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もし、今車を買うとしたら

 ある晴れた、何をするでもなくぼーっとしていた日の事である。

「暇だからボールプールにでも行こうか」
「そうだな。あそこならタダだし」

 数年前、近所の日産座間工場が閉鎖され、カレスト座間というカー用品や日産車が展示される施設へと生まれ変わった。工場であった時は一度も中に入った事は無いが、カレストとなってからは月に一度、特に雨が降った日は娘を連れて遊びに行くようになっていた。理由としては中に大きなボーループールがあり、無料で公開されているからである。プラスチック製のふわふわのボールのプールに娘が滑り台の上から飛び降りる。この無料ボールプールの存在は近所のママさん友達にも非常に好評で、デパートなどに置いては短くて五分三百円、長くて二十分二百円程で公開されている。が、しかし無料である事に越したことは無い。

 疲れたら缶ジュースを飲む事も出来るし、疲れてごろっと出来るベンチの数も多い。そしてちょっと出費を覚悟すれば気の利いたアイスクリームも売られている。ケチな人間が子連れで行くには打ってつけの施設なのである。その日も又特に何を買う訳でも無いのにカレストに出かけ、娘を遊ばせていた。

「やっぱり無料ってのがいいよね」

 そこでは文句を言われたり、”又遊びに来て・・・”と冷たい視線を浴びせる人は居ない。しかし流石にその日は気が咎めたので、折角だから新車でも見ていこうかと言ったのがきっかけとなって、ボールプールの箇所から少し離れた店舗エリアへと移動をした。ここにも親が落ち着いて車を選べる様に幼児の為の遊ぶエリアが設けられている。考えてみれば車の車検が二ヶ月後に切れる。買うとしたら今のタイミングしか無いのである。今乗っている車はついに八年目に突入する。独身時代であればともかく、家族三人で軽自動車に後二年乗り続けるのか、と思うとかなり無理があるようにも思われた。

「大きいねえ。最近の車は」

 三列シートの車も多い。娘も新しい車購入にはかなり乗り気であるらしく、後部座席に乗ったり降りたりと楽しそうに続けている。アイボリー色のゆったりとしたシート。パールホワイトの車体は子供にとっても魅力的な物であったらしい。ノンビリと転がってなかなか外へ出てこようとはしない。バブルの時代とは違い、最近の車の傾向は小さい車体に大きな空間が大きな特徴である。数年前までは大型車にしか登載されていなかった三列シートがちょっとした五ナンバー車、つまり千五百CCから二千CCの車にも登載されるようになって来ている。アクセサリー類もかなり充実してきている。遠距離から鍵を刺す事無くドアを開閉する事が出来る、キーレスエントリーなどは既に標準装備の物が多い。中古車には無い、乗る人の事を考えた新しい車。興味が全く無いと言えば嘘になる。

「さ、今日は見るだけよ。家へと帰りましょう」

 まだまだ家のローンは払い始めたばかりである。先週は二回目の繰り上げ返済も行った。手元に現金は無いし、これ以上ローンを増やしては大変・・・と思ったのだが翌週も何かに誘われるように自転車で近所を散歩するついでに車の販売店を覗いてしまった。まだ買う気は無い。そう思っていた気持ちがこの時少し動き始めた。

 今も昔も車の販売店の佇まいというのは変わらない。ガラス張りの大きなショールームの奥に受付があり、キッズコーナーやちょっとした備品などが売られている。適当に車を見て回り、値定めをする。一番最初に目が付いたのは大型のワンボックスであったが、硝子に貼られた価格の看板を見た瞬間に靴の向きが変わった。三百万円近い車である。この車はどう考えても我が家の手の届く範囲に無い車である。

「何かお探しですか?」
「いえ、まだ何を買うとは考えてはいないのですが、色々と勉強させて頂こうと思い販売店さんを回らさせて頂いているんですよ」
「そうですか。もし宜しければカタログをお持ちしましょうか?近所に住んでいらっしゃるのでしょうか?」
「はい。二丁目の方に」

 間違えて以前住んでいた住所を言ってしまった。営業マンに案内され、ショールームに展示されている車を見て回る。話す内に一台気に入った車があったので見積もりを出して貰う。値段は二百四十万円程。車の見積書を見ること自体八年以上ぶりなので、高いのか安いのかさっぱり分からない。見積書を見ている内に気がついたのは下取り車の金額である。何も言っていないのに十万円と記載されている。

「乗ってきた自転車の値段じゃないですよね。うちの車は古くてこんな値段はまず出ないと思いますが」
「最低でもこのラインでは取らせて頂きます。これは概算だとお思い下さい」
「後他に付けたいオプションはありますか?」
「アルミホイールは付けたいのですが、その方が燃費が良いと言う話を聞いた事があるのですが」

 車のスピードを上げるには、まず車の重量を軽くしなくてはならない。しかし重量をより効率よく軽くするには、一番最初にタイヤの中心に近い部分を軽くする事が一番効率的な方法であるのだと言う。だとすれば、アルミホイールを登載するのは最初は高くついても効果がある事なのでは無いだろうか?

