ライン


人喰い〜究極の選択肢の答えは

 近所の子供がふと尋ねる。

「たっくんて美味しいの?」

 脈絡も無い質問。子供に深い考えは無いようだ。たっくんは1歳になったばかりの男の子の事である。見ている限り大きな風邪を引いた事も無い様であろうし、この年であれば、予防接種もまだ一つも受けていないはずだ。伝い歩きを始めた体はミルクでぶくぶくしていた幼児期初期当時と違い、程良く筋肉が付き、決して悪くない肉付きになっている。

「間違いなくこの近所では一番美味しいだろうね」
「ふーん」

 会話はここで終わった。実際人間の脂肪は煮ても焼いても食べれないと言うから、生まれたてよりも少し育った頃の方が比較的食べ甲斐はあるだろう。

 さて、筆者自身小学生以下の子供にこの種の話題を長く話し、反応を見て喜ぶ趣味は無い。しかし驚く無かれ、”人が人を食べる”それはアジアの隣の国中国においては本の数十年前”普通に”とは言わないが、実際行われて居た事である。

 ”どうしても食べる物が無く、お互いの子供を取り替えて煮て食べた”

 という話を聞いた事は一度や二度では無いし、実話であるかどうかは不明だが、食料不足が続く、文革の最中、ある日突然広場を歩いている25歳程の肉付きの良い男性を突然捕まえて、頭を落としてそのまま茹でて食べたという話が”大地の子”にも克明に記載されている。

 え?と考えると成人した人間を食べても、実際問題として、その当時は全然問題は無かったようなのである。やっぱり人間を生で食べてはいけない。豚などを食べるときに必ず焼いて食べる理由は、人間と体温の温度が一緒なので、病原菌が移る可能性が高いからである。最低でも茹でて食べるという方法はどんなにお腹が空いていても必要な手順であるのかもしれない。

 ”立っている物は椅子と母親以外は何でも食べる”

 さて、これは本当なのだろうか。実際に中国語を勉強し、その頃の古い書物を紐解いてみると、人間の肉は”両脚羊”(ヤンシャオロウ)と言う名前で紹介されているのに気が付く。
 二本脚の羊、この名前は味に起因するという説が有力である。ちなみに一番美味しい食べ方は生きたまま麻の袋に入れ、そのまま茹でて食べる事で有るという。

 なるほど、この食べ方であれば、文革の際の成人男子を食べた際の方法とほぼ一致する。人間の体が焼けると他とは比べ物にならない程の猛臭がする事から考えても、不必要な濃い油成分を抜く為にもゆでて、タレを付けて食べるというのがやはり一般的な食べ方であるようだ。

 しかし勿論こうした”人を食べる”という習慣は飢饉の時など一時的に食料が不足した時に行われたと言うのが一般的な見解ではあるが、やはり肉の軟らかい子供の肉などは”不老長寿に効く”との噂があり、好んで食べられた時期も実際にはあったようである。
 しかし更に他の書籍に目を移すと、一番美味しいのは確かに子供の肉であるが、その次に美味しいのは老婆など、年をとった人間であったという。

「肉にコクがあり、子供とは全く違った味わいがある」

 果たしてそう言った人間がいたかどうか、茹でて食べる以外の食べ方として、中国の古い逸話にこのような物が存在する。

 ある日、貧乏な家にその群の長官が立ち寄った。これは非常に名誉な事であり、その家でその長官をもてなす事になったのだが、その家には貧しい稗や青菜程度しか無く、今家にある財産全てを売り払っても、その長官一人を満足させる為の料理を作れそうになかった。

「これはどうしたものか・・・」

 その家には老いた両親と、一人の親孝行な娘が肩を寄せ合いながら生きていた。両親が困っている姿を見た娘は「私に考えがあります」とばかり、大鍋に大量の油を入れ、ぐらぐらと煮始めた。油から白い煙があがり、十分な温度に達した時、娘は長い髪を両手で掻き上げ、こう言い残し、鍋に飛び込んだのである。

