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カワセミの住む川

 1年間探し続けてようやく購入したマイホーム!

 購入後ノンビリ近所を散歩してみると家から3分ほど歩いた所に大きな川があることが判明した。
 その川の名前は境川と言う。東京都町田市の草戸山に水源に、東京都、神奈川県を縦断し、相模湖に注ぐ総距離52kmに及ぶ川である。

 「どれどれ・・・」

 流れてくる川の水の色は決して綺麗ではない。しかも上流に行くと生ゴミなどが捨てられており、鼻につく汚臭がしてきた。

 これはたまらない・・・

 慌ててその場を退散する。

 季節が流れ9月になった頃であろうか、川の水が徐々に綺麗になってきた。
 近所の人間に話を聞くと、上流で行われていた工事がようやく終わったお陰であるという。

 「秋雨が終わって、川に雨が大量に流れたら、あっという間に綺麗になるよ」
 「本当ですか???」

 全くその通りであった。

 川の浄化作用のお陰というよりも、実際問題川は考えていたほど汚れていなかったからかもしれない。

 気が付くと川には巨大な鯉やカルガモの成鳥がやって来るようになってきた。
 大喜びで食パンの耳を持って川へ日参する。最初は鯉ばかりがパンをついばんでいたが、一日一日と経つにつれ、怖がって近寄って来なかったカルガモ達も、のそりのそりとやって来てパンを食べるようになってきた。

 「結構なつくもんだねー」
 
 川にカルガモが戻ってきた、という口コミの噂を聞きつけ、住宅街のに住む子連れのママさん達が同じように川にパンの耳を入れたビニール袋を持ってやって来るようになった。
 
 「ここで餌をやったりして、怒られる事ないですか」
 「誰が飼っている訳ではないですから、大丈夫ですよ」

 現代人が動物に餌をあげるというと、大概動物園においてである。こういう自然の生物に対して餌を与えるという経験は、そう言われてみると少なくなってきているのかもしれない。

 カルガモや鯉の方も大分勝手を知ってきた様で、川に人影が映った瞬間にドドドドーと怒濤のように集まってくるようになって来た。
 鯉の数はあまりに多すぎるので数えることが出来ないが、カルガモの数は簡単に数えて30匹を超える日が少なくない。大繁殖場状態。しかし人によって

 ・鯉に餌をあげたいタイプ
 ・カルガモに餌をあげたいタイプ

 に分かれるようである。

 「カルガモに餌なんてあげて楽しいかね」

 おっと、それ以外のタイプの人間もごくわずかながら存在した。

 川の上流の方に散歩に行った時の話である。大型の望遠カメラを持ったおじさんが何気なくそうつぶやいた。どうもその人は餌あげおばさん達とは目的があきらかに違うらしい。手には必須アイテムであるはずの餌入りビニール袋を持っていないし、顔つきも笑顔ではなく真剣そのものである。

 「何してるんです?」
 「カワセミの写真を撮っているんだ。最近川が綺麗になったんで、どうも上流からカワセミのつがいが戻ってきたようなんだよ」

 カワセミ。野鳥の宝石と言われる鳥である。羽の色は土中から出たばかりの翡翠の如く青く澄み、腹部は熟れた柿の様な色をしている。

 「そうですか、そう言われてみるとこの川には場違いな綺麗な鳥を、何度か見たことあるような気がします」

 カワセミはパンを食べない。食べるのは生きている小魚が中心である。

 おじさんの前には奇妙な形をした木が見えた。そのおじさんの話によると、カワセミが餌を探しに川をホバーリングしてきた際、途中休憩し易いようにわざわざ川のあちこちに”止まり木”を立てたのだという。

 「今の季節は寒いからな。ウエットスーツを着て大変だったんだ」

 そう言われ、川縁を自転車で走っていると、川のあちこちにかなり不自然な止まり木を何本も発見した。
 そしておじさんは一番大きな止まり木を自宅の前、ちょうど今立っている位置の所に立て、日々カワセミのベストショットを狙って頑張っているのだという。

 「定年になったら、こうしてカワセミを追いかけるのが楽しみだったんだ」
 「そうですか。じゃ、カワセミが居たら教えますね」

 特にカワセミに興味は無い。つんとした美人のお客よりも、大喜びで寄ってくるその他大勢のお客さんの方が断然好みである。川沿いに不信な人物が多数現れた、と住宅街では話題になったが、