「レースでもやらない限り、燃費とはあまり関係ありませんよ。おそらく街乗りでは全く違いは出ないでしょうね」
「そうなんですか・・・八年間位騙され続けててしまっていました。じゃ、オプションはナビだけでいいです。後もしご迷惑で無ければ、具体的にローンの計算案を見せて貰えませんか?」
「何回で計算しますか?」
「普通何回位で払う物なのですか?」

 知らないのだから仕方がない。が、とりあえず二十四回と三十六回で計算を出して貰った。出てきた金額は何と二十四回で八万円!三十六回で六万円という金額であった。これは全く見当違いの金額である。これでは払えない。作り笑顔を浮かべ、夫婦で書類を持ち席を立った。

「とりあえず今日はこれを貰って帰りまして、検討致します」
「是非お願い致します。二丁目にお住みとの事ですが、住所と電話番号をお聞きする事はできますでしょうか?」
「構いませんよ」

 営業マンの記憶力は恐ろしい。嘘を言うつもりは無いが、うっかり余計な事を言うと後でつっつかれそうである。ボールペンを受け取り、アンケートに名前を記載する。後で聞くと頃によると、何と金利は十二%で計算しているとの事。定期預金すら一%いかないこの時代に恐ろしい利率である。支払い回数が少ないと金利が高く、支払い回数が多くなるにつれて、金利は低くなる計算になっているのだという。最大六十回程の支払いでは金利約八%、それでも高い。銀行などのオートローンを利用すると幾分金利は安くなるが、現在は六%前後といった所が多いようである。インターネット上の銀行では四.八%といった所も存在したが、信頼度については現在未確認である。

 その日は懲りずに更に一軒の販売店へと寄る事にした。自転車で移動しているため車の渋滞は全く気にならず、結構気楽な物である。段々調子が乗ってきた。到着した新しい販売店でも車について一通り説明を受け、見積書を受け取る。ここでもローンの計算の概略を教えて欲しいと言うと、最大六十回で計算した計算書を出して来てくれた。理由について尋ねてみると

「やはり二十四回や三十六回ですと、支払金額が多くなってしまうので生活自体がつまらなくなってしまうのでは無いかと思ったからです。もし早く返せるようでしたら一括返済といった形を取ることも出来ますので」
「繰り上げ返済、たとえば五回分だけ、十万円分だけ追加で支払うと言った事はできないのでしょうか?」
「一括返済だけとなります」

 あまり融通が利かないローンではあるらしい。気軽に寄ったつもりが、遅くなってしまった。早く家へ帰ろうと思いきや、途中で一番最初に寄った販売店で紹介してくれた営業マンと通りすがりに会ってしまった。

「今丁度そちらに伺おうと思っていたのですが・・・」
「え、何をしにですか???」
「カーナビの説明書をお届けに伺おうと思ったのですが」

 それを丁重に断りはしたのだが、家へと戻ってみるとしっかりポストには名刺と共にカーナビの説明書が入っていた。昨年までの傾向としては三:一の割合でDVDナビよりもCDナビの比率が多かったそうだが、今年は四:一でDVDナビの比率が高いのだという。やれやれ、と家の扉を開けると間に何やらカードが挟まれていた。

「お届け物???年末に頼んだパソコンがようやく来たのかな???」

 果たしてそれは最後に寄った営業所の物であった。車の納車があったので寄ったと書かれていたが、げに恐ろしきは車の営業マンである。明日もお休みだから今度は中古車ショップに行ってみようかと言っていた夕食の後、再び営業マンが家へとやって来た。

「娘がもう寝る時間なのでご遠慮頂けますか」

 と言いたかったのだが、その日は旦那が居た為家の中へと上がって貰った。どうやら締め日が近いので何とか売り上げを伸ばしたい問いのが考えであるようなのだが、こちらとしてもまだ決断する意志は無い。すると営業マンはこう続けた。

「今日お出しした見積もり金額は下取り金額を含んでいません。もしご迷惑で無ければ車を営業所で見積もってみたいのですが」

 有無もなく、車を早々に持って行かれてしまった。どうやらその営業所の所長が、中途半端な見積書を見て、”近所なら早く見積もって来い!これじゃお客様が検討出来ないじゃないか!”と強烈に発破をかけてきたらしいのだ。悪意が無いのは分かった。上が猛烈だと下はとにかく大変なのである。
 あたふたと営業マンが立ち去った後には”買おう・かな”と思ってきた車の試乗車が置かれていた。高価な買い物をする時はやはり勢いが必要。客がうかなと思っているときに思いっきり押さなければ、まず無理と言っていた大工さんの言葉が頭に浮かんだ。この大工さんは最終的に父にかなり高価な弓道場を売りつけていた。この手腕には正直拍手をしてしまったが、考え方としては決して間違っては居ない。