「どうぞ私の身体を長官にお出しして下さい」

 飛び込んだ娘の身体はあっという間に丸揚げ状態になったのは言うまでもない。両親は泣きながらも長官の前に娘の遺体を差し出した。すると長官は、

「娘御の気持ちありがたく頂き申す」

 とばかり、娘の遺体に口をつけ、全て平らげたのだという。

 娘が自ら料理になると言うのも驚きであるが、それを料理として出す両親も両親、そしてそれを食べる長官もかなり日本人の感覚からは大きく離れているような気がする。ともあれ油であげるという調理法もあったことが伺えるのでは無いかと思う。

 以上の話は今から約五十年以上前の話である。もっと昔、三国志演義が描かれた頃の話となるともっと頻繁に語られる事となる。
 主人公の劉備元徳が山地を敗退している際、食べる物が無くなってしまった時の話である。それを見た部下の一人が、主人の不運を憂いて妻をその場で捌き、食料として料理して出したという話が普通に掲載されているのである。

 日本人の感覚からすると、

「こんな話本当なのか?伏せ字にしなくて良いのか?学生が読むような本に載せて良いのか?」

 とも思ったが、その様な配慮はその本についてはされていなかった。こうした点からも”人を食べる”という文化は文学の世界にも多いに浸透していた事が分かる。

 筆者自身学生時代、中国全土を列車に乗ってぐるぐると回ったが、犬や猫の肉は売られていても、人間の肉は売られていなかった事を追記しておきたいと思う。

「おねえちゃんいいものあるよ!寄ってって!」
「どれどれ」

 と狭い路地に一緒に入り、外国通貨を中国通貨に不正に換金したことはあったが、人肉の料理は出てきたことも、見たことも無い。
 実際に食べた人から話を聞いた訳ではないので結論だって言うことはできないが、やはり人肉より牛肉や豚肉、鶏肉と言った家畜の肉の方が安全であるし、美味しいのでは無いかと思う。

 それに現在中国で迂闊に人肉を食べると言った危険な事をした場合、「ちょっとした気まぐれで・・・興味があって・・・」などと、どんな言い訳をしても、有無を言わさぬ、”銃殺刑”となってしまうだろう。
 人間でなくても、寺院などに住んでいる猿を捕まえて生きたまま脳味噌を食べたりしても同じ事である。どかーんと一発、さようなら。となってしまう。

 インディージョーンズを含めた西洋映画に”野蛮な料理”の象徴のように描かれるこの”猿の生脳味噌料理”だが、これは非常に淡泊で美味しい料理なのだという。
 実際に食べたことは無いが、数十年前まではこの料理、法律で禁止されるまでは、実際に作られていたそうである。作られていたというよりも、お腹の空いたホームレスなどが、寺院などから気軽に猿を捕まえオヤツ代わりに頭を跳ね、涙を流す猿の顔を笑って見つめながら道ばたで食べていたというとんでもない記述を数年前に発表された日本人のコラムで発見した事がある。その筆者も実際に口にはしなかったそうだが、猿のあまりの哀れさに直視が出来なかったのだと言う。

 人間と猿の遺伝子構造は0.1%も違わない。味は一体どの位違うのだろう。実際に目の前に現れた時に本当に口にする事が出来るかどうか、自信は無いが、非常に興味はつきない所である。

 ともかく現在中国は何でも”銃殺刑”である。麻薬を一定量持っているだけで、女・子供と言えども容赦は無い。ある日寂しそうな目をした少女が公開処刑を受ける写真を見たことがあるが、これまた居たたまれない物であったのは良く覚えている。
 しかし又食べないのに、元気な人間を殺してしまうとは勿体ない・・・と思われたあなたはかなりセンスが良い。事実であるか現時点では不明だが、中国は銃殺刑によって出来た死体から必要な臓器を取り出し、臓器移植などに利用していたというニュースがまことしやかに流れているのである。

 実際の任務にあたったという中国人男性は現在ニュージャージに政治亡命中だが、”この臓器が必要だ”となったとたんに、たまっていた銃殺刑を実行するのだという。
 大体一体二百元から五百元で取引されているそうだが、それが真実であるのなら、移植の為にわざわざ長時間かけてアメリカに飛ぶよりも中国に飛んだ方が安く済むのではないかと思ってしまう。

