ライン





China Love Game!

1.中国へ短期留学

北京の朝は早い。

通勤に通うのかチリチリチリと鳴る自転車の鐘の音がやかましい。ふううっと鉄
パイプのベッドから腰を上げると、鉄格子の付いた窓の向こうから人の姿が見え
る。どうやら道のゴミ箱からゴミを、いや正確には空き缶を収集しているらしい。
ここ北京では空き缶だけ収集していてもかなり良いお金になるらしい。と先日会
ったビジネスマンが言っていたような・・
特にこの外国人楼はそう言うことを良く知らない裕福な外国人が多いためか、名
前は知らないが、朝一で収集に来る人間が居る。田舎の方に行けばジュースを飲
んでいる最中に”それを寄越せ”と言ってくる。それに比べたら早朝のがさがさ
した音など、大した問題では無い。

頭をがりがりとかきあげながら、Tシャツ、短パンに着替え、一応下着を着けて
食堂へ向かう。外国人楼には専用のレストランが付いていて、食事には困らない
ようになっている。入り口にてワイビー(外国人専用のお金)にて食券を買いス
ワンナイ(ヨーグルト)とヨウティアオ(揚げパン)を頼む。日本では毎朝牛乳
を飲むのが習慣であったが、こちらの牛乳は脱脂粉乳でとても飲めた物では無い。
が、このスワンナイは旨い。紙コップに入れて貰いシャータン(砂糖)をかけて
食べるのだが、何ともさっぱりしていて、旨い。朝ご飯はヨウティアオにスワン
ナイを付けたりしてぼりぼりと食べる。占めて1元(13円)かからない朝食だ。
安い。

「すっかり馴染んでしまった。いやはや」

1週間前

日本から中国、北京に到着した次の日から授業を受ける。
当然短期留学であるから、歓迎会などは存在しない。午前中は夏休み中で使われ
ていない教室で中国語の授業を英語で受ける。
受けている人種は日本人、アメリカ人、ドイツ人など多種多様だ。誰も目が真面
目で必死に授業についていこうとしているのが分かる。五月は中国語の聞き取り
に四苦八苦。一番初心者のクラスの授業にすらついて行けない状態であった。

「大学で3年も勉強してきたのに、どうして・・・」

授業が終了して、外国人楼へ戻る。すぐ予習復習を開始する。辞書を引いて日本
語訳を付け発音練習をする。頭では分かっているのに実際の授業となると尻込み
してしまう。五月はある意味スランプの様な状態に陥っていました。

「分かってる。分かっているんだけどなぜ話せないんだろう」

2.ごはん

中国で中国語を話せないと、まず困るのは食事である。

留学生専用のレストランでトレイを持って列に並ぶ。レストランの入り口には黒
板に今日のメニューと値段が書かれているが、崩した漢字に習ったことのない単
語のオンパレードで全く要領を得ない。とりあえず指で料理を指すのだが、何し
ろ頼む窓口から遠く離れた所に料理が並べている為、思った料理をトレイになか
なかよそってくれない。

「あれが食べたいのに・・・」

そこで五月が取った行動は簡単だった。前に並ぶ留学生の料理を指さして、「イ
ーヤン」(同じ料理を下さい)と言う事だった。量が多くて食べ切れそうに無い
が、とりあえず料理が手に入り”ホッ”として席に付く。中国のご飯は日本の水
稲と違い陸稲であり、なおかつ釜でなくトレイに米を敷き詰め焼いているのでぼ
そぼそとしている。しかし小麦粉を練り合わせて作ったパオズ(具無しの肉まん
の様な物)は非常に美味しい。これは入り口の側で売っているので段々慣れてく
ると、まず最初に頼むようになった。

「パオズを貰ったから今日はご飯は要らない」

と言っても、料理人は「イーヤンと言った!!!」とご飯をよそってくる。日本
と違い中国はなかなか融通が利かない国であるらしい。
ヤレヤレと、またしても殆ど食べないのに大量の食事を受け取って席に付く。高
い高いと言っても10元(130円)以上かかった事はない。

食事が終わった後は寮の部屋に戻り外に出ることは滅多に無い。寮への通じるエ
レベーターは一つであり、いつも管理人が中国茶の入った瓶を持ち、不審な人間
の行き来を見張っている。「パーツオン(8階)」と左手の親指と人差し指を立て
声と動作で階を指定する。これは馬の売買をしていた時に使われていた数字の数
え方で、頭の良い馬に売買をしていることを知られない為に広まった物であると
言う。
数え方は、両手で10迄の数を表す日本と違い、1〜5迄は日本と同じで、6は親指と
小指を立て、7は親指人差し指中指を一点で合わせる。9は人差し指一本をを鍵の
形に曲げ、10は全ての指を立て裏、表と振る。