「やっぱりいいねえ。広い車は」

 夫婦で車の中を乗ったり降りたり、装備を確認する。全く乗り気でない訳では無いのだけれど、即決するには高い買い物である。暫くすると営業マンが戻ってきた。薄汚れた軽自動車は綺麗に洗車され、ワックスまで塗られている。どうやら夜の訪問について、かなり悪いなと思い、気を使ってくれた様なのである。

「下取り金額十五万円でどうでしょう」
 
 思ったより高い。それがその時の感想だったが、その日はそれでお帰り頂いた。このまま知識の無いままでは営業マンにやられてしまう。正直そう思った。頭金をいくら入れよう、ローンはどこから借りよう。夜遅くまで旦那と話しあった。そして翌朝というよりもお昼、近所の中古車販売店へと向かった。今乗っているこの車、実際一体幾らぐらいで売れるのだろう。

 中古車販売店に入ったのは回初めての事であったが、基本的には新車の販売店と変わらない。まずは車の鍵を渡し、見積もりを出して貰う。全体に傷がある事などが大きなマイナスとなっているようだが、出てきた金額は販売店と同じ十五万円という数字であった。

「この金額は本日お売り頂いた場合の金額です。車検が切れる三月に向かってこの金額はどんどんゼロに向かって減って行くと考えて下さい」
「ゼロですか?」
「逆に、こちらで中古車をお買い頂き、下取りとしてお売り頂く場合は又別となりますが」
「下取りとなるとおいくらぐらいになるんですか?」
「十八万円位でしょうか」

 希望の車種をパソコンを使用して検索して貰う。金額的には三年落ちの金額で百七十八万円であった車が百五万円程であった。金利は販売店とあまりそう変わらない。この金額であれば新車の方がいいかな・・・と最後にくじ引きを引くと、一等、購入資金十万円が当たった。

「おめでとうございます!これは使わないと損ですよ!」

 そう言われると、そんな気もしてきたが、これも営業所の販売戦略であろう。その日はもう少し回り所があったので割引券だけ貰いその場を立ち去った。このチケットは使わなければインターネットのオークションで売ってしまえばいい。とも思った。十万円であれば、一/三の三万円程であれば売れるのでは無いだろうか。そんな事を思いながら今乗っている軽自動車を買った販売店へと急ぐ。この販売店は一年程前リコール隠し問題などが大きく問題となった所である。見積もりを依頼し、車を見て回る。価格的には決して高くは無い車が数台並んでいて、内一つは候補の一つとなりそうな物であった。

「見積もり金額は基本的にはゼロですが、下取りとしてでしたら、七万円で引き取らせて頂くことが可能です」
「ゼロですか」
 
 その上、外に特別仕様車と書かれ置かれている車を購入する場合は既に十万円引かれている為、下取り金額はゼロであるという。一通り見積もりを貰ったが他のオプションが少々高い。時間も無くなってきたので話を途中で切って、最後の車用品販売店へ。オプションとしてMDを付けた場合、ディーラーオプションではMDLPと呼ばれる圧縮再生モードがどれも付いて居なかった為、別体で付けた場合どの位になるのかと思ったからである。単体ではそれ程高くない事が判明したが、やはりカーナビとの一体型となると高い。さあ、困ったねえと言いながら家へ戻り。お茶を飲んでいた時、またしても玄関のチャイムが鳴った。「今日は断ってね」と旦那に念を押し、後片付けへと向かう。帰ってこない。玄関で話し込んで居るようである。

「とにかく今日が今月の成績の締めなのです。もし価格的にご相談に乗れるような部分でしたら、努力致しますので、是非ご決断を」
「とは言われましても・・・まだ見始めたばかりでして・・・」
「お願いします。あとおいくらぐらいお引きすれば・・・十万円とかですね、具体的な数字を言って頂ければこちらとしては嬉しいのですが」

 具体的な数字が出た。旦那は判断しかね、私を呼びに来た。とにかく営業マンが大変な事は実際にやっていた事があるので分かるのだが、時刻は既に九時を過ぎている。非常識と言われても仕方のない時刻である。

「・・・。あとオプションとしてカーポリマーを付けたいと思っているのですが、これを付けておくと洗車が五年間要らないんですね」
「そうです。現在の塗装面にフッ素系のポリマーを付けることになりますので、新車の輝きが一年ごとの点検で五年保証出来るようになると言うわけです」
「某社さんでは、塗料にそういったポリマーを練り込んで入れることにより、塗装面を強化しているようです。だから既に標準オプションとなっているようでしたが・・・洗車が面倒という訳ではありませんが、出来れば長く綺麗に乗りたいですからね」
「全くその通りです。私としても皆様にお勧めしております」