 「カワセミ撮っているみたいですよ」

 と情報を流すとあっという間に沈静化された。口コミ情報は恐ろしい。

 「いやー実はカメラが好きで・・・」

 と最初は撮影している所を覗いているだけなのだが、段々ウズウズしてきて撮影の輪の中に入って行く人間が増えてきた。1眼レフカメラも今は大分安くなってきた。カメラ本体と望遠レンズ込みで特売では6万円程度で売られているのを見ると、こうした写真撮影の趣味が一般にもかなり浸透してきた理由が分かるような気がしてきた。

 そして、1ヶ月も過ぎる頃になると一番多いときで10人以上のおじさん連中が集まりだした。
 もうこうなると大騒ぎである。2m足らずの川の道を”カワセミ専用・座らないで下さい”と書かれた椅子が所狭しと並べられるようになった。
 
 「どうです、いいの撮れましたかー」

 などと声をかけようものなら、少なくとも10分以上その日の川の状況や露出具合などの説明が続く。
 しかも現在のおじさん達の目的は一匹でホバーリングしているカワセミを撮る事だけではなく、これから冬を越え、春にかけておこる繁殖の時期に子連れのカワセミの写真を撮る事だという。

 「一匹だけの写真ってのは結構だれでも撮れるもんなんだ。
  でもつがい、そして子連れの写真ってのは早々撮れない。
  でもいつかは撮ってみたいねー」
 「巣の位置というのは分かってるんですか」
 「いや、おそらくあそこだと思うんだが、まだ確定はしていない」

 おじさんはそこから100m前後下流にある、青い橋を指さした。カワセミは用心深い生物である。そう簡単に居場所を教えてはくれない。餌を取った後も油断はせず、すぐ巣へは戻らないで、ぐるぐるホバーリングして辺りを周回してから巣へと戻る事も少なくはない。

 そのおじさんがカワセミの巣であると思ったのは、カワセミがそこから何度も出てくる所を目撃した事と、その橋の回りにカワセミの糞とおぼしき白い汚れが最近目立ち始めたからだと言う。頭隠して尻隠さず、糞を遠方まで捨てに行き、居場所を知らせないようにするという知恵は現在川に住み着いているカワセミには無いようである。

 「是非撮ってみたいね」
 「あそこなら、私の自宅からすぐですから、もし子連れで居たら教えますよ」

 気が付くと、カルガモに餌を上げているときに遠目にカワセミの姿を見かけるようになってきた。おじさんの言うとおり、カワセミが更に下流へと降りてきた様である。
 
 カワセミを追っておじさんカメラマン達も下流へと降りてきた。
 秋の直射日光を嫌ってか、気が付くと川の縁に小さな撮影小屋を建てている。川の両端は歩行者専用道路であり、車が通ることは無い上に、川へは全面鉄の塀で囲まれているため、子供達が降りることは出来ない。
 しかし行動力のあるおじさん達は違う。梯子をかけ、川縁に降り竹や藁などを使用して3m*3mほどの見事な撮影小屋を、あっという間に立ててしまった。

 「ますます怪しくなってきた」

 と近所のママさん達は不安がるが、おじさんたちはそういった事に全く関心は無いようである。引退後の趣味の塊のおじさん達には傍若無人のオバタリアンでさえも叶わない。おじさん達は誰も自分達が崇高な使命を実行している事に何の疑いも持っていないのである。

 「とにかく、出来るだけ側に寄るのはやめておきましょう」
 
 今日も又「怒られるんじゃないか・・・」と警戒をしながら、カルガモに餌をあげる。最近はカルガモだけでなく白鷺や鵜に似た鳥も飛んでくるようになってきた。水面を見つめると大分小魚も増えてきた様な気がする。

 汚い川の姿を覚えている人は、この川に住んでいる魚を食べようとする人は居ない。実際何人かの人間は50cmを越える鯉を捕まえてさばいて食べたそうだが、まず泥臭くて食べれた物ではなかったという。

 「きちんと泥吐かせました?1週間くらいはいけすで飼わないと」
 「きちんとしたんだけどね・・・まずくて一口でやめたよ」
 「でも、何でそんな事知ってるんだい」
 「昔、小さい頃父と近所の川で鯉を捕まえた事がありまして、その時そんな風にして食べたことがあったような無かったような・・・」

 おかげで川の生物は増える一方、減ることはまず無い状態が続いた。

 大雨が降って一時的に数が減ったな、と思っても2-3日で下流からしっかり戻ってくるから、体が小さい割に結構元気である。
 その他大勢、大量に居るカルガモ達も同様で、どんどん数は増える一方である。