確実に自分の意志を伝える為、見栄なんて張っていられない。

3.中国の大学と言う物

朝が明ける。

チリチリと自転車のベルの音が辺りに響き渡り、車のクラクションの音が朝の澄
んだ空気により鮮明に伝わって来る。車の故障個所というのは国に依って大差が
あると言う。山地の多い国ではクラッチの故障率が高く、雨が多い国ではワイパ
ーの交換率が以上に高い。こと中国では車のクラクションの故障率が日本とは比
べ物にならない位高いのだと言う。譲り合いの精神が無いのか?というよりもめ
ちゃくちゃである。大きな道路の場合は、真ん中に人が立ち交通整理をしている
が、信号が赤でも左折の場合は車が容赦なく車道に乗り込んでくる。国際免許を
持ってこなかったので五月は車の運転をすることが出来ないが、もとより、許可
証が無いとガソリンは買えないのだと言う。車が運転出来なくて良かった。迂闊
に持っていて運転させられたらどうなっていただろう・・・そんな事を思いつつ
窓を開けた。

大学の中を物売りの売り子が歩いているのが見える。五月は日本と中国の大学し
か知らないが、この中国の大学と言うのは日本の大学とは全く違っている。”勉
強をする所”というのは同じであるが、違った所は色々とあるが、まず驚いたの
が大学の中に先生達が家族で住んでいると言うことであった。

「何故大学に赤ちゃんが?」

夏で暑いせいか?オムツをしていない赤ちゃんが大学の道をふらふら歩き回って
いる。ちょっと臭う・・・と思うと側にはその赤ちゃんがしたとおぼしき”うん
ち”が転がっているではないか。!!!。住宅事情の良くない中国では先生が大
学に住むというのは当然の事であると言う。五月の教わっている先生は先生同士
で結婚したのだが、まだ大学内で一緒に住む部屋が決まらず、別居状態が続いて
いるのだと言う。

「来年は日本に中国語を教えに行くから、いいのだけれどね」

明るく先生は言う。レストランがある。売店がある。ここまでは一緒であるが、
病院がある。(外国人は別料金)薬屋がある(非常に良く利く。中国の病気には
中国の薬があっているようだ)。

「これだけでカルチャーショックだわー」

ようやく寮と教室の往復から、大学の売店へと足を伸ばし始めた五月。売店では
北京ダック、トイレットペーパー、コンドーム!と多種多彩な品が並んでいる。
特にトイレットペーパーはトイレへの携帯が常識となっている中国では必需品で
あった。

「成長成長。明日は大学の外へ行ってみようかな?」

4.自分が外国人であると言うこと

留学生証明書を持って、五月は揚々と大学の外へ出た。

留学を開始して現在丁度1週間目。自転車の群をかき分けながら中国お好み焼き?
の屋台が目につく。客引きを無視して果物売りの屋台へ近づく。季節は夏。屋台
の上には桃、リンゴ、ブドウなどが大量に並べられていた。

「これ、頂戴!」

桃を必死に指す。店主が「イーチン(500g)、リャンチン(1k)?」と声をかけ
てくるが五月に聞き取れる訳は無い。必死に指を一本立てて桃を指さす。「タオ、
イーチン(分かった500gだね)」桃をさささっとビニール袋に投げ込み秤で計る。
「6元!」と指を合図する店主。10元のワイビーを出し4元の人民元を受け取る。
中国では完全にお金は”物”だ。日本の様に大切に扱うわけなく、ぽんぽん投げ
てくる。

「シエシエ(ありがとう)」

頭を下げて立ち去る五月。物を買って何故お礼を言うのか?と言う顔をする店主。
後日これがぼられたことに気がつくのだが、同じ肌の色、髪の色であっても五月
はやはり異邦人。どことなく目立っている様だ。あからさまに怪しい人間が声を
かけてきたり、「ファンチェン・ファンチェン(ワイビーと人民元を交換しよう)
」と声をかけてくる人間がいる。

「どうして分かるんだろう?」

中国には以前外国人しか入れないお店というのがあったと言うが、そこの警備員
の中国人と外国人との判定方法は”ベルト”であったと言う。良いベルトを締め
ているのは外国人である可能性が高い。と言うような内容を書いたコラムが中国
語の教科書に掲載されていた。

