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バイオハザード外伝―純血種誕生―

じゃり・じゃり・じゃり・・・

静けさが漂う漆黒の闇の中。ジルとセリアは息を潜めながらも確実に一歩・一歩、汚泥の中を歩き続けていた。数分毎に辺りを見回してもその風景は全く変わらない。道の両側を全て同じ様な針葉樹が二人を隠すかのように乱雑に生い茂っていた。驚く程に緑が濃い。深緑色の絵の具をそのまま葉に振りかけたとしても、この様な色にはならないだろう。
「ペース早かったらいつでも言って」
「まだ、大丈夫です」
と言うセリアの息は切れている。極度の緊張と高い温度、湿度も合間って例え通常人であっても運動をするのには全く持って良い状態では無い。そしてセリアの着ている服装のデザインも機敏な動きをするには合っていない事も問題の一つである。くびれのない円筒形の白いワンピースの裾は無惨にも所々既に泥を跳ね上げ、ポツポツとバナナのスイートスポットのような黒い点々の染みが出来、汚れてしまっている。
研究室を抜け出して既に1時間は経過したであろうか、そろそろ逃げ出したのが警備員に発見されてもおかしくない時間である。
「発見されたら、ゾンビが道中に放たれる可能性があるわ。んんん。それよりも、もっと強いクリーチャーがハンターとしてあなたを追いかけて来るかも」
「覚悟しています」
セリアの返事に元気はない。今はもう必要最低限の内容しか返してこようとはしない。会ったばかりのジルをまだあまり信用していないから。というのもあるのだが、もっと先決の疲労の限界点がそろそろ近いようなのだ。もし、質問をして返事が返って来なかったら、多少危険でも一度休憩を取った方が良いだろう。それを見極める為にも、とにかくまめに話しかけるようにしよう・・・とジルが思った瞬間、遙か後方から犬の遠吠えのような非常警報用サイレンの音が聞こえてきた。
「実験体が脱出した模様。既に研究室を抜け逃亡を続けています。Cクラス防御態勢が実施されます。研究員は指定された避難場所に避難し、次の放送を待って下さい。繰り返します。Cクラス防御態勢が実施されます。研究員は・・・」
「見つかったわね。脱出地点まではまだ距離があるわ。急ぐわよ!」
「・・・」
急展開にジルは返事が無いことに気が付いて居ない。辺りに今まで感じなかった森の奥から人のけはいと異臭を感じる。ガシャーン・ガシャーンという檻が開くような音が道の奥の方から聞こえて来、聞こえては来ないはずなのに「うー・うー」と言ううめき声と腐りかけた足を引きずる「ずるっ、ずるっ」という音が聞こえて来るような気がした。
「来る!」
腰のホルダーに下げていたアメリカ軍の標準的制式拳銃であるM92Fカスタム、愛称ベレッタの檄鉄を上げ、いつでも発射が出来るように低く両腕を銃に添えた。装填弾数は15発、である。弾倉には専用の9*17mmパラペラム弾装填する。ベレッタの大きな特徴はとにかく扱いやすいことと、命中精度が良いことがあげられる。
ジルは”スターズ”に入った頃からオリジナルのベレッタではなく、スライド、バレルに手を加え、カスタム・グリップを装着した”サムライ・エッジ”というモデルを愛用している。手になじむ武器というのは時として自分の体と同様に感じる事があるから不思議である。銃から放たれた弾丸は自分の体の一部のように感じることが出来る。当たったのか、はずれたのか、致命傷であったのか、かすり傷であったのか。音と風の動き、返ってくる反動からジルは全て感じ、最適な行動をすることが出来る。この武器であれば、誰にも負けない自信があった。
「セリア・あなたは常に私の背中に!いい、何かが襲ってきたらとにかく頭を伏せて声を出して!」
「はい」
再び戻ったこの忌まわしい空間。その理由を知るには1ヶ月前の市警察特殊凶悪犯対策本部、通称”スターズ”事務局での会話を思い出さなくてはならない。
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「中国ですか?」
海外出張という話に少々浮かれていたジルも共産圏との話に少々緊張を感じずには居られなかった。アメリカからでは飛行機で20時間以上はかかるであろうか。7/4のアメリカの建国記念日を前にして、何故・今こんな時に
「昨年暮れ、中国国内で人体実験に関する情報を元に調査を進めていた所、我々はたまたま偶然、新たなアンブレラの研究施設を発見したのだ。まず、この衛星写真を見て欲しい」
偵察衛星からの写真。何やら白い建物とそれに続く小さな町、そしてそれらの町を串刺しにするかのような白い道のような建造物が見えた。蛇行する石で作られた古代の建造物。どこかで見た。どこかで見たことがあるような気がするー
「この白い道のようなものはもしかしたらジル、君も知っているかもしれない。”万里の長城”と呼ばれる世界的に有名な建造物だ。で、この建物をアップにした物がこちらの写真だ。人の姿などは無くカーテンがかかっているのが分かるだろう。衛星の撮影時刻があちらに知られて居る様で通常の監視ではどうしても実状を掴むことが出来なかったのだが・・・衛星のカメラの角度を無理やり変え、撮影時間をずらして撮った写真がこちらだ」
写真を見たとたんジルの体はビク・ビクっ反応した。連なるように黒々とした何かが写っている。これは・・・
「ゾ・ン・ビ・?」
低いジルの問いに部長は声も無く頷く。一度もゾンビを見たことが無い人には分からないであろうが、この不健康などす黒い質感、異様に曲がった首の角度、間違い無い。
「そして、ここだ。一番上の奥の部屋に金髪の少女が居るのが見えるだろう」
「はい」
「この少女は90%の確率で数年前我が国から誘拐された元アメリカ副大統領の娘である事が確認された。君もこの事件は知っているだろう」
「はい」
正確には4年前の事件である。当時の副大統領の娘が白昼堂々、何者かに自宅から連れ去られると言う大胆不敵とも言える事件がホワイトハウス脇の領事館において発生した。マスコミを含め大方の人間は、身の代金目当てでお金さえ支払えば無事少女は帰ってくるであろうと思っていた。が、しかし、1日、2日、1週間、そして3年経っても犯人からの連絡は全く無かった為、数百人単位で設置された対策本部は解散され、数人の専任ではない警察官が捜査にあたっていると風の噂に聞いているがー
「大統領命令だ。色々な条件を検討した結果、共産圏の国と揉めることなく数人の精鋭部隊による少女奪還が命令された。期限・方法等は問わない。ゾンビと実際戦い生き残ってきた君が捜索隊を統括し任に当たることを命令する」
「・・・嫌です」
とジルは即答したかった。何度も何度も立ち上がってくるゾンビと闘うあの恐怖は一度だけで十分である。が、命令拒否は永年誇りを持って続けてきた警察官の職を辞する事と直結する。返事をするまでの数秒間、意識しない内に目を大きく開き、薄く閉じ下を向いて悩んだ。唇もいつしか固く閉まっている。今なら断れる。しかし、それは・・・
「は・い」
「では、すぐ隊員の選別に入れ。必要な予算については事務のオータンに言ってくれればいい。慌てる事はない。時間をかけて構わない。”確実”に任務を果たしてくれたまえ」
言うのは簡単である。かくしてジルは少女奪還の任についた。少女の名前はセリア・ノートン誘拐された時は4歳となっているから、現在は8歳、通常であれば小学校2年生になっているはずである。この事件をきっかけとしてかセリアの両親は離婚し、父親は副大統領の職は辞した物の、相変わらず内閣の一翼として活躍し、母親は医者としてカリフォルニア州において開業医を行っているのだという。他に兄弟は居ない。特徴は金髪と足の裏にある黒子、二重の碧眼などがある。本当にどこにでも居る”アングロサクソン系の少女”といった印象である。この少女が何故このような国に拉致されることになったのか、その理由を探し、知ることも今回の任務を成功させるのに必要な条件であるのは間違いが無い。
「まず両親に会う必要場あるであろうし・・・装備、人選も・・・」
イメージトレーニングとして、ジルはセリアの写真を机の写真立ての上に飾ることにした。写真の年齢は4歳であるから、現在はこれとは違った容貌になっている可能性がある。しかしきっと会えば分かるはずである。いや、分からなくてはならないのである。
「心配ない。助ける」
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忌まわしい放送が終わり、数分が経過したろうか。ずるっ・ずるっ・という音が幻聴ではなく本当に耳の側まで近づいて来た。中国だからゾンビも人民服を着ているのだろうか、
「お姉さん後ろから」
「任せて!」
セリアは言われた通り声を出し、その場に頭を抱えて伏せた。良い子である。通常の人間であれば恐怖に足がすくみたったこれだけの動作が出来ない。ジルは泥を跳ね上げ、ベレッタを連射した。ゾンビは弾を避けることはまず無い。例え怖くても恐怖から体を曲げず、標的に対して確実に弾を複数発撃ち込む事が出来れば、勝負は終わる。
そして弾は4発ゾンビに当たり、その次の瞬間、どさっと鈍い音を立てて倒れた。
「洒落がきいていること」
ゾンビは予想していた黒い人民服でも葬式用の白い麻の着物でも無い、”キョンシー映画”等に出てきそうな、黒い法衣に金糸の糸を縫い込んだ物を着込んでいた。力無く折れ曲がった頭にはしっかり弁髪をつけた帽子をくくりつけられている。見た目が違うだけで中身は普通のゾンビと同じ様だ。ゾンビが倒れた胸の辺りからおそらく人間の部位として最後まで残った部分、”鮮血”が濡れた地面に染みわたった
「このまま立ち止まっているとどんどん他のゾンビが来る。一々倒していたら弾の無駄だから階段まで一気に走るわよ」
多勢に無勢は高い所から攻めた方がいい。ゾンビが倒れる様を見たセリアは頭を抱えた状態で止まってしまっている。さもありなん。実際にゾンビに囲まれた時に感じる異臭及び怖気は8歳の子供には強する。特に最後に流れる鮮血の汚臭は何度嗅いでも馴れる物では無い。
「がんばれ!階段を上り万里の長城にまでたどり着けば仲間が待っているから」
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今回の任務は”少女の救出”と”研究所の爆破”である。任務遂行の最善方法を考慮し、ジルが考えた作戦はこうである。
まず、部隊を3つに分ける。一つは救出部隊。目標の少女を確認し安全地帯まで連れていくのが主たる行動目標である。この部隊にはジルとアーガンが入ることになった。少女を確認後は同性であるジルが少女を先導する。アーガンは研究所に残り、爆薬を各所にセットし、ジルと少女が目標地点に達したのを確認後離脱し、爆破を行う。
当初の任務は”少女の救出”だけであったのだが、何故追加で”研究所の爆破”がついたのは現時点では不明である。アンブレラがおぞましい実験を行うのはいつものことであり、何故わざわざそれを破壊しなくてはならないのか、理解に苦しむ所であるが、任務は任務である。
「や−れやれ。ようやくパーティが始まった様だけど、どうしたものかね」
アーガンは研究所の中央に設置されたエレベーターの上に居た。ここであれば非常時も脱出が可能であるし、第一に見つかる可能性が低い。がやがやと研究員が上へ下へと移動した為少々エレベーター酔い気味である。どうやら研究員は全員地下室へ逃げた様である。放送が終わってから10分程でエレベーターは地下2階に完全停止した。
エレベーターを吊す綱を両手だけで伝い、上階へと移動する。設置するのは100gのプラスチック爆弾と雷管、タイマー回路だけである。タイマー回路はリモートでスタートさせる事が可能である。構成自体が単純であるためどんな狭い空間でも容易に設置が可能。アーガンは容赦無くエレベーターの壁にべたべたと爆弾を設置して行った。爆弾は一度誘爆すれば、この空間を共鳴胴にし、数倍の効果を生むことが出来、地階に集まった研究者達の足を完全に止められるはずである。
「じゃ、俺様もそろそろエンゲーリジ・ポイントへ移動することにしますかね」
エレベーターの1階の扉を両腕の力だけで開ける。固い。「ふん」と声をあげて腕に全腕力を集中させる。ずずずず・・・一度開いてしまえば、それ以降はさほど力は必要無い
開いた扉の数メートル先にはゾンビが数体待ちかまえていた。
「あわわわわ・・・」
アーガンは慌てて腰の銃を構えた。とにかく乱射である。
ババババババババババ・・・
あっという間に装填弾数の15発を全て撃ち終えてしまった。当然の事ながら開けたばかりの扉を伝ってエレベーターホール内に銃の音が膨張され辺り一帯に響き渡ってしまった。
「まずい、俺の進入がバレて・・・」
1階エレベーター入り口に設置されているテレビカメラが急にエレベーターホールの方向を向き、明らかにアーガーンの姿を捉えた。そして即放送がかかった。
「侵入者発見。侵入者発見。研究室1階エレベーター前に・・・」
アーガンは空になったベレッタを腰に戻し、背中に背負っていたベネリ M3Sを構えた。この銃は一つの弾が複数に分割する散弾銃である。バシュウと一発でテレビカメラが粉々に砕け散る。ついでにアーガンはすぐ側に見えたスピーカーも破壊する。もう一刻の猶予もない。即この研究所を抜け出さなければ自分の身も危ない!