 まずここが猟場で無いことが捕獲をされない一番の理由であろうが、年輩者の意見によると、パンなど雑穀を食べているカルガモは、魚だけを食べている完全天然のカルガモに比べ断然味が落ちる為、捕獲をされないという事も十二分にあるようである。
 
 しかし野鳥は美味しい物なのである。

 こちらの”野鳥を食べる”という趣味は”カワセミの写真を撮る”という趣味に比べ見ている方には”残酷”、食べる方には趣味と実益を兼ねた”グルメ道”なのである。

 「うわー旨そう!」

 幼い頃、台湾人の家庭教師が田圃に飛び回っている”鳩”を見て突如こう叫んだのを今でも良く覚えている。

 実家の家の回りは全て田圃であった為、稲穂が実る頃になると、どこから飛んでくるのか、鳩の大群が家を覆うように飛んでくる事がある。家庭教師はガラスの窓を開け、鳩の大群を見、笑顔で舌なめずりを続けている。

 「え、鳩って美味しいんですか?」
 「うまい。都会の鳩は色々と余計な物を食べていてまずいが、こうして”米”を食べている鳩は本当に旨い。今度捕まえておいてくれないか?先生料理するから」
 「え?本気ですか?」

 野鳥を食べる。これは台湾のみでなく、イギリスやフランスなどでも普通に行われている”高雅な”趣味であるようだ。世界的に見ると、決しておかしな事では無い。

 特に台湾においてはこうした”野鳥ブーム”ならぬ”自然生物補食ブーム”なるものが発生し、公園中のカエルや蛇が一般人によって食い荒らされ、国際新聞にニュースとして掲載されているのを見る事が出来る。

 「●●公園のカエルは揚げると絶品らしい」

 というニュースが流れると、その公園のカエルは一気に全滅の憂き目に合う。
 家庭教師が言うには、鳩を食べるというのはそれに比べたら全く普通の事だと言うのである。
 
 「アマガエルだったら簡単に捕まるけど、捕まえときます?」
 「アマガエルは食べない。でもウシガエルだったら大きさによっては食べるかも。居たら捕まえといて」
 「・・・」
 
 先生おかしな事ばかり言って・・・冗談ばかりなんだから・・・と父に今日あった出来事を話すと、これまた意外な返事が返ってきた。
 
 「お父さん、先生おかしいよね。私びっくりしちゃった」
 「鳩は美味しいよ。先生がさばいてくれるんならお父さんも食べるから是非呼んでくれ。1匹と言わず、2匹、3匹は捕まえてくれ。頑張って捕まえるんだぞ!」
 「え???」

 又次に続く話は更に私を混乱させた。

 「ま、お父さんは鳩よりも雀の方が好きだけどな。
  美味しいぞー米を食べた雀は。羽をむしって七輪で焼いて食べるんだ。昔は良く捕まえたけれど、捕まえたらすぐじいちゃんが食べちゃってな、お父さんの口には入らなかったんだ。鳩と雀、大変だろうけど、頑張って捕まえてくれ」
 「絶対にイヤ!!!お父さん大嫌い!!!」

 田圃の鳥が危ない!と黄金に輝く稲穂の海を見張るようになって気が付いたのだが、そのような事を考えている人間は父や家庭教師だけでは無かったようである。望遠鏡で田圃を見張るようになって数日、ここは禁猟区であるにも関わらず、日本では違法であるカスミ網を田圃にしかけ、大量に野鳥を捕獲している人間を発見した。

 「お父さん大変!!!変なおじさんが網をしかけている!!!」
 「それは大変だ!急いでゆずって貰って来ないと!!」
 「えーーーどうしてーーー」

 数分後、父は数匹の雀の亡骸を抱えて戻ってきた。ニコニコ笑いながら庭で雀の羽をむしる。
 
 「一匹100円で譲って貰ったんだ。大サービスで10匹買ってきた」
 「それって、大サービスじゃない。やめてよー」

 その日の夕食の机の上には見るも無惨、雀の炭火焼きが並んだ。

 「うまい。これだよ。これ」

 父以外、家族の誰も雀に手を付ける者は居なかった。

 現在雀は冷凍処理され、スーパーで売られている。
 パッケージを見ると、どうも中国から輸入されて来ている様である。本当は手に取るどころか、見るのもイヤだが、父が喜ぶので、実家への帰省みやげにそれを買って帰る事にした。おそらく想像するに、ケーキを買って帰るよりも喜んでくれるだろう。

