言うべきゴキブリである。

 「アマンダが言うには、この家はどう考えても、”住み難い”家だと言うんだ。この隣の家は猫の餌が常に置きっぱなしで、水飲みの水も常に豊富に台所に置かれていると言うんだ。隣に移動するだけでこの環境の違いは大きいよ。
  大体、この家に居続ける理由も無いと思うけど」
 
 ルーシーは黙ってしまった。出産が終わってはや1週間、実はルーシーはまたしても妊娠してしまったのである。自分自身ティンガーに言われる迄も無くこの家に居続けない方が賢明である事は分かる。が、しかし動けないのである。

 「卵鞘が成熟したら、さっさと切り離して、ルーシーもここを離れると良い。更に隣の家はここよりも暖房が効いていて温かいそうだ。
  じゃ、俺はサムに見つかると、どやされそうだからこれで行くよ。じゃ」

 ティンガーと共にアマンダ、そして10匹を越えるゴキブリ達が振り向きもせず住処を後にして行った。ゴキブリにマーキングの習性はあるものの、帰巣本能は無い。彼らはもう二度とこの家に戻ってくる事は無いだろう。

 「私も判断しなくてはいけないかもしれないわね」

 朝が近づき、ボスゴキブリのサムが戻ってきた。
 いつもなら騒がしい住処が今日は不思議なほど静かである。妊娠し静養しているルーシーに理由を聞き、サムは触角を左右に振り回しながら怒り狂った。

 「俺に断りもなく10匹以上移住しただと!どうして止めなかったんだ」
 「それはあなたが一番良く知っているでしょ。この家は私たちにとって住み難い家になったのよ」
 「だからって、そう簡単に諦められるか!」
 「じゃあ、どうするつもりなのよ」
  
 ルーシーは貶すようにサムに迫った。
 ティンガーが移動した事が知れ渡った今、明日以降更に移動をするゴキブリの数は増えるであろう。それは例え産み落とした我が子であっても代わりはない。ゴキブリに母性本能や肉親を大切にする情など存在しないのだから。

 「最後にあのおばさんに目に物見せてやる。どうせ俺の寿命はあと少しだ。最後に目に物見せてやる!」
 「最後って…あんたまさか」
 
 気が付かなかった。
 今日住処に戻ってきたサムの動きがいつもよりも鈍くなってきている事を。

 この家に住んでいるゴキブリの殆どは多少の差はあってもゴキブリ団子の影響を受け、動きが鈍くなってきている。どうやら今日ついにサムは間違えてゴキブリ団子を口にしてしまったようなのである。

 「この体がどこまで動くか分からないが、まあお前が産む子供達が誇りに思えるような働きをしてみせるさ。ありがとう。お前はいい嫁だった。俺は誇りに思うよ」
 「あんた!」

 ひしっと抱き合う。回りのゴキブリは感動するでなく、サムの側を一人、一人と離れ始めた。間違ってもサムの死体を食べてはならないのだ。そうした場合最悪は自分にまで回ってくる事になる。

 「勝負は夕方だ」

 とりあえずサムは寝て体力を回復する心ずもりのようである。

 亜美の精神的ダメージ 50%(5%回復)
 現在の生存数 ゴキブリ 30匹(40匹移住。今後も移住数は増える見込み)

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 「さ、お風呂の掃除をしないと」

 ここ数ヶ月ゴキブリをお風呂場で見た事は無い。
 やはり”お風呂乾燥作戦”は効いた様である。ま、そもそもゴキブリ風情が人間様に逆らうのが間違いと言う物で…と思った亜美の手元に飛びかかってくる生物の姿が見えた。そう。あれはまさか

 「きゃあああああ」

 黒い羽をたなびかせ、鷹の如く亜美の手元に着地する。慌てて手を振り、振り落とし対ゴキブリ最終兵器”ゴキブリスプレー”を取りに走った。まだ逃げていないか??と慌てて振り落としたゴキブリを探す。いた。動きが鈍いのであっという間にスプレーをかけ動きを止める。サムの命をかけた神風アタックはこれで終わりであった。遺体はいつも通り、ティッシュにくるまれ、ビニールに入れられて捨てられる。
 明日はゴミの日だから、おそらく明後日には焼却炉にかけられ、羽の一枚も残らないほどの高温で燃やされ、この地上からサムが居たという痕跡は全て消えてなくなるはずである。

 「ああ、びっくりした。びっくりした」

 お風呂場の片隅から涙を流しながらルーシーとその子供達がそれを眺めていた。確かにサムは無駄死にをせず人間に対して攻撃を加え、勇ましく散っていったのである。これを子供達はきっと語り継いでいってくれるだろう。

 1週間後、卵鞘を無事産み落としたルーシーは、サムを習い、亜美の手に飛びつきダメージを与え散っていった。最後に子供達の顔を見て死にたかった。しかし段々気温が冷たくなって来るにつれ、体は機敏に動かなくなって来る。情に流れて機を逃してはいけないのである。

 「ママー。ママーいかないで!」
 「ぼくたち、どうしたらいいんだい!!!」
 「あたちたちを、だれがまもってくれるのー」
 
 部屋に響き渡る悲鳴。
 かくして亜美は更にゴキブリに対する恐怖心に襲われる事となったのである。 

 亜美の精神的ダメージ 60%(神風アタックにより悪化傾向。ゴキブリをあまり信じられなくなってきている)
 現在の生存数 ゴキブリ 40匹(ルーシー出産。しかし高齢出産なので卵数は伸びず)

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 季節は安息の冬を迎えた。

 この時期、大概の成虫ゴキブリは死を迎える。代替わりである。アマンダの様な長生きのゴキブリは冬眠して冬を越すこともあるようだが、それは本当に稀な例であるらしい。

 そうして、人間対ゴキブリの戦争も自然と休戦を迎える。

 現在、超音波を使用してゴキブリやその他ネズミなどを追い払う電子機器が売られているが、それらの効果については学術的にも全く根拠が無いようである。亜美も購入しとりあえず設置したが、効果については次の夏を待つしかない。

 又来年の夏に必ず始まるゴキブリ戦争に頭を悩ませつつ、減りつつある対ゴキブリ用品を過不足無く買い足す亜美なのであった。

 「勝つ!全滅させてやる!」

 ゴキブリを全滅させるのは、砂糖の粒の中に塩の粒を混ぜた後、それを分離させる事よりも難しいかもしれない。共存・共栄、数を減らす事位しかできない事に亜美が気が付くのは何時なのであろうか。
 今日も又、ゴキブリは深夜の家を闊歩している。

 「ママ、ちょっとこころぼそいけど ぼくたちがんばるよ!」

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 亜美の精神的ダメージ 30%(自然減少し、人の基準値まで回復)
 現在の生存者数 ゴキブリ25匹(成虫は全て死亡)

 おーい。結局最初から数が減ってないぞ!!!
 むしろ増えてないか???
 どっちが勝ったんだ???

 勝敗 来年へ持ち越し(判定)

 完

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