先ほど作ったゾンビの死体の山を抜けアーガンは走った。すぐ前に見えた外部への入り口は完全に閉鎖されている。試しにベネリで鍵部分を打ち抜いてみたが効果はない。軍用の特殊鍵を使用して居るようだ。扉の鍵の部分には上部に玄武、下部に朱雀、右に青龍、左に白虎のパネルが埋め込める様になっている。
「鍵が無くては開かないのか?」
と思った次の瞬間、アーガンは背後下部に殺気を感じた。
「ギャフウウウウウウウウウ」
視線が下に落ちる。体長1M程のゾウガメが首を雄々しく振り上げ口を半開きに半透明の涎を垂らしている。目の色が赤い。充血している。どう見ても正常の状態では無い。「危険だ!」とアーガンが思った瞬間にゾウガメはその太い足でアーガン目がけて飛び込んできた。
「うあっ」
辛うじて皮膚一枚残して避けるも、その体勢を崩した状態で何か強い力に押されアーガンは壁へ吹き飛ばされた。1頭だけではない。どうやらこの階には複数のゾウガメが放たれている様である。
「うあああああああ」
アーガンは片手で振り回す様にベネリ M3Sを発射した。カツン・カツンと散弾が部屋に飛び散る。何と!ゾウガメの厚い甲良が散弾をはじき飛ばしているのだ。
「まじかい」
この時点でようやくアーガンは冷静に戻った。このままでは不利だ。一時撤退・・・と動きが止まった所を先ほど突進してきたゾウガメが体勢を戻しつっこんできた。またしても壁に吹き飛ばされる。口からは「ゴホッ」と血が出てきた。どうも内蔵を切ってしまった様である。しかし悪いことは続かない。飛ばされた壁の隣はすぐ廊下へと続く扉であった。
「わりいな、後で又来るからよ!俺は女にモテモテで忙しいんだよ!覚悟しとけ!」
腰に付けていたプラスチック爆弾の起爆スイッチを入れ、部屋の中央に投げ、すぐ扉の外に飛び込んだ。長い3秒の後、黒い爆音が部屋を木霊した。さしものゾウガメもこれにはかなわなかったらしく、「グオオオオウウウ」という獣の断末魔の声が部屋の中に満ち溢れた。煙がさめた後アーガンが中を覗くと2匹居たゾウガメは腹を上にして斜めに倒れている。 「やったのか?」と一匹のゾウガメの側に寄ると傾いた体の下に光り輝くメダルが落ちているのが見える。自分を襲う獣に払う敬意は無いとばかり、足でゾウガメの体蹴り飛ばし、その下にあった赤い血にまみれたメダルを拾う。そこには黄金色のコーティングが為され、中央には”玄武”の絵が彫り込まれていた。
「まさか、これが”鍵”か???」
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万里の長城は言わずとしれた世界最大の建造物であり、唯一、宇宙から地球を見た時に肉眼で確認出来る建物である。一番高い部分は北八楼と呼ばれ、現地中国人ではあっても訪れる事は非常に困難な難所である。とにかく坂が多く、きつい。石畳を歩くという事は人の体と腰により以上の負担を与える。
歴史的建造物であるだけでなく、万里の長城は中国人にとっては大切な”観光資源”である。昼間は頂上の石の屋根がある部分には土産物屋や写真屋などが軒を連ねる。海外の観光客相手の商売だけでなく、中国国内の観光客相手の商売も多い。記念写真撮影、平仮名、文法の間違った日本語の書かれたTシャツの販売、そして飲料や食料の販売など、昼間はまるで一つの”町”であるかの様である。ここの販売員は、各寺院などに配置されているやる気のない公務員販売員とは全く違う。えげつないように売り込んでくる。”自分が売った物が自分の物になる”という事が人の勤労意欲をここまで変える物なのかと驚く事しばしである。
夜はさすがに人の量が減るものの、盗難を恐れてか屈強な男が石畳の上で番をしている事も少なくない。泥棒は当然罪ではあるが、”見つからなければ良い”という傾向が多いにある。日本のように屋台が終わった後は簡単にビニールシートで巻いてそのままにしておいても明日の朝大丈夫ということは絶対に無い。又防犯カメラを付けるよりも人がそこに座っていた方が安いし、確実なのである。人は確実に余っている。お金さえあれば、雇うのは十二分に可能である。
3班に分かれた最後の脱出擁護部隊のリーガンとサリーは目立たぬよう石畳を足で一歩一歩登って行く。特に彼らを咎める者は居ない。自分の荷物以外には基本的に興味が無いのである。モノレール駅から1時間ほど登ったであろうか、最終地点”北八楼”が見えてきた。当然の事ながら誰も居ない。その地点を越えた部分の長城はもろくも崩れ去りそれ以上進むことは出来ない。ひゅーと風が夜鳴く下を見つめる。想像以上の高さである。
「とりあえず休憩していていいかしら」
サリーがどさっと石床に腰を降ろし、リーガンは黙って銃を構えうなずいた。サリーの祖母はインド人であるため、彼女は東洋系のクオーターということになる。顔立ちはクオーター特有のくっきりとした目鼻立ちだが、髪の色は薄いブラウンである。一風変わった個性的なニューヨーカーといったイメージであろうか。今サリーが着ている迷彩服は全く似合って居らず、全く着こなして居ない状態であった。もし白い流行の柄の入ったTシャツに、ジーンズというよりカジュアルな服装なら、どれだけ美しく見えるだろうか。腰の水筒の蓋を開け、軽く喉を潤す。疲れやすくなるため水分は出来るだけ摂取しない方が良いのだが、今のサリーにはそんな事を考える余裕はない。とにかく疲れてしまったという事だけが頭の中で先行してしまっている。
ジル、セリア、アーガンが戻ってくるまでとにかく待つのが仕事である。今日は月の無い闇夜。星がまたたき輝き、落ちてきそうな程輝いていた。
「衛星で報告しておいてくれ」
「OK」
衛星通信用の機器を取り出し通信の準備をする。残りの2班の進行状況も気になるが、とにかく今は冷静に待つしかない。と思った瞬間に研究所のある辺りから「どかーん」という明らかに爆発音とおぼしき音が聞こえてきた。
「アーガンか????」
「失敗か???」
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「すまん。ちょっとミスがあってな。ああ、俺は大丈夫・元気だ」
無線で話すアーガンの声は明るい。自分の失敗に対して特に後悔したり、反省したりといった事は頭にも浮かばない様である。そういった性格は兵隊に向いていると言えるのだが、心配していたという心情的には文句の一つも言いたい所だが、ジルはリーダーのつとめとしてその感情を押し殺した。爆破予定の通過ポイントまでは距離がまだ残されている。ここで予定を変えるわけにはいかない。とにかくセリアを早く安全な場所まで移動させなければ・・・
「とにかく入り口がうんともすんとも言わない。困ったものだ。研究所内を捜索して何とか脱出してみるから、そちらは予定通りお願いする」
「了解する。彼女を届けたらすぐそちらに救出に向かうわ」
「期待している。じゃ」
ジルはアーガンとの無線を切った後、すぐに長城に居るサリーに指示を出した。
「即長城を降り、アーガンの救出に向かうように」、と
「了解。長城を降りるのに例の”秘密兵器”は使っても構わない?結構足だけで降りるのは大変なのよ」
「了解。早くアーガンを助けて!」
「勿論よ」
山を登るよりも、降りるときの方が足に負荷がかかるというのは当然の知識である。体力を温存させるためにもこれは正しい判断である。
ジルが何故リーガンではなくサリーを救出者に選んだのか。実戦経験の少ないサリーを頂上に残し、リーガンを救出に向かわせた方が良かったのではないか、この判断ミスは後々大きな問題となって来ることをジルはまだ知らない。ジルは単純に自分よりも従軍歴が低い”頼みやすい”サリーに任務を命じてしまったのである。
無線を切ったとたんサリーは上に羽織っていたジャケットを脱ぎ捨て、手には指の部分を落とした黒い革製のハンドグローブを、足には銀色の排出口付きのローラーブレードを装着した。足の関節をコキコキと軽く慣らし、ローラーブレードの側面に付けられたスイッチを入れる。ブオオオオ・・・と黒い黒煙が巻き上がり、静かな夜空に怪音がなり響く。しかしその後は段々と煙の色が薄れて来、音も静かになってきた。”スターズ”の開発部門の移動用最新兵器、”スター・ブレード”である。
「リーガン。後のステルス戦闘機との脱出作戦調整はお願いするわ。アーガンを助けた後はジルの支援に回る」
「了解。無理はするなよ」
バックパックにスター・ブレードの燃料チューブを入れ、腰にベレッタを差し込み笑顔で走り出すサリー。早い。石畳とはいえ凹凸が多いこの万里の長城をいとも簡単に走り抜けて行く。音も思ったよりも静かである。全身黒ずくめのサリーの姿はあまりのスピードの為通常人では認識出来ない状態である。
「一本目の燃料チューブが下までもつか。途中まで降りたら省電力モードにした方が良さそうね」
スター・ブレードはその扱い安さとスピードから高速移動の手段としては適しているが、とにかく燃料を食う。ジルが研究所から抜け出した後もそれを使用しないのは長城を上まで子供を連れて上がる時に使用する時を見越しているからに他ならない。どの場面でスター・ブレードを使用するか、それによって今回の作戦が成功する、しないが決定すると言っても言い過ぎでは無い。
「長城の下は泥か・・・とするとブレードは使えないな・・・」
昨日早朝に降った雨が作戦をより困難な物へと変えていく。アーガンもサリーもゾンビとの実戦経験は無い。今回が初のミッションとなる。サリーは基本的には”衛星兵”である。チーム内で誰かが負傷する自体が発生した場合はその対処に当たる。しかし非常時には銃を持って戦う事も出来る若いながら体力知力共に兼ね備えた存在なのである。コロンビア大学医学部を卒業し、趣味はジム・ワークとクレー射撃。射撃の腕前はオリンピック候補になったことがある程である。実戦経験さえ今後積んでいけば、”スターズ”幹部の地位さえも夢では無い。
あっという間に長城を降りたサリーはスター・ブレードを脱ぎ、バックパックにそれを投げ込んだ。ここから先はゾンビのエリアとなる。小走りで走りながらも手は常にベレッタの上に置いておく事を忘れない。
「アーガン・・・」
実はサリーとアーガンは恋人同士なのであった。しかしそれをジルは知らない
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サリーとアーガンが初めて会ったのは二人の母校、コロンビア大学のキャンパスにおいてであった。大学のキャンパスは広い。嗜好が似ているのか、二人は何故か良くキャンパスのレストランなどで一緒になった。友人が多い二人であったが、たまたま偶然、二人には共通する友人は居なかった。挨拶友達。お互い名前は知っているのだが、本当に目が合った時に軽く挨拶する程度の関係であった。
「声かけてみようか・・・」アーガンは100回以上そう思ったのだが、その頃サリーは学園の高嶺の花であり、アーガン自身高校時代からつき合っている彼女が存在した。余計な波風は立てない方がいい。アーガンは時折サリーに会って軽く会釈する関係を大学在学中の4年間壊すことなく楽しんでいた。
「いつも挨拶してくれる人だ」
サリー自身は必ず満面の笑顔で挨拶してくれるアーガンが相当気になっていたのだが、自分で男性に声をかけるというのは何歳になっても恥ずかしく、「一度話してみたいな・・・」と思いはしても、どうしても足が進まない。そしてアーガンを観察しているとサリーにだけ挨拶するのではなく、会う女性、女性全てに気軽に挨拶をしている。
「あ、私だけじゃないんだ・・・」
少し「私だけに挨拶して欲しいなー。ちょっとハンサムで好みだし・・・」なんて笑顔で身勝手に思いながら、月日は過ぎていった。そしてある年アーガンは医学部のサリーよりも早く学園を去り、サリーもいつしか忙しい日々の中、アーガンの存在を忘れていった。サリーは大学を卒業してすぐ”スターズ”にスカウトされ、任務につくようになった。仕事は刺激的で楽しかった。そして大好きな射撃場でまたしてもアーガンに会ったのである。
「あ!」
サリーの声を聞いて、アーガンは学生時代と同じ、笑顔で会釈をして去っていった。後でアーガンにその時の事を聞くと、アーガンはサリーがスターズに入った事を大分前から知っていたのだという。アーガンにしてみれば別に驚く様な事では無かったというのである。運命の出会い!とサリーは淡い恋心を疼かせたが、学生時代と同じく声をかける勇気は無く、またしても月日は過ぎ去って行った。
風の噂で、アーガンが高校時代からつき合っていた彼女に愛想をつかされた事を聞いた。大学を卒業して仕事もせずふらふらしていたのがその理由であるようなのだが、現在はフリーであり、学生時代の真面目な仮面をはじきとばすかのように、とにかく可愛い女の子を見ると声をかけまくっているのだという。
「全く仕事場で止めてほしいわよね!セクハラもいいところよ!」
そういう状況になってもサリーはアーガンに声をかけられる事は無かった。
「私ってそんなに魅力無いのかしら・・・」
そう思って何度かサリーが夜泣いてしまったのも事実である。
3度目のニアミス。それは訓練も一通り終了し、サリーにとっては3度目の作戦となる今回の救出作戦の会議室でであった。偶然にもアーガンの隣に座る事になり、驚くサリー。こんな偶然ってあるのだろうか???