「ふーん。成る程。成る程」

その日買った固い桃をシャリシャリ囓りながら、中国語を訳す。ここの所は中日
辞書ではなく、新華社で買ったオックスフォード大学発行の英中辞書を使う様に
なっていた。文法的に中国語と英語は主語、動詞と来るので感覚的に掴みやすい、
というのが理由であるが、1週間その他の事をせず、雑念を入れず勉強して、到着
時とは比べ物にならない位語学力が向上しているのが分かった。

「でも何で話せないのだろう」

5.夢の中へ

夢を見た。

何だか何人もの中国人に囲まれ、話し掛けられているのだが、自分の口が動かな
い。言われていることは理解できる。"大丈夫か""問題ないか"と。しかし口が動
かない。言葉がどうしても出てこないのだ。

「言われていることは分かるのに・・・」

頭を抱えた瞬間。目が覚めた。

「夢か・・・」

びっしりと全身に汗をかいている。もはや五月の"中国語を話せない"というのは
トラウマと化してしまった様だ。言われていることは分かる。なのに答えられな
いのはなぜだろう。

「普通逆なんだよ。自分で好き勝手に話をする事はできても、人の言葉を聞き取
るっていうのはものすごく難しい事なんだって」
「そうなのかな・・・」

今日も朝から中国語の講義に参加し、講義が終了して同じ日本人の留学生との会
話。意外と日本人の留学生は多い。先生は「日本人の留学生はまじめで優秀。他
の国からの留学生はすぐに授業をさぼったりするからね」と淡々と語る。中国人
の大学の先生となると、中国語+英語、又は日本語を流暢に話す人が多い。エリ
ートの必須条件といった所なのだろうか。

「五月は英語ばかり上手だから。中国に来たら中国語で話さないと」
「えええ・・・」

とは言っても英語学習経験は中学、高校、大学で習ったのと、小さな街の公民館
でアイランド人の先生に集団で習っていただけ。後は英語の歌が好きなので、毎
日聞いている位が話せる要因であろうか。それに何しろ授業は英語で中国語を説
明するという内容。英語が出来なければ全く授業を理解する事ができない。

「後は心の問題だけだと思う。五月、あなたの授業での発音はとても奇麗な北京
語、恥ずかしがらないで。もう少し頑張ってみては」
「はい・・・ここの所街に出てみたりして頑張っています」
「そうね。今度先生とお茶でもしましょう」

とぼとぼと一人留学生寮に帰る。気が付くともう留学を開始して1週間が経過して
いた。焦りが段々と強くなってきているのが分かる。この留学は失敗だったのだ
ろうか???

「こんにちは。日本人の人ですか」

え?なんでこんな所で日本語が???留学生楼の前のベンチで一人の中国人とお
ぼしき男の子に声をかけられた。櫛で奇麗にセットされた黒い短い髪に年に似合
わない小指に付けられた赤いマニキュア。本人はおそらくカッコイイと思ってし
ているのであろうが、およそ五月にはそう思う事ができなかった。流暢な日本語
は続く。

「長い黒い髪、肌、間違いなくあなたは日本人ですよね」

留学生楼の前で東洋系の人を捕まえたら、およそ日本人である可能性が高いと思
うが・・・

6.中国人の少年

特に午後からの予定も入っていなかったので、五月はそのままベンチの少年の隣
に腰を下ろした。ナンパ、などという気の利いた物ではない。彼は五月に自分の
生い立ち、その他を簡単に説明した。両親がこの人民大学に勤務していて、夏休
みで学校が休みなので、是非勉強して覚えた日本語を使ってみようと思い、留学
生楼の前で朝から待っていたのだと言う。

「中にレストランとかあるんだから、入って探せばいいのに。ここじゃ暑いでしょ

「中国人は留学生楼に入る事は禁止されています」

そう言えば・・・留学生手1週間にもなるのに、同年代の中国人の学生には全く会
っていない。「夏休みだから仕方ないのだろう・・・」と思いつつも、余りにも
不自然だった。折角余所の国に来たのだから、その国の友達を作りたい!と思っ
ていた矢先。彼の話は続く。