 二〇〇一年四月の時点で既に今年の銃殺刑の数は千を越えるという。死刑にされた遺体もその銃殺した時の弾代を支払わないと遺体を引き取れないのだと言うまことしやかな噂も聞いた事がある。これはかなり真実に近い話であるらしい。
 そうして引き取られなかった遺体から臓器が摘出されているのかどうかは不明だが、筆者自身死んだら遺体は生きている人たちに有効活用して欲しいと思う。が、そう思わない人の遺体は出来れば荒さないで欲しいと思うが、如何なものであろうか。

 話が大分ずれてきてしまった。失礼。三十年程前に読んだ話をしよう。私が読んだときは小学校高学年の頃であった、あまりの気持ち悪さに数日間あまり良く眠れなかったのをよく覚えている。事件は冬のアンデス山脈にて起こる。突然ジャンボ機がその冬の山に墜落してしまうのだ。極限状態。食べる物は何もない。無線機が壊れてしまったので、連絡を取ることも出来ない、救出隊の到着の目処もたたない・・・その時彼らの取った選択は・・・そう、

 人を喰った

 のである。食べるという選択をした者は生き残り、食べると言う行為を選択出来なかった老夫婦はそのまま餓死してしまう。
 極限状態において人の身体を切り刻み、焼いてしまうと栄養素が減ってしまう為、基本的には干して食べる。そしてめくらめっぽう食べるのでは無く、当然の事ながら理性的に、墜落してすぐの死体の方が肉が多く太っている体を優先して食べていたのだという。

 その飢餓日数たるや何と七二日!最終的には二人の人間が雪のアンデスを決死の思いで降り、救助を呼ぶ事に成功し、全員が救出される事で事件は終了するのだが、この事件が発生した際、世界中は驚愕した。それは、何故か。冬が終わり、春になり雪が無くなったその現場を見ると、人骨が至る所に無惨に投げ飛ばされ、事件の悲惨さを各誌が伝えたからである。極限状態の彼らの選択、一体誰がそれを咎めることが出来るのだろうか。

”俺達は好きで人肉を喰ったんじゃねえ!”

 現在この話は書籍化されただけでなく、映画化もされている。決して美談では無いが、とりあえず現代人を生で食べても大丈夫であったと言う事が押して知ることが出来る。
抗生物質は?病気は移らなかったのか??ともかく舞台が、およそ菌が存在する事の出来ない激寒のアンデスであった事を十分に理解するべきであるかもしれない。

 人を食べて問題が無かった話ばかりご紹介したが、勿論実際に人を食べて酷い目にあった人も当然居る。一七三〇年パプア・ニューギニアでの出来事である。

 パプアニューギニアの一部族であるフォレ族では、成人男性だけが狩猟動物を食べていたため、女性や子供は慢性的なタンパク質不足に陥ってしまっていた。これを解消するため、死んだ親族を埋めずに食べると言う習慣が長く続いていたと言うのである。そしてその結果として「クールー」と呼ばれる奇妙な神経の病気が部族の女子供の間で広まり、結果として死者が多数出たと言うのである。「クールー」聞き慣れない病名である。これを現地用語ではなく、我々現代人が使う用語に直すと、「スクレイピー」若しくは「狂牛病」となる。つまり、簡単にまとめると

 狂牛病に感染した人間を
 食べた人間が狂牛病に感染し死亡するという事件が発生した

 と言うことになる。やはり人に感染した病気は人に移る様である。当然この悪しき風習は原因解明後禁止されたそうであるが、恐ろしい。

 では我が国日本ではどうであったのか。比較的日本では国民性のせいか、お腹が空いてしまった究極状態でも諦めて飢え死にしてしまう事が多いように思う。とにかく諦めが早いのである。無論数が少ないが、例外も存在する。