「今回の作戦は簡単に言えば”人質救出作戦”という所かしら。できるだけ戦闘は行わず、救出後はすみやかに脱出を行う。何か質問は・・・」
最後のチャンスをサリーは逃さなかった。自分の中にあった勇気を全て振り絞り「あの・・・お茶でも飲みませんか・・・」と誘ったのである。アーガンの答えは当然「YES」冷やかされたくないから、という理由で二人は街の中央部にあるホテルのバーで再会を祝して乾杯をした。アーガンは意を決したように話し始めた。
「学生時代からずっと好きだった。でも君に相応しくないと思って声をかけられなかった・・・今日君に声をかけられて本当に息が止まるかと思った」
この言葉が嘘であっても良いとサリーは思った。筋肉質のアーガンの腕に抱かれ世界中の誰よりも幸せであると肌で感じた。何気なくする会話も夢のように幸せであった。  

そして作戦の前日アーガンはサリーの耳元でこう優しく言い放った。

「この作戦が終わったら結婚しよう。これ受け取ってくれるかい」
アーガンは枕の後ろから赤い小さな箱を取り出した。サリーは両目に涙を浮かべ、両手を広げアーガンの首元に抱きついた。言葉は要らない。
「結婚しよう・・・」
アーガンが女性にこの言葉を言うのは実は初めての事であった。
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ジルとセリアは木々の間に身を潜め、小休憩を取っていた。ゾンビは次から次へとやって来る。先ほどはアーガンが出会ったと同じタイプのゾウガメにも襲われた。上からの銃弾による攻撃が全く効かない上にゾウガメとは思えない知能を持っている。そう確実にターゲットを”ジル”に絞って襲いかかって来るのだ。絶対にセリアは狙わない。
「ならば」
ジルは思い切ってセリアの背後に隠れ、セリアを盾にした。「???」予想外の行動にゾウガメが怯んだその瞬間、横に流れたその口目がけて銃口を差し込み間髪入れずに撃った。ゾウガメの脳漿が辺りに飛び散る。頭をやられてはさしもの怪物もそれ以上攻撃してくる事は無い。おそらく遺伝子操作による新種なのであろう。血の雨を顔に受けてしまったセリアは茫然自失。ジルは胸ポケットからバンダナを取り出し、手で巻き取ってから、セリアの血糊をふき取ってあげたが、セリアの表情は固まったままである。
「ちょっと休憩しましょう。仲間との合流地点までもう少しだから」
実はようやく半分を来たところなのだが、森の中に身を沈め、セリアを石に座らせる。これ程緊張する1時間は今まで無かったであろう。唇は紫色に染まり、肌に血の気は無い。ジルはセリアがこの国に連れ去られた簡単な理由については報告書を受け取っていた。小さくふるえているセリアは本当に普通の”少女”である。まさかこの少女が感染しただけで人を人で無い生き物。ゾンビに変えてしまうあの”Tウイルス”のキャリアであろうとは想像も出来ない。
「私のことどこまで知ってるのですか」
「大方は。でもあなたは現時点で唯一発見されたキャリア(ウイルス保有者だが発症しない)あなたの血液を解析すれば今ゾンビになってしまった人は助からなくても、なる前の人間を助けることが出来るかもしれない」
「アメリカ政府が私を助ける理由はそれですか?」
子供とは思えない程醒めた目をしている。黒く汚れた白いワンピースの袖口から覗く長く白い手のあちこちには遠目でも分かる様な大きな採血の痕が見える。”閉じこめられる場所が変わるだけよ”、そう言いたげな顔をしている。
「依頼者はあなたの父親よ。アメリカ政府はあなたが希望しない限りあなたの体の検査等を行わない事を約束している。余計な心配はしないで」
「母は???」
「あなたが連れ去られてから、やっぱり夫婦仲が上手くいかなくなって、結局離婚して、今はカリフォルニアの方に居るらしいわ。お元気だそうよ。あなたに会いたがってる」
両親が離婚したということはジルの会話で初めて知ったらしい。セリアの目からは大粒の涙が流れてきた。二人の会話を断ち切ったのはやはり異形の生物である。その大きさはジルの身長を優に超える。隊の中で一番長身のリーガンよりも高いのでは無いだろうか。先ほど出てきたゾウガメと同じである。目が赤く充血し、獣とは思えない鋭い目つきをしている。
「今度はダチョウ・・・一体彼らはここで何をしようとしていたの???」
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セリアが抜け出した研究所の地下3階では所長のマルガリータが先頭となって会議が行われていた。ここはバイオセーフティーレベル4の処理が施された研究室である。壁は255cmのコンクリート製。バズーカー砲でも持って来なければ破壊は難しい。
「侵入者はまだ館内に居るのね。セリアは一緒なの???」
「いえ、破壊されたカメラの最後の映像によると男性一人だけの模様です。こちらは陽動部隊では無いかと。現在、玄武、朱雀を向かわせています」
「青龍は危険だから適切な判断です。白虎は館内に居るのね」
「館内には玄武、朱雀、白虎が居ります。喰っても良いと指示を出しています」
「分かりました。そちらは好きにして構いません。しかしセリアだけは無傷で救出するのです。本部に今回の不祥事が知れ渡る前に、分かりますね」
総員頷く。マルガリータ以外は全て男性である。名前は英名であるが、マルガリータ本人は中国生まれの香港人である。本当の名前は李英美と言うのだが、普段は洗礼名をコールネームに使用しているのである。マルガリータの守護聖人は聖マルガリータ、独身女性の象徴と言われる強い女性の守護聖人である。
「あと少しなのよ。セリアの体さえあと少し成長すれば、あと少しで純血種が生まれるのよ!」
「ミス マルガリータ落ち着いて下さい。全ての手はうちました、我々の研究の成果を見て下さい。大丈夫です」
「ありがとう」
この緊急事態にマルガリータはふと自分が生まれた家で当たり前のように繰り返されていたあの会話を思い出した。中国政府が国民に課したあの政策、あの政策のお陰でマルガリータは生まれた時から受けなくて良い虐待を受けて来たのである。
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「本当に役にたたない嫁だよ。あんたは」
マルガリータの一家は5人家族である。一家の大黒柱たる父親、優しい母とそして何かに付けて母を苛める祖父と祖母である。今日は食事の後片づけが遅かったと祖母が母に愚痴をこぼしている。とにかく祖母は母の全てが気にくわないのである。そしてそれ以上にマルガリータが気に入らない
「英美、さっさと外に遊びに行ってしまいなさい。じろじろと親を見るなんて失礼な事だよ、本当になってないね」
狭い家の中は3人が居るだけで、息が顔にかかるようである。増え続ける人口対策として中国政府が国民に課した”一人っ子”政策。生まれてきたその唯一の子供が”男の子”であった場合は何の問題も無いが、もしそれが”女の子”であった場合、中国の風習では家系が途絶えてしまう事になってしまうのだ。祖母は常に母とマルガリータをのけ者というよりも”不要な物”扱いをする。機会さえあれば父に再婚を勧める。
「女はね、男を産んでなんぼなんだよ。如何にお前が優しい男でもこれはだけはね、いっとくよ。祖先の火を消しちゃいけない。それが最大の親不孝だから。分かるかい」
祖母にとっては生きている者よりも死んでいった者への配慮の方が比べようもないくらい大切な物であるらしい。”役立たず”、”あっちに行ってしまえ”、この二つの単語を聞かない日は無かった。そしてとどめの”お前が死んでしまえば良いのに”という言葉。
実際の所は普通よりも多く税金を払うことにより二人目の子供を作ることは可能であったのだが、真面目な父は国の法に逆らうような事は決してしなかった。しかし実際、近所には国の”一人っ子政策”に従わず、子供を作り、戸籍に登録しないで育てると言うことが一般的に行われていたのである。
祖母の冷たい態度に一番初めに耐えきれなかったのは何と以外にも父であった。ある日祖父と祖母を置いて香港へと脱出したのだ。先祖伝来守ってきた畑を捨て、ビジネスの街香港へ、母とマルガリータを連れ、友人一人を頼って出て行った。その後中国と香港が統一されても父は祖父と祖母の元へは帰らなかった。風の便りでは祖父と祖母はまだ生きているのだと言う。父の目が覚め帰ってくることを信じ、今もまた移動する事無く元のあのあばら屋に住んでいるのだという。いつしか目が覚めて戻ってくる息子を信じて、(父が帰ってくるはずは無いのに)
沈黙の反抗。マルガリータは誰よりもその父の寡黙で誠実な生き方に憧れて生きてきた。
「余計な事を考えるのはやめにしましょう。今は大人しく待つことですね」
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セリアがキャリアになった理由、それは医者であるセリアの母がアンブレラの関連病院で働いて居たことに端を発する。患者として病院へやってきた父との電撃的な出会い。結婚を前にしてセリアの母は身籠もった。妊娠4ヶ月目の時、深夜勤務中のセリアの母は突然麻酔薬をかがされ、診察台に乗せられていた。
ガヤガヤと医者が診察台の回りに集まって来る。セリアの母の腹はまだそう出てはいない。自分で妊婦であることを言わなければまず分からない体型である。
「では今からTフランクション・エキスを羊水に注入する。クスコを」
透明プラスチック製のクスコがマスクをした医者の手に渡される。容赦なく開かれた女性部分にぐいっと押し込まれ中のエキスが流し込まれる。麻酔をうたれているのか、セリアの母はびくっと反応するだけで目をあけることは無い。あっという間に作業は終了し、セリアの母の体は病院の夜勤室へ戻された。秘密は全て闇に。葬られるはずであった。
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そうして産まれたセリアは満1歳にして5カ国語を話し、小学生程度の算数を理解する事が出来た。天才児の誕生に両親は何を疑う事無く諸手をあげて喜んだ。それは頭脳の面だけでなく、セリアの性格は温暖にして優しく、文句がつけようのないアングロサクソンの完璧な容姿を誇っていたからである。
「この子はもしかしたら女性初の大統領になるかもしれないぞ!」
「本当に、これもあなたの血のお陰ね。頭の良い旦那さんで本当に良かったわ!」
両親の喜びように、無邪気に笑うセリア。まだ短い金色の髪も後数年すれば肩まで生えそろい、更に美しさに華を添えるだろう。
「でもまだ歩けないのよね。んん。オムツもまだーーー。でも急がないで全部完璧だとママが困っちゃうから」
ママの言うことを理解し、必死に伝い歩きの練習をしようとするセリア。まだまだ体全体のバランスが悪い為上手く体を前に動かすが上手くいかず、ストンと転んでしまう。とたんに怒って大泣きするのは他の赤ん坊と同じ。頭が普通の子供より少し良いだけ、後は皆同じ。セリアは4歳の年に誘拐されるまで、誰もそう信じて疑う事は無かった。