「僕の日本語おかしくないですか?言っている事分かりますか」
「うん十分聞き取れる。大したもんだよ。うん」

てれてれとした笑顔。可愛い。彼の名前は王林と言うのだと言う。漢字は、"王様
の王に木が生えている林"であると言う。五月も彼の表現に習って自分の名前を説
明した。

「私の名前は、草木の草に四川の川、数字の五に空の月で草川五月」
「サツキ、サツキと言うのですね」

同じ単語を何度も繰り返す王、そして彼は本題に入った。

「僕と友達になってくれませんか。お願いします」
「いいですよ。こちらこそ宜しく」

その日はそれだけ、住所も電話番号も教える事無く別れた。とは言っても住んで
いるのは留学生楼であると分かっている訳であるし、日本と違い、各部屋毎に電
話がある訳ではない。各階には市内電話があるそうだが、現在の五月の語学力で
は豚に真珠、釈迦に説法。何の訳に立たない。

「面白い事があるのねー。ちょっと嬉しい」

ニコニコと部屋へ戻る五月。今日の日記は久しぶりに楽しい内容になりそうだっ
た。

7.観光

短期留学生の為に、週に1〜2回、大学主催の観光ツアーが催される事がある。

費用は無料(既に支払済み)である為と、大型のバスが留学生楼の前に乗り付け
てきてくれるので、非常に便利であるし、施設に入る為の入場料も普通は外国人
料金と言って、中国人の何倍もの料金を払わなくてはならないが、"私は留学生で
す"と証明書を提示すれば中国人と同様の料金で済むことがあるが、まだ中国語を
完璧にマスターしていない人間では、受付のおばさんにおしきられて、やはり外
国人料金を払わせられる事がある。
しかし、この大学主催のツアーであればその様な心配は全くの無用だ。ただバス
に座っていれば、その場所に連れて行ってくれ、面倒な手続きを先生達がやって
くれる。だからかこのツーアーはいつも盛況。五月も今回で2回目の参加となって
いた。

「五月。王林が来てるよ」
「王林???」

バスの入り口で日本語で先生に声をかけられた。するとその先生の後に先日会っ
た王林が座って手を振っているではないか。

「え???どうして???」
「五月の知り合いなんでしょ。王林に聞いた。彼はこの大学の職員の息子なのよ。
日本語を勉強していてとても優秀なの。今日のツアーの話をしたら一緒に行きた
いって」

そんなに簡単に留学生専用のツアーに参加させていいのか???五月の疑問をそ
っちのけでバスは動き始めた。五月は情況を理解できないまま、王林の隣に腰を
下ろした。相変わらず小指には赤いマニュキュアが塗られており、時間を経過し
たせいか、根元の色は少し色落ちしているのが分かった。

「お久しぶりです。お元気でしたか」

屈託のない笑顔。警戒している五月を少しづつ揉み解す様に話を続ける。「又会
えて嬉しい。今日来るかどうか心配だった」と、

「びっくりしたわよ。又会えると思わなかったから」
「今夏休みで時間が取れたので・・・来年には大学受験があるので大変なんです
けどね」
「中国にも受験戦争ってあるの???」
「あります・あります。私の父はこの大学の職員をしているのですが、母は薬剤
師をしています。私は将来的には医者になりたいと思います」
「医者。。。頭が良いんだね」

こういうのを中国人エリートと言うのだろうか。彼の日本語は先日よりも確実に
上達しているのが分かる。その日は北京原人を発掘した遺跡を見学。広い敷地内
をのんびりと2人で散策した。中国語で書かれた解説を王林は一生懸命に五月に解
説し、お土産売り場では語気を荒くしながら1/3以下に値切ってくれる。思いがけ
ず安く瑪瑙のネックレスを手に入れた五月は大喜びである。

「嬉しい。ありがとう」
「五月の笑顔が一番嬉しい。何でも言って。次は何をしようか」

8.中国の友達

王林と出会ってから、五月の生活は一変した。

彼は外国人楼のレストランすらも"高すぎる"と言い、大学側のレストランへ連れ
ていってくれる。運ばれてくる牛肉料理、豚肉料理、餃子、そして日本では口に
することない"田うなぎ"など。初めての中国グルメに舌鼓を打つ五月。
そして大学に戻ってきては、王林の友達と激論を闘わせる。使われる言語は中国
語、日本語、英語とちゃんぽん。文章の美しさよりも"通じること。気持ちを伝え
る事"が重視される。これまた、中国語と英語は文法が一緒なので知っている単語
を必死に組み合わせて会話をする。そしていつしか、一人黙っている五月にも質
問の声が集中した。

「あなたは何故中国にやって来たのですか?中国より日本の方が進んでいる。あ
なたは中国に来る必要は無かったのでは?」
「そんな事ありません」
「特にあなたは理系であるという。将来エンジニアとなる人には中国語をマスタ
ーしても仕事で使うことは無いのでは」
「そんな事は・・・」