 城を囲まれ、食料が無くなり夜な夜な人を食べたという話も羽柴秀吉の三木城攻めがそれにあたる。
 夜、食べる物が無くなり困った兵士が前線にある鉄砲で撃ち殺されたばかりの新鮮な遺体を食べようと城門近くまで近寄って来た兵士を「夜襲か!」とばかりに秀吉側の兵が撃ち殺すと、とたん撃ち殺されたばかりの死体に三木側の兵が群がったという悲惨な状態。

 この状況をの責任を取って、総大将別所長治は、城兵らの助命を条件に開城。自らは責任を取って自刃して果てたと言われている。これはかなり極端な例であり、こういった例があるから、日本人も・・・という結論を出すのは難しいかと思う。

 しかし日本にも普通に”人を食べる”という習慣は存在したのである。

 それは何と江戸時代の話となる。正確には”食べる”というよりも”飲む”という行為に近いのだが、江戸時代、日本人は漢方薬の一種として”ミイラ”を飲んでいたというのである。
 一説ではこの”ミイラ”は人間を乾燥化した”ミイラ”ではなく、人をミイラ化させる為に使用した”没薬”、”ミルラ”が鈍ったものであると言う説もある。ともあれ効能としては”腹痛、頭痛”に非常に良く効いたのだという。一番最初に飲んだとされるのは”豊臣秀吉”であるという説が有力である。
 大概の”ミイラ”は記録によると、長崎の出島から大量に輸入され、日本中に広がったと言われている。そして”ミイラ”が一般的な漢方薬として町に出回った頃、こんな噂が流始めた。

「高い”ミイラ”はよく効くが、安い”ミイラ”は効かない」

 これは一体どういうことであろうか。農村地帯に残る逸話の一つに、売る物が無くて困った時、たまたま村を訪れた旅人を殺して、いぶし、ミイラ化して売ったという物がある。
 ご存じの方もいらっしゃるかと思うが、”ミイラ”が効くのではなく、人をミイラ化させる為に使用した薬剤の一種が身体に効くのである。素人がいぶしただけで作った純国産”ミイラ”が身体に良い変化をもたらす訳もなく、江戸の町には妙に安い”ミイラ”が氾濫する事となる。
 かくしてエジプトのミイラは日本人のお腹に収まり、原材料の無くなってしまった”ミイラ”はその存在を日本の歴史の流れからあっという間に消し去ってしまったのである。

 歴史は流れ、第一次世界大戦、第二次世界大戦と日本はかつてない大きな戦争を経験した。

 ”日本に無い石油資源を獲得する為”インドネシア、ハワイなどに攻め込むも、ロシア、アメリカを含む連合艦隊に追いつめられ、敗戦を経験するようになります。
 逃げる。逃げる。逃げる。いつしか倒れていく戦友達、遺体を日本に持ち帰ることが叶わない為、指の一部などを形見として持ち帰るといった事は良くやられたと言います。そういった中、食料に困った日本兵が人肉を食べたという記述をいくつか発見する事が出来る。

 特に好んで人間の肝臓を切り取り、持ち歩いて食べた人間が居たと言う記述も決して珍しくないが、これは栄養価的にも高く、日持ちもする。取り出すのにも解剖の必要も無いからであるという説が有力である。
 具体的な取り出し方は、肋骨の下にナイフで切り込み入れ、屍の胸を足で蹴るとだけである。さほどの苦労もない。そしてたとえ現地人に食べている所を発見された場合も腕一本持ち歩いているのに比べ誤解を受ける?可能性も低い。かくして逃走経路のあちこちには指と肝臓の無い死体が数多く埋められる事となる。

 味については一切の記述は無い。しかし第二次大戦下、父島においては好んでアメリカ兵の肝臓を生きたまま抜き取って食べたという記述もあるし、中国においては文革の際、生きたまま人間の肝臓を抜き取り、群衆が争って食べたという記述もある事だから、決してまずくはない部位ではないかと思う。

 これら人肉を食べた日本人は、ほぼ例外なく二級戦犯として処刑されてしまい、日本の歴史教科書にその内容が書き残される事はまず無い。戦時中はアメリカ大統領も人の骨で作ったボールペンを使用していたと言うからどっちもどっちだとは思うが、立場の弱い敗戦側の日本人は悲惨な運命を辿っている。