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ジルは赤い目をしたダチョウを倒すのに手間取っていた。今まで出てきたゾンビなどと比べスピードが異常に速い。気を抜くとその長い足で全身を蹴られ、転がされてしまう。ダチョウの武器は嘴ではなく、その大きな足から繰り出すキックである。何とその力は瞬間4.8トンの力を及ぼすほどであるという。当然女性のジルの体など当たれば何の抵抗もなく壁まで飛ばされてしまう。
ゾンビを倒すのであればまず頭部を破壊することがセオリーであるが、ダチョウの頭は小さい上にフラフラとゆらぐ事が多いため狙いを定めることが出来ない。
「セリア!物陰に隠れていて!!!」
もとよりダチョウがセリアを襲うことはなかったが、ジルが動き回るには気になってしまいどうしても邪魔であった。ジルは目標を頭では無くダチョウの足の関節部分に絞った。
「呂布の足を止めんば、その馬を射よ」
最近スターズに新しく入った中国人がよく言っていた言葉である。物事には良くも悪くも必ず側面がある。正攻法ばかりが成功への道ではない。
15発全てをダチョウの両足に撃ち込んだ瞬間、ダチョウの足がずるずるっと地上に滑った。ジルはすかさず腰のコンバットナイフを取り出し右前前方構え、手元が狂わぬようダチョウの上に馬乗りになった。
「はああああああ」
ジルの頭に赤い血が上り興奮した、気合いの籠もった声と共にナイフのエッジがダチョウの細い首元に落とされ、真一文字に掻き切られた。「ぎゅああああああ」という奇声が上がる。一度ではかき切れなかったようだ。ジルはそのままもう一度振りかぶり、反対側に皮膚一枚残すこと無く首を切り裂いた。「びしゅううううう」と鮮血が切り口から飛び散る。首の反対側に居たジルは幸いその鮮血を手に浴びるだけで、全身には浴びることはなかった。
やはり接近戦ではナイフに優る武器は無い。ジルは軍用のコンバットナイフ、ソグ・シールマスターを使用している。軽いナイフは持ち運びには便利だが、実践ではあまり役に立たない。何しろ相手はゾンビなのである。銃の弾が切れてしまった時でなければまず使用しないが、装備確認時には必ず携帯する事を忘れない。
「手が血だらけだわ。洗わないと。これじゃ銃が撃てない」
ダチョウが死んだことを遠目に確認したセリアがジルの側へ寄ってきた。無事を目で確認したジルは空になったベレッタのマガジンに弾を装填する。血糊で手が滑るが、次いつどんな物が襲ってくるか分からないため、これは絶対必要な作業である。装填が終わったその後で腰のバンダナで血を拭う。銃を持ちながらの作業だからなかなか上手くいかない。
「手伝います」
自分を守ってくれたお礼、とばかりジルの右手からバンダナを奪い、手の血糊を綺麗にふき取る。獣の血というのは一種独特な臭いがする。腐ったようなゾンビの血とは違い、どろんとした生命の力を感じずに居られないこの臭い。こんな小さい子供には出来れば嗅がせたくは無いのだがー
「ありがとう」
バンダナを元の位置に戻す。ゾンビだけであればそれ程怖くは無いが、あのような巨大な敵がいつ襲ってくるか分からない為、ここからは走るよりも辺りを見回しながら慎重に進んで行く方が安全策である。
「距離的にはもう少しよ。頑張って」
「さっきも同じ事言った」
ぼそりとセリアが言う。ジルも会話の腰を折られて少し怒ろうかと思ったが、そのまま無視をして歩き続けた。セリアの神経が高ぶっている。精神的に追いつめられて来ているのである。が、とにかく今は歩くしか無いのだ。セリアも仕方なくとぼとぼとついて来る。室内での生活が長かったせいなのか、とにかくセリアの運動能力は通常人以下であることは間違いがない
「私がキャリアであること以外に何か?何故感染したか等については?」
「その辺については一切知らないわ。あなたは知っているの?」
「知ってる」
会話はそれ以上続かなかった。幼いセリアの口からは到底説明できない内容であった。
母親の羊水によもや人とは異なる遺伝子情報を持った特殊エキスを注入したからだなどと。結果セリアは緩やかに遺伝子情報が書き換えられ、肉体がゾンビ化する事無く異常に発達した脳と共にTウイルス・キャリアとして誕生する事となったなどと
「私・人じゃないかもしれない」
ぼそっとセリアが呟く。ジルは言葉を聞き流し、腰のGPSによって現在位置を確認しながら歩き続けた。中国の一般的に販売されている地図というのはわざと正確な距離を書き入れていない。わざと”分かりにくい”様にしているのである。情報漏洩対策とは言え、民間の間にも徹底するというのはさすが社会主義国家である。お陰で位置を知るのは一々GPSに頼らなくてはならない。液晶画面に見える自分の位置をマークする赤い点とその通った跡を示す白い点々。青い鳥の童話の如く、この跡だけがジルとセリアの経過を知らせていた。
自分の足音以外は何も聞こえてこなくなって来た。ゾンビの応酬はとりあえず小休止した様である。何が起こっても不思議ではないこの空間。心細くなるのは当然の事であった。数分経ってジルはこう答えた。
「考え過ぎよ」
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アーガンは玄関ロビーから中央を通り、南側の部屋へと移動しつつあった。研究所と言うだけの事はある。七色の薬品類だけでなくホルマリンに漬けられた異形の生物標本まで多種多様、恐ろしい数が置かれている。既に長時間放置されているのだろうか、小さい人間の標本のいくつかはすっかり肌の色素が抜け、生命の暖かさが感じられない状態になってしまっていた。
「顔つきからすると子供は全て東洋系か、しかも男ばかり・・・」
目線が必ず股間の辺りを一度通過する。「どうせなら女がいい・・・」と脳天気に考えていると、張りつめた体の神経が何かを感じた。標本室を抜けた廊下の部分でゾンビとは全く違う何かの気配を感じた。
「次は、何だ!」
そう思ったとたん、閃光の様に目の赤いダチョウがアーガン目がけて襲ってきた。全長2.5m、150kgを優に越える生物が、時速80km以上の速度で襲いかかって来たのである。さすが地上最大の鳥類。とても動体視力が追いついていかない。アーガンは自分の感覚を信じ、体を横に倒しそのまま飛翔した。そして腕に全身の力を込め、ダチョウの頭上めがけてトリガーを引き絞った。
「グアアアアアア」
如何にも狙いにくい小さな標的であるといっても弾が広範囲に広がる散弾銃の前ではひとたまりもない。一発でダチョウの頭は粉々に吹き飛び、頭を失ったダチョウはアーガンの足下にドウウンと激しい音を立てて転がった。首の切り口からはこれでもかと言う程の大量の血液が飛び散る。アーガンは銃口を下に落とし、それをつえのようにして立ち上がった。横に倒れているダチョウの羽は黒と白である。
「こいつもオスか。メスであれば羽が灰色と茶であるはずだからー」
ダチョウの雄雌は羽の色で判別する事が出来るのである。
学生時代、生物学を専攻していたアーガンの専門は鳥類であった。鳥の繁殖について研究をしていたのだが、なかなかそれでは食べて行けず、軍の特殊処理部隊へ、除隊後縁があり生物学が分かる人間が是非欲しいというスターズの求人に応募採用されたのである。何故警察が、生物学が分かる人間を欲しがったのか、アーガンは今回の任務について初めて分かったような気がした。
「気にしすぎか、しかしヤローばかりというのは気になる」
倒れたダチョウの羽の下からキラリと光る物が見えた。メダルか?と手を羽の間に探り入れてみると間違いない。先ほどの玄武のメダルと同じ作家の物らしい、朱雀の象眼がされた金色のメダルが落ちているではないか
「この部屋で南側の部屋は行き止まりの様であるし、戻って扉にはめてみるか・・・全て揃わないと開くとは思えないが・・・」
ダチョウの血の海をぴちゃぴちゃと歩き、アーガンは玄関ロビーへと戻った。進入の事実は明らかに知られてしまっている。今は何が襲ってきてもおかしくない状態である。早く外へ出たいのはやまやまなのだが、気持ちは急いても突破口が見つからない。
アーガンは、今度は歩を西側へと向ける。残弾数が少ない。原因は”戦闘”があると想定していなかったからと、混乱から乱発してしまったからである。「どこかで弾を補充しなくては・・・」研究所にそういった物騒な品が残っているかどうか、脱出・探索・弾不足。今一番何が大切なのかを考え、それらの単語を反芻させながら、当然の事ながらすぐに結論などは出て来なかった。
「救援を待ちながら進むしかないのか。しかしまさか俺が足を引っ張る事になろうとは、ガッデム!」
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「玄武に続いて朱雀までこの男に倒されてしまうなんて!一体これはどういうことなの」
マーガレットの顔は怒り満面、普段のポーカーフェイスを隠せないでいた。この施設は外部の人間が攻め寄る事を想定して作られていない為、撃退する施設や人というのは他のアンブレラ各施設に比べると極端に少ないと言うよりも皆無に近い。しかし、
内側から実験動物や人を逃がさないセキュリティ面に関しては最高レベルではないが、たとえプロであってもかなり苦労するレベルである事は間違いが無かった。今回は偶然にそのセキュリティ管理が幸いするとはー
「しかし、我々戦闘のプロでないホワイトカラーの人間が外へ出て彼らに接触するというのは非常に危険です。やはり地道ではありますが現在我々が研究中の生物を彼らの撃退に向けた方が良いと判断します」
逃げたセリアの行方はようとして知れず。潜入した一名は未だ無傷で研究所内を徘徊している。本部には5分ほど前に応援を要請したものの、この中国の奥地まで救援が届く頃には既に全てが終わってしまった後になっているような気がする。四面楚歌。マーガレットの耳にはあの祖母の声が又聞こえてくるような気がしてきた。
マーガレットが患っているのはPTSDと呼ばれるれっきとした”精神病”である。ベトナム戦争で悲惨な戦闘体験をした時の精神的後遺症がこの病名の起源であると言われる。Post-traumatic Stress Disorderを略して一般的に"PTSD”と呼ばれている。
心的外傷後ストレス障害と呼ばれるこの精神病はフラッシュバックや集中困難、そして過度の驚愕反応を引き起こす。治療をするには睡眠薬や抗うつ剤を使用したりカウンセリングを受けると言った方法があるが、マーガレットは一切の治療を受けていない。体が病気になるのだから、精神が病気になることもあるということを頑なに認めようとしないのである。PTSDの恐ろしい事はその他の精神病との合併症を引き起こしやすいこと、より精神切迫の度合いを深めて行くことにあることを当のマーガレットは知ろうとはしない。自分の中の弱さを常に人から隠そうとする事を忘れない。