皆、語気荒く質問をしてくる。たどたどしい英語で必死に説明をする五月。

「小さい頃から父親が中国に出張をしていたので、大きくなれば連れていってく
れると思っていた。しかし大きくなっても連れていってくれなかった。中国語を
勉強すれば連れていってくれると思った。しかし、連れていってくれなかった。
それで自分でお金を稼ぎ中国にやってきたのだ」と、

五月の理由にびっくりする面々。簡単に外国に行くことができない中国人にして
みれば五月の留学理由は冗談にしか聞こえなかったのかもしれない。五月は慌て
て日本語で一言付け足した。

「私の母は中国の大連で生まれた。戦争が終わって日本に帰ったけれど。北京に
留学してその母の生まれた土地に行ってみたかったのです」

王林がそれを中国語に翻訳し、皆に伝える。「うんうんうん」と頷く面々。中国
語をマスターしたい。皆と自由に話したい。自分の気持ちを伝えたい。五月の心
は悔しさで一杯になっていました。

9.香港人

午前中の授業を終了後、五月は担当の中国人の先生に良く分からなかった部分、発音できなかった部分などを聞いて又しても遅くまで残っていた。早く行かなくては外国人楼の食堂の食べ物が無くなってしまうのだが、現在は食事よりも、五月にはこちらの方が大事なことであった。先生は英語と中国語しか話せないため、五月の質問内容も中々先生に伝わらない。
五月が今まで会った、中国人のエリートと言われる人たちは中国語プラス英語、又は日本語という人が多い。3種類全て話せますという人は非常に稀である。

「ここの部分が良く聞き取れなかったのですが・・・」

問題を指差して、英語で一生懸命に説明する五月。先生も黒板にそれを書き出して説明する。中々らちがあかない。そこへ上級クラスの先生が生徒と一緒に入ってきた。

「ツアオ・チュアン!まだやってるの元気だね」

上級クラスのヤン先生は日本語を話す。縋り付くような目で先生を見つめる五月。

「ほら、オスカー教えてあげな!生徒は生徒同士でね!」
「任せて!」

???日本語の発音が少し違う。しかし顔はアジア系の美形。日本人では無いのだろうか・・・

怪訝そうな顔をする五月。ヤン先生は続けて説明した。

「オスカーはお母さんが日本人、お父さんが香港人の香港人だよ。彼はすごいよ。日本語・英語・北京語・広東語と話すんだから。折角だから勉強教えてもらったら」
「お願いします!!!」

にこやかに五月に微笑みかけるオスカー。これをアジアンビューティと言うのだろうか。色黒の顔に端正な目つき。体つきも決して筋肉質という訳ではないのだが、引き締まっていて頼り甲斐がありそうだ。ぼーっとしながらも一緒の机で勉強を教わる五月。気がつくと先生たちはどこかへ行ってしまった様だ。シンとする教室の中、五月の胸がドキドキし始めていた。

「かっこいい!!!」

 9.香港人
 
午前中の授業を終了後、五月は担当の中国人の先生に良く分からなかった部分、
発音できなかった部分などを聞いて又しても遅くまで残っていた。早く行かなく
ては外国人楼の食堂の食べ物が無くなってしまうのだが、現在は食事よりも、五
月にはこちらの方が大事なことであった。先生は英語と中国語しか話せないため、
五月の質問内容も中々先生に伝わらない。
五月が今まで会った、中国人のエリートと言われる人たちは中国語プラス英語、
又は日本語という人が多い。3種類全て話せますという人は非常に稀である。
 
「ここの部分が良く聞き取れなかったのですが・・・」
 
問題を指差して、英語で一生懸命に説明する五月。先生も黒板にそれを書き出し
て説明する。中々らちがあかない。そこへ上級クラスの先生が生徒と一緒に入っ
てきた。
 
「ツアオ・チュアン!まだやってるの元気だね」

上級クラスのヤン先生は日本語を話す。縋り付くような目で先生を見つめる五月。
 
 
「ほら、オスカー教えてあげな!生徒は生徒同士でね!」
「任せて!」
 
???日本語の発音が少し違う。しかし顔はアジア系の美形。日本人では無いの
だろうか・・・
 
怪訝そうな顔をする五月。ヤン先生は続けて説明した。
 
「オスカーはお母さんが日本人、お父さんが香港人の香港人だよ。彼はすごいよ。
日本語・英語・北京語・広東語と話すんだから。折角だから勉強教えてもらった
ら」
「お願いします!!!」
 