 ポリマーの紹介文は価格表の隣に大きく記入されている。誰でも車の購入を考える人であれば、この欄は見るだろうと言う考えからであろうか。

「あとグレードは一つ上のにしたいと思います。木製パネルが気に入りましたので。その方が落ち着いた作りになりますよね」
「了解致しました」
「後は、少しでも勉強して頂けたら」

 その時はもう決めても良いと思った。旦那も気に入っているし、娘も気に入っている。あとは支払いの面である程度優遇されるのであれば、と思ったのである。

「下取り金額面でも、車の機能面でも誠意があると思いました。場合によっては今夜決断しても構いません」
「では幾らほど・・・」
「安ければ安いほどいいなあ」

 当然私の顔は笑っていない。空気が凍る。ここで動いた方が負けるのである。

「では、ポリマー代を無料にして、この金額で如何でしょう。端数を全て切る訳にはどうしてもいかないので、これで何とか決断して頂けないでしょうか」

 電卓を叩き、二百万を少し越えた金額を提示してきた。確かに端数が気になる。今が勝負の時である。

「端数を切って欲しいなあ。全部」

 すると絶妙のタイミングで旦那が声を入れる。

「切ったら、即決?」
「しても、いいです」

「切りましょう」

 営業マンの顔は笑って良いのだか、困って良いのだかという顔をしていた。かくして我が家は通常金額よりも三十万円程安く新車の車を手に入れる事が出来るようになった。空気が流れた後、営業マンは本店へと契約OKの電話を嬉しそうに入れていた。きっと電話の先では猛烈所長がフフフやはり私が正しかった、とばかりの笑みを浮かべているのであろうか。OKを出した営業マンはまだ電卓を叩きながら、この値引き額をどこから出すか思案気であるが、後で話を聞く所によると、金額面で多少泣かされても、やはり一台売れる、売れないというのは大きな問題であるそうだ。
 今回の大幅値引き額の理由としては、これ以上我々が色々な営業所を回り知恵を付けたり、営業側としての労力が増える部分を懸念した為とも考えられる。その後は暖かい部屋へと戻り、ゆっくりと契約書にサインし、支払い条件について打ち合わせを行った。納車まではまだまだ日付がある。さて、どうなるのだろうか。

「みきちゃん!新しい車来るよ!良かったね!」

 ついでにその販売店の提携するクレジットカードにも加入した。これはどの販売店でも行われている事だが、車を購入の際一定の金額をこのカードを使用して支払うと、商品券でペイバックすると言うシステムが存在したからである。今回加入したカードの車購入時の上限額は三十万円、加入しカード会社を通すだけで何と一万九千円の商品券が頂けてしまうと言うシステムである。商品券を貰った後は即解約しても問題は起こらない。戻ってきたお金は次の車検またはオプションを購入する際に役になってくれるだろう。

 後日契約をしなかった会社の数人から連絡があったが、その時の対応も中々面白かった。契約をした夜から三日経った後の出来事である。夕方突如として電話がかかってきた。

「どうですか、車の方検討されていらっしゃるでしょうか」
「はい。申し訳無いんですけれど、もう他社さんに決めさせていただきました」
「決めた!え、それは本当ですか?」

 どうやら我々は車を本気で買うような人間に見えなかったらしい。営業マンの口調は悪まで遊び風であったのが、がぜん本気になってきた。

「いやー。下取り金額をかなり沢山取って頂けましたので、決めさせて頂きました。我々が欲しい種類を選んだ場合御社はゼロという話でしたので」
「それはそうですけれど、もし本気で買って頂けるのであれば、その位の数字は勉強させて頂きましたのに」
「グレードも一つ上のにして頂いたんですよ」
「そんな事言ったって、下取りが少ないって言ったって、あの車をどこの中古車販売店に持っていっても十五万円では売れたでしょう」
「そんな事は始目から分かっていたんですよ。契約した会社の方は最初からその数字を出して頂いて、更に勉強して頂きましたので、こちらとしても誠意を感じたので」
「ん、あ、そうですか。わっかりました」

 電話はそこで切れた。まさに”勝ち組”と”ダメ組”の見本であるように思えて来た。更に数日後中古車販売店からも電話がかかってきたが、こちらも丁重にお断りしたと言うのは言うまでも無い。契約後の流れとしてはローン契約をし、車庫証明の為に印鑑証明を取りと言った少々手のかかる物がありはするが、後はベルトコンベアーのように進んでいくであろう。今は新しい車が来る事を指折り数える日々である。

[完]

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