「幼生の時点でTウイルスと同化させた”四神シリーズ”の大きな特徴は、とにかく通常生物に比べて格段に脳が発達している事。つまり”頭が良い”事があげられます。自ら考え命令を遂行する。時間はかかるでしょうが、捕獲は可能です」
世の中に絶対という言葉は無い。コントロールルームでは第三の生物”白虎”が檻から解き放たれていた。前二種の玄武と朱雀は大量生産が可能な汎用生物ではあるが、弱点を狙われると一撃でやられてしまう弱点がある。しかし白虎にはおおよそ”弱点”という弱点が存在しない。その白い毛並みは白銀の鎧の如く、並みの弾丸を容易に貫通させる事は無く、同時にその体格に見合わぬスピードを持ち合わせている。
「現在生存している”四神シリーズ”の白虎はこれ一体のみです。できれば出したくないのですがー」
白虎ほどの頭脳を持っていると、命令を完全に無視し、脱走する可能性がある。それだけは絶対に避けなくてはいけない事ではあった。
「分かっています。さっさと事態を収拾させなさい!」
「くおおん」とひと泣きして白虎はゲートを抜けて行った。白虎に与えられた任務は侵入者の捕獲又は死亡である。白虎の目はたぎる炎の如く赤く、強い意志を込めている。体長2.5m、体重350kg。世界最大の猫科生物であり、その武器はその鋭い前足の爪である。この研究所では中国北東アムール川に住む北方系のアムールトラを飼育している。時には自分の体長の2-3倍もあるヒグマでさえも補食してしまう凶暴さである。当然通常の人間であれば一撃でその命は消えて無くなるはず、である。
「ツウウウウ」という外部センサーの音が部屋に響き渡る。再び侵入者がこの研究所にやってきた様である。壁に埋め込まれた特殊赤外線カメラが反応のあった向きに素早く向き、侵入者の姿を捉える。今度の侵入者は現在館内に居る者より手慣れていない様である。
「先にこちらを片づけに行かせます。白虎をポイント2へ誘導!」
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サリーは研究所を一回りし、出口が無いことを確認した上で、二階の窓へフック付きのロープを投げ入れ進入を試みようとしていた。
「こうなるのであればアーガンに進入経路を聞いておけば良かった・・・」
と思いつつロープにかける手に力をこめる。半分まで登り切った時点であろうか、背後から「ガルルルルル・・・」という獣の声が聞こえた。
「はっ」と腰に手を当てた時は既に遅かった。サリーの右手にはトラの二本の鋭い牙が刺さり、力が抜けた所を地面に叩きつけられてしまったのだ。
ドガン。生まれて初めて感じる純粋な「恐怖」。動けない。
「ガルルルル」
絶対的強者。「殺される!」とサリーは瞬間的に目を閉じた。助けを求める声はおよそ出すことは出来なかった。脳のフラッシュ効果で今までの出来事が走馬燈の様に流れていく。サリーの脳は恐怖に完全に萎縮し死を覚悟している。
「ガアアウン」
「キャアアアアアアー」
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ジルとセリアはようやく長城の一番下の部分へたどり着いた。この長城を登るのもスター・ブレードさえあればそれほど大きな問題とはならないだろう。上まで上がればリーガンが待っていてくれる。無事セリアを保護し守ってくれるだろう。ジルは背中に背負っていた二人分のブレードをバックパックから取り出した。セリアの足には少々大きかった様だが、この急場、贅沢は言っていられない。即スイッチを入れ、一気に長城を駆け登る。
「怖い!」
セリアは危険なのにも関わらず目を閉じてしまう。ずっと狭い空間に閉じこめられていた為、ローラースケートやローラーブレードのような道具を使って遊んだことが無いのだ。ジルは仕方なくセリアを背中に背負い、バックパックを前に持ち直した。
「目を閉じていて」
夜の空には星が流れていた。一刻も早くセリアを安全地帯へ送り届け、研究所に残されたアーガンを救出しなくてはならない。
「まだ無事で居て!」
ダチョウを倒してからのゾンビなどの抵抗は全く無い。これであれば予想より早く任務を完了させる事が出来るかもしれなかった。
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アーガンは1階全ての部屋を回り終え、正面玄関に朱雀のメダルを埋め込んでいた。しかし扉は全く動かない。やはり4つ全てのメダルを揃えなければ開かない様である。急がば回れ、アーガンはこの研究所へ進入の際使用した屋上からのルートを使用して抜け出す決心をようやくした。
「急がば回れ。上へ戻るか」
しかし潜入の際に使用したエレベーターは既にプラスチック爆弾を大量に設置してある為使えない。となると階段を使用して徒歩で上階へ登るしか無い。辺りをゆっくりと見回しながら一歩一歩階段を登る。靴のゴムと階段がすれ、きゅっ、きゅっと厭な音が辺りに響き渡る。
「しかし人間は地下から出てこようとはしないのが不思議だ。ゾンビなど全く当てにならないと思うのだがーその辺の感覚がちょっと違うのかもしれないな」
現在のアーガンの負傷箇所は最初の玄武にやられた腹の傷だけである。まだまだフルパワーで闘える。そう思った所で3階の上に居る白い虎の姿に気が付いた。
「ぬ!!」
慌ててベネリを構え、身を屈める。虎の方もアーガンの姿を確認したようである。アーガンのように無粋な音を立てず大胆に、しゃなり・しゃなり・しなやかに階段を下りてきた。射程距離まであと少し!と思った時点で虎の顎の辺りから声が流れている。
「銃を捨てて投降しなさい」
「え?」
アーガンは辺りを見回す。しかしそこには虎以外の生物は全く見あたらない。一体どのような根拠で投降せよと言うのだろうか、とアーガンが思った瞬間、呻くようなサリーの声が虎の顎の辺りから聞こえてきた。
「助けて・・・」
「ばかたれ」
奥歯をギリリと噛み締める。この声は忘れるはずもない、サリーの声である。有無も無かった。投げ捨てるようにベネリを床に投げつけた。万事休す。これで武器は足首に隠してあるナイフ一本になってしまった。
「宜しい。ではその虎に従って地下へいらっしゃい。歓迎するわ」
「嫌らしい中年女の声で俺に命令するな」と言いたいのを必死で堪えながらアーガンは自分の左側をすっと通り抜けて行った虎の後に黙って従った。でかい。すでに成人のサイズである。
「これをどうやって倒すか・・・ナイフで急所を斬りかかったとしてもまず倒せないだろう・・・」
虎の体毛は恐ろしいくらい厚く毛羽立っている。銃の弾さえもはじきかえしそうな勢いである。如何にプラス思考人間のアーガンであったとしても・・・
「しかしあの顔、下顎を見るに奴は野生の物では無いな。人工的に飼育された虎である事は間違いが無い・・・」
人工的に飼育された虎やライオンなどは補食をする必要性が無いため、野生のそれらと比べて顎の発達が遅れ、面長になる傾向がある。今アーガンの目の前に居る虎は当にその典型的な顔つきをしていたのである。
「あの口に噛まれたら痛いだろうな・・・」
確実に痛いでは済まないと思いつつ、考えあぐねている間に地下への入り口へと到着した。ちょうどこの研究室の1階の中央部分に当たる位置であろうか、虎は器用に壁の中国民族衣装の服を着た女性像の後ろに、あったボタンを押下し、隠された階段を出現させた。
「クウウン」
中国の風水上、北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に白虎が守る中央地点は”最高の吉相位”であるとされている。どうやらこの建物はかなり風水に詳しい人間が建てたものであるらしい。
ひと鳴きして虎は階段の中へと消えていく。虎は通常人の背後から襲いかかる習性を持っているのだという。で、あるならば先行して歩いていく虎に突然待ち伏せられ、殺される事は無いだろう。アーガンは覚悟を決め、手すりに掴まりながら一歩一歩、カツーン・カツーン・と地下への鉄製の階段を降りて行った。
地下は思ったほど暗くない、というよりも自家発電によるものなのだろうか夜だというのに異常に明るい。根の暗い人間ほど部屋を明るくしたがると言うが、正にその通りなのであろう。
「ようこそ我々の研究所へ」
先ほど虎のマイクから聞こえたのと同じ声が前方から聞こえてくる。頭をあげるとアーガンが居る場所から50m程離れた所であろうか、そこに東洋系とおぼしき黒髪の中年女性の姿があった。
「・・・サリーは」
「あ、この子サリーというのね」
マーガレットが指さした方向を見ると、右手に包帯を巻いたサリーが顔を血だらけにして拘束台に座らされているのが見えた。体が一瞬そちらに動き出しそうになったが、その前を遮るように虎が進路を塞いだので動けなかった。仕方なくもう一度サリーを観察する。顔の血は鮮血ではない。おそらく腕から出た血が顔にかかった程度の物である事が推測された。腕の傷については包帯で見えないが、既に出血していない所を見るとそれ程重傷では無いのだろう。点滴等もされていない。とすると当面命に別状は無いはずである。
「サリーーー・俺だーーー」
ありったけの声で呼びかけるがサリーの返事は無い。
「あまり怪我をしているときに麻酔薬って使いたくないんだけどね、このお嬢さん五月蠅いから先ほどクロロホルムをかいて頂いたの。そうしましたらあなたが到着する前にこのようにぐっすりと・・・ごめんなさいね・オホホホ」
高らかなイヤミたっぷりの勝ち誇った声が響き渡る。量にもよるが、運が悪ければ麻酔がききすぎてしまい、腕から更に出血が始まり、失血死してしまう可能性もある。一刻も早く対処しなければ・・・
「俺をここに呼んだ用件は何だ!」
「セリアはどこ!」
「・・・」
答えなかったとたんに白衣を着た研究員達がマシンガンを持ってアーガンに狙いを定めたのが分かった。答えなければ即射殺という意味のようだ。気がつくと虎は”自分の任務は終了した”とばかりアーガンの元を離れマシンガンの弾が届かない部屋の隅の方へ向かっている。3m近い巨体が音もなく動くというのは恐ろしい事である。密林の暗殺者。狙われたら逃げられる可能性はゼロに近い。
「嘘をついてもばれるだろうし、とりあえず”もう”いいだろう。彼女はここを脱出して万里の長城へ向かったよ」
「まさか、子供の足であの長城を抜けるつもりじゃ・・・」
「そのまさかさ。分かったか?今から追いかけても間に合う訳が無い」
マーガレットは無言で虎に合図をし立たせ、命令を言い放った。
「即長城へ向かいなさい。セリア以外の者は全て殺しても構わない。彼女だけは無事ここまで連れ帰りなさい!」
「グルルルル」
それ”イエス”の意味だったのであろうか。虎はそのままアーガンの脇をすり抜け暗闇に消え去って行った。アーガンは本能的に「まずい」と感じた。がしかし一度口から出た言葉は再び口に戻ることは無い。
「これで一安心。でもね、あなたにはもう少し聞きたいことがあるの。協力して貰えるかしら」