にこやかに五月に微笑みかけるオスカー。これをアジアンビューティと言うのだ
ろうか。色黒の顔に端正な目つき。体つきも決して筋肉質という訳ではないのだ
が、引き締まっていて頼り甲斐がありそうだ。ぼーっとしながらも一緒の机で勉
強を教わる五月。気がつくと先生たちはどこかへ行ってしまった様だ。シンとす
る教室の中、五月の胸がドキドキし始めていた。
 
「ど・・・どうしよう!!!」

10.気がついたなら

オスカーに出会ってから、五月の勉強熱は更に加速した。

午前中は通常の中国語の授業、午後はスエーデンの留学生を捕まえて英語の勉強、
と”やれることは全てやるぞ!”という意気込みが伝わってくるかの様だった。

「五月。何しに留学しにきたの」
「何って、勉強する為よ」
「そうだけど・・・毎日勉強勉強で楽しい?」
「楽しいというか、やっぱり折角だから最後はオスカーと中国語で会話をしたい
!デートをしたい!と思ったらやはり英語も勉強しておかないと」
「だって五月、もう既にちゃんと立派に中国語話してるじゃない。レストランで
見たわよ」
「もう1ヶ月も居るんだから。それ位は・・・」

そうなのだ。

人間なんでも食べることから。朝、昼、晩と通っている外国人楼では既に慣れて
しまい、100%の確率で好きな物が食べられる様になっていた。

「ヨーグルトには砂糖を少なめに」とか、
「夜は遅くなるけど、帰ってくるから1人分料理を取っておいて」

など。本場中国で会得した発音であるから、現地の人間と思わんばかりの発音。
では絶対にないが、下手な中国語に必死に耳を澄まして付き合ってくれる料理人
の優しさに気がついた時、五月も日本語や英語を使わず、知っている単語で中国
語の文章を作るようになっていた。

新しい料理が出されると、聞けば料理人は親切に発音を教えてくれる。時には発
音記号を料理品目に書いておいてくれるから驚きだ。何事もやり方次第。本気の
気持ちが伝われば、向こうも決して邪険な事はしない。

「これを話せるようになったと言うのかしら・・・」
「最近屋台の桃売りでも値切ってるでしょ。十分現地人化しているわよ」
「いつ見たの???」

とはいっても大学構内にリヤカーが出て、桃やスイカを売っているのだからいつ
見られても仕方が無いといえば、仕方が無い。顔を赤らめてどさっと狭いエレベ
ーターの中でノートを落とす五月。慌てて拾い集めるが、動揺をやはり隠せない。

「しかしね。やっぱり言葉は使うことだよね。それに値切らないと外国人だとま
ず高くふっかけられるから仕方ないのよ。うんうん。私は悪くない」
「悪いなんて言ってないけれど。五月今日の予定は?」
「短期留学生仲間で、北京の日本企業に行って見ようと思うの。来年は就職だか
ら、もしこちらで良い話が聞ければ、こちらで就職してもいいと思っているの」

「頑張ってね!」

長期留学生のトモは手を振ってエレベーターから降りていった。私は今中国語を
話せているのか???五月は自分に質問を投げかけながら、自分の部屋へ向かっ
ていった。

11.日本人租界

授業が終わり、昼ご飯を食べた後、日本人留学生仲間で連れ合って、北京に進出
している日本企業への見学会を企画した。これは大学側が主催したものではなく、
たまたま知り合いの教授が日本企業と親しかった為、今後の就職活動も考え、五
月が無理やり考えた物であった。

「バブルがはじけた今、やれる事は早めにやっておかないと」

大学の中に黄色い軽のバンのタクシーが乗り込んでくる。許可さえ取ればタクシ
ーでも大学内に入ることは可能だ。北京には3種類のタクシーがあり、一つは今乗
ってきた軽自動車のバンタイプのもので、これが一番安く、沢山の人数が乗る事
が出きる。この価格的に次なのがダイハツのシャレードだ。色は赤が多い。日本
では現在あまり見かけることの無いシャレードだが、不思議と北京では非常に良
く見かける。

そして一番高いのはクラウン。完全に外国人向けの車である。色は白や黒であっ
たりと落ち着いたイメージのものが多い。うっかり貧乏留学生がこのタイプのタ
クシーに乗ると大変だ。支払いの際、ワイビー(外国人専用のお金)でなく、人
民元で支払おうとすると、「人民元だったら1.5倍払え」などと言われる事が有る。
もちろんそんな支払い義務は存在しないのだが・・・気の弱い人であれば怖くて
払ってしまうだろう。