 人を食べる。部位ではなく、状態という点について、は1984年の台湾の炭鉱事故におけるとんでもない証言がある。普通肉は腐りかけ、腐る寸前が一番美味しいと一般的に言われているが、この生き残った炭鉱夫はこのように証言しているのである。

「死んでしまった死体は美味しくない。やはり生きている人間が一番美味しかった」

 息も絶え絶えの人間をまさかそのまま食べたというのであろうか???詳細、真実は全くの不明ではあるが、非常に興味深い情報ではある。

 そして現代の日本において人喰いの事件が発生した。そう”幼児殺傷・宮崎勤”事件である。まだ皆様の記憶にも鮮明に覚えているだろうか、簡単に説明すると、当時26歳だった宮崎勤は一九八八年から一九八九にかけて四人の幼児を誘拐し殺傷したという恐怖の猟期殺人事件である。
 幼児を言葉巧みに誘い出し、自分の欲望の為だけに殺したこの事件。二〇〇一年九月の時点では二審まで集結し、一審、二審とも死刑が求刑されている。この事件において筆者が注目したいのはこの事件を起こす最初のきっかけとなった宮崎勤の祖母の死である。

 両親ではなく、幼い頃から誰よりも大切に慈しんでくれた祖母の死に直面した時、彼はその現実を受け入れる事が出来ず、祖母と”一体”になる事を望み、その指を食べたと生々しく供述している。宮崎勤は決して食べる物に困っていた訳では無い。

 実際秘密結社などの結束の儀式などでお互いの血を飲み合い、その結束を固めると言った儀式が通常行われていると言われている。キリスト教のカトリックも然り、キリストは自身の持ったパンを肉、ワインを血と仮定して”キリストの聖なる力”を自身の身体に取り込もうとしているのである。この儀式に対して”それは違うだろう”という言葉を差し挟む余地はない。それは”思いこみの力”。その力は、下手な薬を飲むよりも強力である事は間違いないからである。

 その他現在日本では”プランセンタ”溶液というものが現在人気である。これは人間の赤ん坊の胎盤をエキスにした物から、羊、牛の胎盤を使用した物まで千差万別存在する。人間の赤ん坊の胎盤(妊娠初期)のものを一体どのようにして手に入れるのか???ともあれ皺を伸ばす効果は絶大であるらしい。恐怖話のように、筆者の母親から

「あまり高くて効果がある化粧品には使われているらしいわよ・・・だからそういう物には気を付けるようにしなさい」

 と言われた事もあるが、インターネット等で”ヒト・プランセンタエキス”と銘打って売られているのを見る事はあるが、買った事は無いため真実は闇の中である。

「子供が生まれた後の胎盤は汚れてしまっているので、使い物にならないらしいのよ。使うのは中絶したりして残った綺麗な胎盤のみらしいわよ」

 聞けば聞くほど、リアリティを増し恐ろしい。どうやら人の胎盤から抽出したプランセンタエキスは注射によって直接静脈に注入し、使用する様である。

 人間の赤ん坊の胎盤。現在これは”さいたい血”が取れるという事で珍重されているが、漢方的にも”紫河車”と呼ばれ、強精強壮薬としてや習慣性流産、女性の更年期障害に効果があるとされている。犬の出産などに立ち会うと、犬は子犬の胎盤を食べてしまうのに気が付く。

 産後の栄養補給の為なのか、細かいことは不明だが、日本にもこうした”胎盤を食べる”という習慣はどうも、密かに存在するようである。

「一切れで良いから食べなさい。産後の快復にいいのよ」

 これもまた一つの”人を食べる”という文化ではないかと思う。未確認情報だが中国などではお金持ちが産院から胎盤を高額で購入し、滋養強壮の為に食べているという話もある。

「今日は十ヶいただこうかしら」

 と電話で注文すると、その日の内に取れたての?胎盤がその家庭に届けられるのだという。一ヶ幾ら?衛生的に問題は無いのか??疑問は多いが、全くのデタラメでは無さそうである。

 ”食べてしまいたいくらい可愛い”