「協力したらどうなるというのだ」
「態度次第よ。場合によっては助けてあげないことも無いわ」
「いやこいつは俺を殺す気だ」と思ったが、どうしても目の前に拉致されているサリーの姿が目に焼き付いていて逆らうことが出来なかった。
自分はともかくサリーは前途有望な人間である。無事この場所から逃げ出さなくてならない。決してここで死んでよい人間では無いのだ。
アーガンにとって現在良い条件というのはあの化け物虎が目の前から居なくなった事である。アムール虎は現在絶滅の恐れがある哺乳動物の希少種である。そう頭数が居るとは思えない。居たとしても数匹、場合によってはあれ一頭のみの可能性が高い。
「あらあら、そんな顔をするとハンサムが台無しよ。クククク」
嫌らしい声。生奪の絶対の権力を持った人間というのはかくもこれほどおぞましい物なのか。強い物が弱い物を苛める悪魔の快感。マーガレットはここ数時間の不安の代償とばかり楽しそうに、アーガンに語りかけた。
「アメリカはこの施設についてどこまで掴んでいるの」
「それは・・・」
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リーガンの元に無事セリアを届けたジルは今来た泥道をひたすら研究所に向けて走り続けていた。往路の段階で殆どのゾンビを倒してしまった為、行程を邪魔する物は殆ど居ない。と前方から恐ろしい勢いで白い大型の生物が走り込んで来るのが見えた。
「くっ」
足を止めベレッタを構える。新生物か!とジルが銃を構えた瞬間、その生物はジルを一顧だにせず走り抜けて行ってしまった。
「え???」
走り抜けた方向はジルが今来た方向。万里の長城である。まさか狙いは
「セリア!」
慌てて無線装置の音声を入れる。しかしズーズーと言う雑音ばかりで返事が無い。こんな時に電波障害か!と思ったがこうなったら元に戻るしか無い。ジルは銃を腰のホルダーに戻し全力で走り始めた。虎の足に間に合うはずもないが、そうせずには居られなかった。
「リーガン!セリア!!危ない!!!」
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北八景に到着したセリアはジルを見送った後、リーガンに言い放った。
「ここに長居をする事は危険!即移動しないと絶対に危険だと思うの」
「しかしそうするとジルを含むその他のメンバーの脱出が・・・」
「現段階の作戦を聞く限り、脱出地点の変更は容易に可能な筈。とにかくここは”絶対”に危ない」
「ここが襲われる可能性があると」
「機動力の高い生物兵器が開発されています。おそらく”朱雀”か”白虎”、壁面があることを考えるとより機動性の高い”白虎”がここにやってくる可能性が高い。お願い私を信じて!」
「しかし・・・」
得々と訴えるセリアにリーガンは自分の意志で「移動するべきだ」と判断を下さした。回収部隊のステルス戦闘機に連絡を取り、今居る長城の終点部分には起爆装置付きの爆弾をセットする。暗闇の中にステルス戦闘機が姿を見せたその時、セリアが悲鳴をあげた。
「今あの長城の中央部分に”白虎”の姿が!!!急いで!!!」
ステルス戦闘機から伸びたロープにしがみつくセリア。しかし腕力が無いのでフラフラとすぐ落ちそうになってしまう・・・爆弾を設置し終えたリーガンが慌ててそれをサポートするように飛びつく。長城から二人の体が10-20m離れた所でリーガンの目にも白い稲妻のような生物が見えるようになってきた。暗闇に浮かぶセリアの白いワンピース。生物は走りながら上目使いに、確実にそれを見ていた。
「早く!!!早く!!!」
---
「俺が聞いたのは単純に、セリアの父親が政治的権力を持った人間だと言うことと、彼女自身が偶然にもTウイルスのキャリアだと言うことだけだ。それ以上は何の説明もない」
「ぶっきらぼうだこと。では逆に質問するわ。あなたこの研究室内を大分回ったようだけど何か気が付いた事は?」
「・・・。この施設で見た女はサリー以外であんた一人だ」
「あら、良く気が付いたわね。やはりただの泥棒猫と言うわけではなさそうね」
マーガレットは机の上から幼児のホルマリン漬けを手に取ってアーガンに見せた。いやこれは女性体である。
「全部じゃないの。これ一体ともう一つだけが女性体。Tウイルスに羊水を汚染されても生まれる事が出来たのは」
「セリア」
「正解」
マーガレットは顔をしかめながらホルマリン漬けを机に戻した。密封してあると言っても容器の縁ぶちにはホルマリン特有の厭な臭いが染みついているらしい。手の甲を軽く揺すりながら再びアーガンの方を見、マーガレットは続ける。
「あなたにはこれ以上教えてあげられないけれど、まあいいわ。今の受け答えで大体の事が分かったから。あなたにはこの場所で死んで貰うことになるけれど、このサリーとやらは無事出産が終わるまで生かしておいてあげるわ。だから安心して・・・」
「出産!!!」
「あら、知らなかったの。彼女妊娠しているわよ。とはいっても初期段階だから男性には分からないかもしれないわね。恨めしそうに私に言っていたわよ。
「絶対に助けに来てくれるから」
「彼を誰よりも愛している」」
マーガレットの言葉が終わる前に、アーガンは足首に隠したナイフを持って走り出した。
「何故そんなに大切な事を教えてくれなかった!知っていたら作戦などに参加させなかったものを!!!」
とたんに、マシンガンの連続砲火!と思いきや、飛び出したアーガンの体にかかったのは白い猛獣捕獲用の網であった。またしてもマーガレットの笑い声が部屋中に響き渡る
「あせらない、あせらない。折角だから人類最高進化の過程を見せてあげる。なかなか見たくても見られる物じゃないのだから・・・」
拘束台のサリーに向かってマスクをした複数の医者が歩み寄っているのが見える。手には透明の注射器を持っていた!!!
「まさか!!!!!サリーを汚染させるのでは!!!!!!!!」
「うあああああ。やめろおおお」
暴れても暴れても網がはずれるはずもなく、より体の節々に網が絡まりより苦しい状態になるだけであった。
「汚染だなんてとんでもない。これが新しい人類進化の歴史よ!!!」
アーガンの目の前に地獄が見えた。よもや自分の子供が!!!
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危機一髪。セリアとリーガンは無事ステルス戦闘機からの綱に飛び移ることが出来た。虎自身飛翔し、追いかける振りをしていたが、落ちれば万里の谷底。そこまで任務に命をかけるタイプの動物では無いようだ。口の中の牙を恨めしそうに噛み締め、「ググウウウ」と唸っている声が数メートル離れた先でも聞こえてくる様だった。
「残念だったな!あばよ!!!」
リーガンは手元の爆弾を起爆させる小型のデススイッチのスイッチを解除した。万が一リーガンがやられた場合でもこのタイプのスイッチであれば、リーガンが死んだ瞬間にスイッチが入り、最悪”自爆”という形で相手を追い払うことが出来る。
ツツツツツという機械音が鳴った後、万里の長城の最終地点が「グオオオオオン」という爆音と赤い炎を立てて破裂した。この爆風であればどんな無敵の生物兵器であろうとひとたまりも無いで、あろう。時間差あって、強い爆風がセリアとアーガンを襲って来た。
「戦闘機の中へ。ここは危ない」
アメリカ軍最終兵器ステルス戦闘機。それも今回の作戦で動員されたのは更に極秘の丸形ステルス戦闘機である。通称”UFO”と呼ばれる種類であり、ハリアーのように空中で停止のみで無く、ジグザグ走向、後方回転などありとあらゆる動きが可能な作りとなっている。
ステルス戦闘機の大きな特徴は敵のレーザーに”写りにくい”事である。電波を吸収する塗料を機体全体に塗り、形状事態もレーザーを乱反射しやすいように作られている。何かあった時は世界戦争にも発展しかねない今回の作戦成功の為に用意されたジル達の最終兵器がこの戦闘機であった。任務さえ完了すればこの機体はマッハ3という人類最高のスピードでこの地を後にする事が出来る。
「とりあえず一番安全な上空で待つことにしよう。無線が届くギリギリの高さまで浮上してくれ」
「了解」
コクピットに顔を出したリーガンに操縦員が答える。顔は先ほどの爆風で真っ黒である。危機一髪。しかしまだまだ完全に危険が終わった訳では無いのだ
「何か飲むか、落ち着くぞ」
「ありがとう・・・」
腰に付けられた3つの水筒の一つを取り外し、セリアに進めた。森林に侵攻する時は飲み水の確保が一番の重要事項である。時には腰に5つも6つも水筒を付けることもあるし、隊の中に装備を一切持たず、一人専用で飲み水の担当員を用意する事もある。都市部外での作戦が多いリーガンは常にそういった習慣からプライベートにおいても必要以上に水筒を持ち歩く癖がある。子供達はそういったリーガンが少々恥ずかしいようであるがー
「ありがとう」といってセリアは水筒を受け取る。人肌以上に温まった水であるからそう美味しいはずもないが、セリアは一気に飲み干した。休める時には休んでおかなくてはならない。まだ全てが終わった訳では無いのだから
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ジルは長城の奥から聞こえてくる爆音に全てを察した。この音からして相当量の爆薬を使用している筈である。二人は安全地帯に待避したと考えて良いだろう。
「残るは、研究所爆破のみ!」
ジルは又歩を研究所へと戻した。ステルスの中に居る限り安全な筈である。後は研究所を爆破し、アーガンを救い出すだけである。
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アーガンの声はむなしく部屋に響き渡り、サリーの子宮には容赦無くTウイルスの入った注射器が挿入された。ここには既に何もない。あるのはただ絶望のみである。
「うおおおおおおおお」
「ウイルスに汚染された子供は98%の確率で”男性”として生まれる事になるわ。おめでとうパパ。中国の家庭ではね女の子よりも男の子の方が喜ばれるのよ」
「おおおおおおおおお」
「一人っ子政策と言ってね、人口爆発を防ぐために一家庭一人の子供しか作ることが法律で規制されてからは更にね」
アーガンの耳にマーガレットの言葉は脳を経由してそのままそのまま抜けて行ってしまう。呆然自失状態であった。
「だから実験体には困らなかったわ」
「実験体????まさか!!!」
アーガンは一気に正気へと戻った。まさか!一般人を使ってこのおぞましい実験を行っていたのでは!!!
「皆嬉しそうに汚染されて行ったわよ。我々に心からの感謝の言葉を残してね」
この国では自分の墓の火を消さぬ為に”男子”を産むと言うことは何をさしおいてもしなければならない女性の重要な任務である。その女性の弱みにつけこんで、実験を続けていたとは!!!!!そしてあまつさえ迷い込んだ女性エージェントさえもその毒牙に!!!