窓の景色が変わり、木や土が多かった大学近郊ののんびりとした空気が、車の排
気ガスに塗れていく。これが本当に同じ北京であろうか、と思うような建設中の
高いビルが目の前に広がって来る。建設途中のビルには大きな垂れ幕で”BEIJIN
G 2000”と書かれている。運転手に”このビルは何か”と聞くと、「2000年のオ
リンピックの為に現在どんどん新しいホテルを立てているのだ」という。

一体オリンピックが決まらなかったらどうするんだろう・・・という心配を余所
に、運転手がタクシーの後ろを指差す。そこにはビルの垂れ幕と同じ文字”BEIJ
ING 2000”と書かれていた。国家全体でオリンピック誘致に全力を上げているの
だと言う。

「やっぱり社会主義の国だね」

そんなことをつぶやきながら、タクシーはいつしか静かな白いビルの前に止まっ
た。年配の留学生が人民元で料金を支払う。受付で用件を告げ中に入る。そこは
日本さながら汚れ一つ無い白い壁と、最新型のエレベーター。そしてピリッとし
たスーツを着たビジネスマンが待っていた。うっかり普段着で訪れた留学生の面
々はすっかり面食らってしまった。

「本当に北京?」

驚くのはこれだけでは無かった。

12.中国でのビジネス形態

「私の中国駐在予定期間は3年です。もう1年経ちました。家族で来ている人は5年
なのですが、一人で赴任すると駐在期間は3年となります。現在は良いアパートが
無いのでホテルに住んでいます。しかし、ホテルの中に物を置いておいても良く
無くなりますね。はははは、もう慣れましたが・・・」

ずずずっと日本茶をすする。つられて学生達もお茶を口に運ぶが何だかやはり落
ち着かない。日本であれば当たり前の光景なのであるが、何故中国に日本が??
?というギャップを受け入れる事が出来ず床を見たり、天井を見つめたりと視線
がフラフラな人が多い。

「ともかく日本と比べて気楽なもんです。電話代がかかるので現在は衛星を使っ
て日本と会話をしています。北京は日本食レストランも多いですしね。ヤオハン
もあるし・・・何か質問はありますか?」

「中国の方を雇う時困ったことはありますか?」

「会社にシャワー設備を置かなくてはいけない事ですかね。こちらでは家にシャ
ワーがある家庭は少ないのです。雇用条件に入る位大切な条件なのです。このシャ
ワーに土日など家族で入りに来る事がありますよ。後はレストランも日本人と中
国人は別です。別段"日本人用"と決めている訳では無いのですが、値段の問題で
すかね、自然と分かれてしまっています」

日本の商社であればそうなのかもしれない。熱心に聞き入る事は少なく、ビジネ
スマンの自慢話、とも取れる話しをだらだらと皆で聞いていた。
中国で生産したものを日本へ運ぶ。中間に入っている中国在住の人間は契約をま
とめれば後はかなり自由なのかもしれないな、と五月は勝手に判断した。

帰り際に中国人のビジネスウーマンとすれ違う。化粧が濃く、町で見る女性達と
は全く違った人種であるようにも見えた。「商社での仕事は向いていないな」と
呟きながら、帰りは歩いてバス停に向かい、人が満タンに詰まったバスに定期券
で乗り、大学の宿舎へ戻ったのでした。

「私が見たい中国のビジネスはこんな物ではない」

13.タバコ

大学に戻ってすぐ、王林への手紙を書いた。普通日本であれば通信手段に電話を
使うのであろうが、何故か彼が教えてくれたのは住所のみであった。

「電話が無い事はないと思うけれど、何かそういう風習があるのかな?日本人だ
ったら住所を教えないで電話番号だけだよね」

五月自身、大学の寮に住んでいるため個人の電話番号は無い。王林は両親と共に
大学内に住んでいるのだと言っていたから、もしかしたら個人の電話番号が本当
に無いのかもしれない。ともすると細かく聞くのは失礼かもしれない。改めて聞
くのはやめておこう。

書き終わると、すぐ外国人楼の一階にある売店へ向かう。売店のおばさんは当然
”中国語”しか話せない。日本人が切手を買いに来たのだから絶対にこれ、とブ
ッキラボウに1.20元の切手を渡してくる。「今日は中国の友達に出したいの」「
中国国内に手紙を出したらいくら」と中国語の知っている単語を必死に羅列する
五月。しかし発音が違うのか、おばさんには通じない。差し出してくる手を払い
のけ「不是」「不是」を連発する五月。しかし必要は発明の母。確実に発音が合
っている単語を使って意志を伝えるのに成功した。

「中国から日本まで手紙を送るには1.2元。中国から中国へ手紙を送るには?」
 中国到日本是1.2元 中国到日本是多少銭?
 