 その父があと数年で定年を迎える。

 現在の父の趣味は”狩猟”である。資格を取り、講習を受け、猟期になると散弾銃を持って大喜びで出かけていく。
 獲物はヒヨドリが多い様である。捕まえた獲物を猟場で毛をむしる時もあるのだが、時には面倒くさく、捕まえて毛のついたまま冷蔵庫の中に投げ込む事がある。
 子供が全て成人し、部屋が空いているため父も大胆である。自分専用の業務用冷凍庫を購入し、自分の獲物をヒヒヒと管理している。
 うっかりその部屋に足を踏み入れてはならない。時には死に損ねたヒヨドリが巨大冷蔵庫の中から「ヒーヒー」と鳴き声を上げている事があるからである。

 「お父さん。せめてトドメをさしてから冷凍庫に入れるようにして!」
 「おっと、まだ生きているのがいたか。すまん、すまん。昨日忙しくてな」

 父は反省するフリもしない。娘にはくれぐれも巨大冷蔵庫の部屋には行かないように教えるが、分かっているかどうかは不明である。

 遅まきながら、一戸建てを立てたと聞いて、父が家に遊びに来た。どうやら猟期では無いので暇のようである。

 「この辺にカルガモ居るけど、撃たないでね」
 「何!カルガモが居るのか!大物じゃないか。一体どこに???」

 余計な事を言ってしまった。

 父に言わせると、普段撃っているヒヨドリはどこにでも居る小物で、カルガモなどはかなり上物の獲物となるのだという。
 昨年の父のカルガモ捕獲数は3匹、今年の猟期は更なる記録更新を狙っているそうである。

 「見るだけだからね、私可愛がってるんだから!」

 川に行き、辺りを見回す。
 さすがに住宅街で散弾銃を振り回すことは常識的にしないであろうが、油断は禁物である。カルガモの生命を守る為、今後父がこちらにやって来た時は身体検査を行い、行動を完全にチェックしなければならないだろう。

 「カワセミも居るんだけど、お父さん興味ない?」
 「食べれない鳥には全く興味がありません」

 冷め切った言葉で返事をする。
 おじさんにも色々な種類が居るものである。

 やがて季節は冬を迎え、川にパンをまきに来る人間もとんと少なくなってきた。撮影小屋もいつしか雪の重さに倒壊し、おじさん撮影隊も冬休みに入ったようである。カワセミは渡り鳥では無いので、探せば近くに居るはずなのだが、餌の小魚が必然的に減ったせいか、あまり人の前に姿を見せなくなってきてしまった。

 「で、君たちは餌をあげるのを休んでいるのかい」
 「ええまあ、カルガモが居なくなってしまって、楽しくなくなったので」
 「それじゃ、小魚が増えないから、カワセミが困ってしまうじゃないか!」
 
 その様な事は知った事では無い。カルガモや鯉たちもそうした人の動きを敏感に察知し、一匹減り、一匹減り、いつしか川のそのポイントにはなかなか姿を現さなくなってきてしまった。そうなってくると更にパンを蒔く人の人数は少なくなってきてしまう。

 「諦めて、春を待ちましょう!」
 「待てるか!!!もっと真面目にやれ!!!」

 やなこったい。

 おじさん達はついに川の魚の餌付けを自ら行うようになってきていた。どうも作業を他人任せにする事が苦手であるらしい。勿論、魚の数が減っても餌付けを続けている人は何人も居る、しかしそういった事はあまり目に入らない様である。

 カルガモ達は一体どこに行ったのか。彼らは春になっても姿を見せることは無かった。もしかしたら自分たちの国へと帰ったのかもしれない。
 そうなってくると川には断然、年輩のおじいちゃん、おばあちゃん系の鯉への餌やり人間が増えて来るようになった。おじいちゃん、おばあちゃんは大概カルガモに興味は無い。標的はまるまると太った鯉である。

 「鯉の生き血を飲むと長生きできるんだよ」
 「え、飲んだことあるんですか?」
 「勿論、小さい頃は病気の時だけでなく、普段でも鯉を捕まえればよく飲んだものだよ。最近はとんとそう言う事をしなくなって来たけど」
 「どうしてですか?」
 「今の子供は、可愛がっている鯉が目の前で殺される事を嫌がるからね」

 川の更に下流に鯉や金魚の養殖場がある為、数十匹に一匹程度の割合で色鮮やかな赤い鯉が混じっている事がある。病気になった鯉を殺すのではなく川に放しているのだろうか、通常の黒い鯉と違い行動が鈍いのが気になるが、鈍いながらも頑張って、結構元気に餌を奪い合い、生活を続けている。