「お前達に道徳という言葉は???」
「新人類の誕生に協力しただけよ。産まれてきた子供は全て、通常人とは思えないほどの体力と頭脳を持って産まれてきたわ。文武両道。でもね産まれた後で遺伝しレベルで解析を行ってみた所、遺伝子構造がヒトとたったの約0.5%程違う為現人類と繁殖は出来ない事が分かったの。これは新種として重大な欠陥!産まれてきた子供は全て繁殖相手を持たない”ロンサム・ジョージ”だったのよ」
「繁殖の対象となるのは、汚染され唯一生存している女性体、セリアということか、だから彼女を拉致し、保護したと」
「その通りよ。彼女だけが新人類の聖母マリアとなり得る存在なのよ!それだけでは無いわ。もし本当にセリアが子供を産んだとしたら、それこそ正に”純血種”、新しい人類が真実の意味で誕生するのよ」
「狂っている」全てを悟ったアーガンは綱に絡まった体を動かすことを止め、体と意志を停止させた。もうどうなっても良かった。できればこのまま何も見ず知らせず殺して欲しかった。目を閉じ動きを止めた。
「さらばだ」
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ジルはようやく研究所にそびえ立つ木を伝って、研究所の屋上階へ忍び寄った。研究所内は全てが終わったが如く、静まり返っている。
「アーガン、アーガン応答して」
「・・・」
返事はない。研究所の奥深く入り込んでしまったのか、無線機が壊れてしまったのかは不明であるが、時間を変え何度か連絡しても返事は返って来ない。失敗か?と不安を抱えつつ、屋上階から下階へ一歩一歩降りて行った。
「グルルルル・・・」
さすが研究所内部である。今までのゾンビの攻撃が優しかったと思えるほどの量のゾンビがここぞ、とばかり襲いかかってくる。弾数を温存させる為にジルは出来るだけゾンビの攻撃を避ける方法で廊下を駆け抜けて行った。現在ジルの唯一の頼りはアーガンの指輪に付けたセンサーのみである。「チ・チ・チ・」という音を頼りに階段を駆け下りる。とたんに強敵朱雀ことダチョウに出くわした。
「クウウウウウ」
これは逃げられる相手では無い、とジルはベレッタを構えた。今度は先ほどと同じように弾を乱発させる訳にはいかない。狙うべきはその頂上の頭である。ダチョウの動きは基本的に直線である。ジルは自分のカンを信じ、連射する事無く腕の反動を出来るだけ殺しながら狙い撃ちを行った。
「ギュアアアアアン」
あたった!と思いきや、あたったのはダチョウの右目であった。更に怒りを増し襲いかかってくる!しかしジルは冷静だった。見えなくなった右目の方向に体を移し、動きが止まったダチョウの頭を今度こそ間違いなく射抜いたのである。
「ギャアアアアア・・・」
飛び散る血潮。体が跳ね上がるように階段から落ちていく。ジルも足下に多少返り血を浴びたが、足が滑る程では無い。足下が血潮でジャリジャリと言うのが気持ち悪いが、そうも言ってはいられない。階段を1階まで降りるとそこには2頭のゾウガメが今か今かとジルを待ちかまえていた。
「グーグー」「グーグー」
階段を降りない限り攻撃をしかけて来ることは無さそうである。上から試しに銃を撃って見るが甲良によってはじき飛ばされ効果は無さそうである。ゾウガメの武器はこの固い装甲と鋭い口である。噛まれればそのまま肉をえぐられてしまう事は間違いない。
「やりすごせるか、どうするか・・・」
ジルは思い出した様に走って2階へと戻った。近くにあった研究室に入り、そのカーテンを力の限り引きちぎる。そして元の場所に戻り、ゾウガメの頭上目がけて投げつけた。
如何にゾウガメが強固な装甲を誇っていたとしても唯一攻撃をする事が出来る箇所が急所と同一であるというのは大きな弱点であると言って良いだろう。白い海に邪なゾウガメの顔が現れた瞬間、ジルは狙いを定めて撃ち放った。
ガーーーーーン・ガーーーーーン
ギュアアアアア・ギュアアアアア
白い海が一気に鮮血に染め上げられる。ジルは躊躇せずゾウガメの背を伝い一気に階下へ走り抜けた。致命傷で無かったかも知れないが、あの傷でジルを追跡するのは相当苦労するはずである。逃げてしまった方の勝ちであることは間違いがない。
階段から2部屋ほど行った所であろうか、部屋の中央に不自然な鉄の階段を発見した。
「地下への入り口・・・エレベーターだけではなかったのか・・・」
センサーの音は間違いなく階下を示している。下に降りるしかない。ジルはパイナップルを階下に投げ、下の敵を殲滅させようかと思ったが、万が一階段直下にアーガンが居ることを考えるとそれは出来なかった。そこで非常用に持ってきたライオット弾を使用する事にした。これは爆音と強力な閃光で人間の自己防衛本能を誘発させる特殊弾である。今回ジルが持っているのは特殊部隊で使用されている特殊弾であり、これ1つでTNT火薬100g分の音を発生させる事が出来る。
ズオオオオン・・・
音が鳴りやんだ瞬間、ジルは姿勢を低くして降りると言うよりも滑るように銃を構えたまま階段を降りて行った。階下には誰も居ない・・・
「アーガン!!!」
白い網に絡まれた米軍兵らしき姿が見えた。抱き起こしてみると間違いない。アーガンである。既に複数の弾丸を体に受け事切れている。アーガンが倒れている辺りの床は銃弾がめり込みデコボコになっている。どうやらこの位置で捕獲され、銃弾の雨を受けたようである。
!!!ジルは前方に人のけはいを感じた。
「許さない!!!」
前方に居る人間がサリーである可能性は皆無に近かった。サリーであればもっと駆け足でジルの元に戻ってくるはずである。間違いなく前方に居るのは敵、である。ジルは手に持っていた手榴弾を1,2と数えた後投擲した。15m程飛んだであろうか、手榴弾は破裂し、辺りにすさまじい音を響き渡らせた。
ズガアアアアアアアンンン
手榴弾というとその爆風で殺傷能力を増す物だと思われ勝ちであるが、実際はその爆風で辺りの金属片をまき散らし、その金属片がより一層の殺傷能力を生み出すのである。その破壊から免れるには口を開け、耳を押さえ内蔵の破裂を防ぐ今年か出来ない。
手応えが返ってきた。ジルはそのまま手榴弾の着地点まで走り寄った。二人の東洋系の男性が倒れている。これはゾンビではない。人間である。
「・・・・」
地階の奥の方で人が逃げるような音がしてきた。逃げる気だ、ジルは本能的に察知した。
「逃がさない!」
ベレッタの弾倉の中身を確認し、ジルは気配の方向目がけて走り始めた。理性が飛んでいる。その目は獣となり、体は隼のように軽く目的目がけて飛びたって行った。
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「何なのあの女は!」
突然のジルの攻撃にマーガレットは狼狽しきっていた。突然の爆音。研究員全てがおののくには十分すぎる衝撃であった。誰最初となく地下から地上への別の位置口エレベーターへと殺到した。誰もマーガレットを構ってはくれない。当然の事ながら突然被検体となったサリーは研究所内に置き去りとなった。
「指示に従いなさい!誰が逃げて良いと言いました!!!」
というマーガレットの言葉を聞く物は居ない。
エレベーターから1階に上がった第一隊には先ほどジルが半死半生にしたゾウガメが襲いかかっていた。顔半分を飛ばされ敵味方分からない状態。研究員は次々とゾウガメの餌食となって行った。前方の虎、後方の狼。とたんに逆流する人の波。マーガレットは一人人の波を押しのけ、地下に唯一封印した四神シリーズ最後の”青龍”を出すことを決意した。
「これで最後よ!行きなさい!!!」
グオオオオン
嘶きながら二重檻を抜けていく”青龍”コモドドラゴン。四神シリーズ最強の強さを誇りながら、そのずるがしこさ、凶暴さ故に地下に封印されてしまった個体。体長6mを勇に越えるその体は悪までしなやかであり、時には地上最速を誇るヒョウさえも補食し、餌にしてしまう。当然人間などひとたまりもない。ガブッと一口されただけで最後、である。例え生き延びたとしても、噛まれた傷口から無数のバクテリアが体内に入り、神経系に異常をきたしてしまう。あまりに危険、危険ゆえにこのような非常時に役にたつのかもしれないが
マーガレットは一瞬自分が襲われるのでは無いかと恐怖を感じた。しかしその爬虫類の目でマーガレットをちらっと見ただけで、走り去って行ってしまった。コモドドラゴンの最大の武器はその湾曲した口と鍬のような歯と野太い腕についた獰猛な爪である。口にした物はたとえ何であろうと力任せに引きちぎってしまい、腕にした物が原型を止めて居る事は無い。
「に、逃げましょう私も」
コモドドラゴンが立ち去った後、マーガレットはようやく足を動かし始めた。ジルを倒した後制御を失ったコモドドラゴンが何をするかは分からない。地上に唯一残された”恐竜”誰教える訳でもないのに、脇目を振らず、銃を構え殺気漂わせるジルの元に迫って行った。
ギュアアアアアアンン
「何これは!」
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危機を感じたジルはすぐ一歩後ろへ下がった。コモドドラゴンのスピードは速い。ヒュイっと風が音を立ててジルの目の前を通りすぎて行く。そのまま走り進んでいれば、その太い尻尾がジルの首筋を確実にヒットしていたはずである。
「ドラゴン????」
巨体に似合わず、スピードが速い。やはりトカゲ系の生物の特徴と言った所であろうか。直撃を恐れジルは柱の影に隠れながら銃口をコモドドラゴンに向けた。ガツン・ガツンとドラゴンの体に銃弾がめり込んでいるのは間違いないのだが、動じる様子はない。間合いを詰め、巨大な尻尾と爪で攻撃を繰り返す。
「つううう!!!」
平面上での戦闘に勝ち目はない!とジルは元来た方向に向かって走りだした。とにかくコモドドラゴンの上部に回り込まなくては!!!
「グアアアアアアー」
より高いうなり声をあげてコモドドラゴンが直線でつっこんできた。今度は避けきれない。ジルは全身をしこたま壁に強打されてしまった。銃だけは手から離さない。痛みを堪えて二撃目の攻撃を避ける為に右側へと体を転がす。勢い余って壁に激突するコモドドラゴン。どうも攻撃行動は直線的な動きが多い様である。ジルは体勢を元に戻し、コモドドラゴンが壁への激突で怯んでいる間に階段へと向かった。これには勝てない。とにかく逃げなくては!!!!