 小学生や中学生が読むようなティーン小説にも使われる文学表現である。実際に食べることは絶対に無いのだが、そう感じてしまう位大好きであると言うことを表現したいのだが、これが妙に遠回しにした表現と違い心に響く。

 男性が女性とHをする時も、時として”食べる”という表現を使用する。これは女性には分からない感覚である。身近な経験者?旦那に小さな声でこれらの表現について聞いてみると、Hをしている時の感覚は”喰う”という表現に非常に近いと言うのである。女性的には”喰われる”という感覚はあまり感じない。しかし実際問題娘が生まれて、”美味しそうだな”という感覚を持ったのも事実である。

「たっくんて美味しいの?」

 近所の子供の言葉も、こうした自分の中に生まれた疑問に対する質問であったのかもしれない。自分の中で生まれる理解できない感覚。ボキャブラリーが少ない為の現象であるかも知れないが、ともあれそう感じたのは筆者だけでは無さそうである。

 しかし現実として自分自身が人を食べる時の事を想像してみるとしたらどうだろうか。
究極の状態。食べる物は既に何もない。あるのは一緒に遭難した友人の身体だけ、という状況下、”もし、あなたならどうしますか?”という質問を受けたなら、筆者はこう答えるであろう。

「大人しく飢え死にします」

 美味しくないから、食べて返って悪い病気になったら苦労するから等の理由ではない。そこまでして生き延びる理由が見つからないからである。これは筆者のみでなく現代人全てに言えるのではないだろうか。過去の人々に比べ、現代人は”生きる力”が弱まってきているようなのである。子供を産む力にしても然り、現在の母親が産む力が弱くなってきていると言われている。実際筆者も使用したが、通常の出産でも当たり前の様に”妊娠促成剤”を使用する事が多くなってきている。

 逆に娘がそういう究極の立場に立たされたのであれば、理想論でも、タテマエでもなく、例え何をしてでも生き延びて返ってきて欲しいと思う。では家族3人、旦那、筆者、娘が揃って遭難した場合はどうなるであろうか。食べる物は何もない、あるのは目の前に立っているそれぞれの人間だけ・・・誰かが生け贄になって残った二人を助けなくてはならないとしたら。

「私を食べていいよ」

 と答えるような気がする。娘は絶対に生き延びて欲しいから食べるのは論外である。旦那と筆者を”食料”として見立てた場合、旦那はアトピー及び喘息の持病を抱えている為常にステロイド等を含む複数の薬品を数年に渡って摂取し、コンビニ弁当漬けの生活を送ってきた身体を例え食べて生き延びたとしてもその後二次災害のような病気が発生する可能性がある。逆に筆者は出産を経験し、体内のダイオキシンは母乳としてかなりの量吐き出している他、食料も田舎で育った為、大概自然食を食べてきた。今持っている知識をフル稼働させて考えるに、明らかに旦那の肉を食べるよりも筆者の肉を食べた方が生き延びる可能性が高い。

「いや、俺は怪我をしてしまった。もう動くことは出来ないから俺を食え」

 と旦那は言うかもしれない。しかし逆に「そうか、悪いな!」とこれ幸いに普段の悪妻ぶりが祟って殺されてしまう可能性も無いことは無いが、それはそれで娘が助かるのであれば良しとしよう。とにかく娘の生存を一番に考えて夫婦で行動するであろう。これは自信を持ってそう言える。

 アンデス山脈に飛行機が墜落、生き残ったのは筆者のみ。雪山には旦那と娘が埋まっている・・・という状態であったら、二人の遺体を抱きしめたまま。誰に止められようとも三人仲良くあの世に行きたいと思う。しかしそうでなかったら。娘と二人生き残ってしまったのであれば、たとえ身体に悪い旦那の身体であろうと自力で切り開き、何とか娘を現実の世界へ戻してあげたいなと思う。

 人が人を食べる。理由は色々あるけれど、それが自分の身に降りかかる事が無いように祈りつつ、今日も又静かに生きていきたいと思う。

 皆さんの究極の選択肢、それは一体どこにあると思いますか?

ライン