 気になり養殖場を尋ね、世間話をしながら養殖場の状態について聞くと、この養殖場では実際に”繁殖”は行っておらず、現在大概は中国からの輸入し、それらをここで小売りしているのだという。日本の金魚や鯉は中国製の物に比べどうしても単価が高くなってしまい、とても勝負できないのだという。
 
 「川の鯉を捕まえてきて、買ってくれって言う人も居るけれど、病気であるかもしれない魚を早々いけすに入れられないし、人にも売れないだろう。結局今は全部断るようにしているんだ」
 「そうですか」

 捕獲される可能性がほぼゼロ、天敵の居ない鯉の人生は今後更に守れる事になるのであろう。これは増える訳である。
 この住宅街でもお祭りで手に入れた金魚を川に放す人間が多くいるが、それらの金魚はまず長くは生きられない。動きの鈍い金魚は大概は鯉やカルガモの餌となり、無惨な一生を終える事となる。

 「撮影小屋潰れちゃいましたけど、再建しないんですか?」
 「あれはね、上から蛇が落ちてきたりして、どうも調子が悪かったんでやめたんだよ」

 おじさんは今日はカメラではなく望遠鏡を片手に持っている。最近はかなり観察にも慣れたのか、広範囲を回れるように赤い洒落た折り畳み自転車に乗っている。久しぶりに会ったので話を聞くと、カワセミの写真は相当量撮れた様である。そしてそれらのいくつかは大判に伸ばされ、部屋に飾られているのだという。

 「カワセミの巣はあそこ、あそこの穴だね。今4羽確認しているけれど、一番色が鮮やかな雄が間違いなくあそこに巣を作っている」
 「本当ですか?」

 そこは丁度普段、パンをばらまいている場所の丁度真ん前である。こんなに騒がしい場所に何故巣をかけたのだろうか。

 「結局皆がここで餌付けをするだろう。するとパン粉がこぼれて大分小魚が育ったようなんだよ。で、その小魚を狙ってカワセミが下流に降りてきた様なんだ。で、あそこに新しく枝をかけたから、もう少しして卵が孵る季節になったらここに来て撮影するつもりだ」

 確かにその場には不自然に伸びた枝が立てられており、その前の鉄柵には人影が映らないようにゴザがかけられ、丁度カメラのレンズが入る程度の穴がいくつかあけられていた。こういった撮影ノウハウというのは自然に積み重ねられた物なのであろうか。あまりの手際の良さに時折感心してしまう。

 「いいの撮れたら見せて下さいね」
 「おう、任せておけよ」

 おじさんは自信満々である。この川の撮影ポイントにて撮影したカワセミの写真が新聞に掲載され、かなり”カワセミの住む川”として近隣の人間に認知されたようである。実際の生物調査を行わなくてはならないが、小魚はフナの幼魚だけでなく、オレンジ色をしたウグイや虹色の鱗を持ったオイカワなども大分住み着いているようである。是非投網を投げて検証してみたいが、近所の人々にあらぬ誤解を招きそうなので、現在は行ってはいない。オイカワの天ぷらは美味しいんだ・・・誰か協力してくれる人は居ないのであろうか。

 カワセミやカルガモにばかり目を向けるのではなく、何故この川にカワセミが戻ってきたのかどうかについて学術的な検証を向ける人間は今居ない。子供達に「川に入って魚を捕まえてみない?」と誘っても「入っちゃいけないから」とつれない返事が返ってくるばかりである。昔の子供は”やっちゃいけない!”と言われても元気にやっていた物だが、最近の子供は非常に素直でそういった覇気があまり無いらしい。是非来年あたりは夏休みの自由研究にでも実行する人間が居て欲しいのだが、現時点では候補は現れては居ない。

 川は今日も静かに流れ、生命を育んで居る。

 近年都心にはカワセミが帰ってきている姿が数多く目撃されてきている。しかしこれは都心の川が綺麗になったからではなく、都心の汚い川の状況にカワセミの生態系が順応してきたからだという指摘も少なくない。

 ともあれ、来年にはもっとカワセミの数は増えるのだろうか、見かけによらず、かなり神経がずぶとい鳥であるようなのでその可能性は非常に高いと思う。
 そしてまた、カワセミの数が増えれば、おじさんカメラマンの数も増えるのだろうか、カルガモは無事来年も生き残れるのだろうか・・・

 明日の闘いに精気を養いつつ、今日はとりあえず眠りたい。







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