「グオオオオ」
壁にぶつかったコモドドラゴンのダメージはない。顔のある上部を左右に振りジルの位置を確認し、またしてもつっこんできた。どうやらジルの体を下に転がした後で、その牙を使って八つ裂きにするつもりであるらしい。
逃げる。追う。獲物とハンターの関係である。考える時間を与えないこの争い。ジルは息を整えながら何とか対策を考えようとしていた。
「うああああああ」
ジルは迫り来るコモドドラゴンにドロドロした殺気を感じた。こいつは敵を倒したあとそれを”喰う”気である。
「喰われてなるものか!」
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サリーは拘束台の上で目を覚ました。頭痛が酷い。睡眠薬を嗅がされたのまでは覚えているのだがその後の記憶が全くない。不純物が多い睡眠薬であったのか、覚醒しても頭がフラフラとする。
「ここは・・・」
どうやら研究室の一室であるらしい。虎に掴まり尋問を受けたところまでは覚えている、その後は・・・
「うあああああ」
「ジル?」
間違いない。ジルの声である。慌てて自分を拘束している拘束具の金具を外す。通常の人間には難しいかも知れないが、サリーは右手の関節を自由自在に外すことが出来るという特技を持っていた。がくっと右手の関節を外し、金具をすり抜けさせた後で関節を元に戻し、自由になった右手で左手、両足の拘束具を解く。自由になった両手両足を上下に振るが右手のけが以外は何の問題もない。幸いなことに右手の出血は止まっていた。
「動ける!」
拘束台を飛び降り、部屋の武器を探す。「何もない!」と叫びながら研究室の中を引っかき回す。机の中に護身用の拳銃でも無いだろうか・・・と思いきやもっと大きな物が研究室のセイフティボックスの中に見つかった。猛獣用のライフル銃である。サリーが競技で使用していたものとはモデルが少し違うが、十分な武器である。ライフル銃の胴体はクルミ製、女性向けなのかかなり軽量化されたタイプである。
弾は散弾弾が20発程残されていた。早速装填し、研究室を後にした。
「ジル!!!」
善戦している。とは言い難い状況がそこには広がっていた。間合いを詰められ、攻撃され、ジルの顔には既に表情は無くなっていた。
「ジル伏せて!」
事、クレー射撃において、トラップ射撃であろうと、ダブルとラップ射撃であろうとスターズの中でサリーの右に出る物は居ない。ライフル銃から発射された弾は確実にコモドドラゴンの喉を捉えた。
「ギュアアアアア」
あたった!コモドドラゴンは動きを止め、突然現れたサリーに標的を合わせたのが分かった。サリーは即時に弾を詰め替え、連射する。どかっつ、どかっと今度は前足に弾が命中する。コモドドラゴンの肉が花火のようにはぜて消えていく。これでもう高速で移動する事は不可能であるはずである。たまらずコモドドラゴンは床に転がった。相当痛い様である。
床に金色の青龍のコインが転がるのが見えた。ジルは用心深くコモドドラゴンの元に駆け寄り、コインだけを拾い、安全な地帯へ駆け逃げた。これがあれば正面入り口の扉が開くはずである。
「サリーとどめを刺すことはないわ。もうここに用は無い!逃げるわよ!」
「アーガンは?アーガンは?」
サリーは会話をしながらも弾をさらに銃に込め、今度は左右に揺れる顔面を狙った。散弾銃の弾が勢い良く頭上に当たるがやはり爬虫類。それでも即死はしない。巨大な肉塊があえぐ、あえぐ万が一でもこの動きに巻き込まれたら命は無い。
「アーガンは残念だけど・・・とにかくもうここに用は無いわ待避します」
「残念ってどういうこと、ねえ」
「私が到着した時には既に死亡し遺体はこのフロアの入り口にありました」
ライフル銃を背中に背負い、サリーはジルの方へ走り出した。外への出口、階段の下にアーガンの死体を発見し泣き叫ぶサリー。ジルはアーガンの腰から研究所爆破の為に設置したプラスチック爆弾の起爆スイッチを取り出した。後はこの研究所を脱出し、このスイッチを押せば今回のミッションは終了するはずである。
ジルは「ここに残る!」というサリーの手を必死で出口に向かって引っ張った。死んだものは戻らない。生きた者はそれらの屍を生かす為にも生者の国に戻らなくては!
「サリー行くわよ!」
「いやー。私もここで・・・」
サリーよりもジルの方が2倍は腕力がある。腕力に任せて人に言うことを聞かせるというのはジルの流儀に反するが、言うことを聞かない人間を最終的に納得させるには致し方ない。階段を登りきり、正面玄関にたどり着き3枚目のコインを正面玄関にはめ込んだ。しかし扉は開かない。
「あと一枚足りない!」
とジルが叫んだ瞬間、背後に獣の気配を感じた。
「ガルルル・・・」
サリーは全身に殺気を感じた。サリーを捕獲した例の虎では無いだろうか・・・振り返り後ろを見ると虎の全身は硝煙にまみれ、口元は赤い血で真っ赤になっていた。虎の後ろには数人の研究員とおぼしき死体とゾウガメ2体の死体が転がっていた。
ガチャン。サリーは背中のライフルを構えた。いかな強化された虎であったとしてもこの近距離で撃たれたとあれば命は無いはず、引き金を引こうとした瞬間、虎は首にかけられた金色のメダルをジルに投向かって投げ飛ばした。
「サリー待って!」
靴にあたったコインを拾うジル。瞬時に虎の言いたいことが分かった。虎もこの場所から逃げたいのである。自分のメダルと引き替えに命乞いを???
見れば虎にもう闘う気力は無さそうである。口元の血は複数の赤色に染まっている事からも獲物からの返り血だけでなく自分自身、爆弾の爆風を浴び内臓破裂を数カ所起こしている為であるのは間違いない。前足は既にふらふらとおぼつかない様子であった。
「助けて欲しいのか?」
「クウウウン」
頷く。後ろを向いた瞬間虎に襲われるかも知れない。と一瞬思ったが、足下のメダルを拾い、扉にはめ込んだ。とたんに「カチャン」という音がし、鋼鉄の埋め込まれた正面玄関の入り口が開いた。ジルはサリーに合図をして外へと飛び出す。虎もヨロヨロと後に付いてきていた。このまま自力でこの研究所を逃げることが出来ても、これだけの傷を負った後であれば生き延びることは不可能であると言うことを本能ながら知って居るかのような行動である。サリーもその姿を見てライフルを背中に戻した。後は走る、走る。研究所から5分ほど走った研究所から2kの高台の地点でジルはプラスチック爆弾のスイッチを入れた。数分後爆音と共に研究所が縦に裂けるのが見えた。中にいた研究員は全員逃げたのだろうか?しかしそれは今となってはどうでも良い問題であった。後は脱出するのみである。
「アーガン・・・」
サリーは両手を下に付き、涙にくれていた。何故このような結果に?何故?
「迎えが来たわよ」
気が付くと頭上にUFO型ステルス戦闘機が降りてきていた。この空き地に不時着するつもりであるらしい。任務完了。報告書の内容は悲しい内容になりそうであったが、とにかく今回のミッションは終わったのである。
「行こう」
ジルは立ち上がろうとしないサリーの肩を取った。
「どうして・どうして・・・」
戦闘機からリーガンが降りてきた。後はリーガンがうまくやってくれるだろう。いや、やってもらうことにしよう
ジルは独り呟きながらこの忌まわしい地を後にした。作戦に犠牲者が出るというのは何度あっても慣れると言った事はない。後はたださめざめとした「ああすればよかった。こうすればよかった」と言うような後悔感だけであった。
「ジル!」
ステルスの中では安全ベルトをしたセリアが待っていた。親指をあげて作戦の成功を祝う。ジルも苦笑いしながら右手の親指をあげた。
「さ、本部へ戻るわよ!」
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スターズ本部。
本部に戻ったジル達メンバーは全てスターズ事務局に集まった。ジル、サリー、リーガン、セリア、そしてアムール虎が一匹である。
「何故虎が???」
と現場は混乱をきたした。当然であろう一歩間違えれば一撃で人間を殺す力を持つ巨大な虎が拘束具を付けずに本部内を歩き回っているのである。連れて歩いているジル自身どうやって説明して良いのか分からない。大体こんな所にまで付いてくると思わなかったのである。
明らかにこれはアンブレラの”生物兵器”、なのである。捕獲が可能であるのであれば、持ち帰り研究対象とするのは当然であるのだが・・・当の虎の方としてはステルス機で休憩を取りけがの手当を受けたお陰か元気一杯、愛敬こそ振りまいてはいないものの、大人しくジルの後ろにぴたっと付いて離れない。
「がりっとやられたら痛いだろうな」
やりかねない。と誰しも思ったからこそ事務局に虎が入っていくのを黙認したのである。しかし噛まれてもコモドドラゴンとは違い、場所によっては腕が一本無くなる位で、生き残れるかもしれない。人語を理解する特殊生物。ジルは作戦の終了と共に簡単な経過を事務局長に報告した。
「で、これが中国で捕獲したアムール虎です。どうしましょう」
「どうしましょうと言われてもな・・・スターズの生物研究所の方で預かるしか無いのだろうが、ワシントン条約とかには抵触しなければ良いが・・・」
「いえいえ、ばっちり触れます」
当然の事ながらジルの行動は十二分にワシントン条約に抵触しているのは間違いがない。ワシントン条約は簡単に言うと絶滅動物を保護するための国際的な条約である。現在生存する虎の8種類全てがこのワシントン条約に守られている。虎の国外への持ち出しに関しては繁殖などの目的以外には一切禁止、特にアムール虎は希少種である為、中国においては中国第1級保護動物に指定されている。恐ろしい話、虎の死体を転売しただけで銃殺刑という恐ろしい刑が待っているのだ。以前は漢方の良薬として珍重されていたそうだが、絶滅の危機に瀕している現在はそうでもしないと乱獲をする人間から虎を守ることが出来ない。
「捕獲したと言いますか、保護したと言いますか、勝手についてきたと言いますか、判断が難しい所なのですが、この虎人語を理解します。あまり余計なことを言わない方が良いと思いますが」
「ぐむむむ・・・」
所長は半分冗談で殺して毛皮を売ろうと少々思っていただけに、ジルの話を聞けば聞くほど眉が山のようになってしまうのだった。
「下手に筋を通そうとすると確実に国際問題になります。局長の責任問題で済めば良いのですが・・・」
「見なかった事に・・・」
「は?」
「自発的に虎に中国に帰って貰うというのはどうかな?」
「は?」
「ちょっと難しいかな・・・」
いやいや途中で脱走した事にすれば良いのでは・・・と言おうと思った瞬間、目の前に正義感に燃え上がるジルの赤い顔があった。
「Tウイルスに汚染されている個体を野放しになんてできません!何を考えて居るんですか!!!」
「いや、やっぱりまずいかー」
笑い話はこの位で、サリーはこの作戦を最後に引退することを事務局長に連絡した。とりあえず決断は保留されたものの、数日中に認証される事は間違い無かった。サリーの顔は醜く引きつり、肌の色は血の気が全く無い真っ青のままであった。
セリアは簡単な健康診断と精神鑑定を受けた後父親の元に戻される事と相成った。事務室から父親に4年振りに電話をかける。涙・涙の声の再会である。顔など身体的特徴は年を取るに連れ徐々に変わって行くが、声質というのはまず変わらない。
「パパ!パパ!!!」
「セリア!本当に!!よく無事で!」
「パパ!パパ!パパ!」
「神よ感謝します。ありがとう!!!」
もっと色々な事を話したいのだが、言葉が続かない。この失われた4年間を取り戻すのは一本の電話だけでは難しい様である。
ジルとリーガンは報告書を提出後、検査を終えたセリアを父親の元へと連れて行くこととなった。まず万が一でもアンブレラにセリアを奪われればアーガンの犠牲が水の泡となる。一度父親の元に届けてしまえば、要人警護用のSPがセリアの身を24時間守ることになる。
ジルは父親の胸元へ後も見ず走るセリアの姿を見て、本当に良かったと実感した。泣きじゃくる二人、ジルとリーガンは肩を叩きその場を後にした。これで全て終わり。  任務完了。こうしてジルの長きに渡る作戦は終了を迎えたのである。
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本当に?何かを忘れてはいない???


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「オギャーーーーー」

「可愛らしい男の子ですね、名前は何と付けるつもりですか?」
「ええ・アーガン、アーガンジュニアと・・・」

ライン