文法などあったものではない。しかし理解したのかようやく笑顔をみせるおばさ
ん。赤い切手を1枚切り五月に渡します。大学内にあるポストに投函した2日後、
王林がお昼休みの時間に外国人楼の前に姿を現した。

「五月手紙ありがとう!読んだよ」
「来てくれると思った。お久しぶり」

笑顔の五月。王林も本当に嬉しそうな顔をしている。手紙では一度説明している
のだが、もう一度手短に説明する。折角だから中国の産業を見てみたいのだが、
何か見せてくれる所は無いか。と。

「いいよ!連れてってあげる。北京の側には偽物のたばこを作っている村とかも
あるんだよ。観光地化していて面白い」
「偽物のたばこ?」

五月はたばこを吸わないので外国製たばこについてあまり詳しくないが、吸って
いる友人に言わせると中国では外国製のタバコが非常に高く、まずいのだと言う。
「味が違うんだ。何故だろう」を連発する友人。もしかしたら友人が吸っていた
のはその偽物のタバコだったのだろうか。

しかし、中国におけるタバコの位置づけは非常に面白い。チップの代わりに外国
製のタバコを渡す習慣があるのだ。これはぶっきらぼうなタクシーの運転手が突
如と笑顔になり非常に喜ぶから不思議だ。大切に自分のタバコの箱の中にしまい
「後で楽しんで吸うよ」と言うような顔をしている。

中国にはチップの習慣は無いので、渡す必要は無いのだが、笑顔が嫌いな人間な
ど居ない。五月はちょっとしたコミュニケーションツールとして吸わなくても持
ち歩こうかと思っていた矢先であった。
 
「面白いことを聞いた。そういうのを見てみたいのよ」

14.ファンチェン

「オスカーはどうしたの。オスカーは」

王林と別れた後、五月はふらっと先輩の部屋に遊びに行ったのだが、部屋に入っ
たとたん、畳み込む様に声をかけられた。王林と待ち合わせた場所が悪かったの
か、(大学の寮の前)既に筒抜け、がくっと足を折ってショックを受けた振りを
する。

「忘れてないですよーその為に毎日勉強してますから。最終的にはシャングリラ
ホテルのディスコでデートが目標ですから。王林は友達。友達だから関係ないの」

「難しい問題だね。でも王林は私も何度か話したけど悪い子じゃないし、五月を
酷い目に遭わせる様なことは無いと思うから心配はしてない。どしたのそれで」

先輩は手に持っていたタバコの火を消す。中国留学歴は既に1年、五月は彼女の事
を尊敬の念を込めて”あねご”と呼んでいた。貫禄十分、中国語の発音も日本時
とは思えない程綺麗だ。

「”ファンチェン”してみたいな、と思って、あねごやってるんでしょ?」
「やってるよ。ワイビーをまともに使ったら勿体ないもん。五月やってなかった
の?」
「留学する時に大学の教授から”ファンチェンをしようと声をかけられても絶対
にやってはいけません。なぜなら1回掴まると罰金、2回掴まると国外退去だから
”と言われていて、全く声をかけられても無視していたの。でも3割位お金が増え
るんでしょ?勿体ないじゃない」

解説しよう。

五月が留学している1993年の時点では、外貨流出を防ぐために外国人が使用する
お金(以後ワイビー)と中国人が使用するお金(以後レンビー)は全く違う名前、
紙幣となっているのだ。

ファンチェンとは、一般的にワイビーをレンビーに取り替える事を言う。

ワイビーは変えたときの領収書さえ持っていれば、外貨に戻すことが出来るが、
レンビーはそう言ったことは一切できない。価値としては、ワイビー:レンビー
=1:1.3位であったであろうか。通常生活する上ではワイビーを使用してもレンビ
ーを使用しても買える物は全く変わらない。10元の物を買うときは、ワイビーで
もレンビーでも10元支払わなくては買うことはできない。

2000年現在はワイビーは全く存在しない。レンビーだけが唯一の流通貨幣だが、
日本の成田空港では”中国人民元の換金はお断りします”との張り紙が何故か貼
られている。

「別に大した事じゃないから、今から行く??」
「どこでやってるんですか???」
「私は町中の呼び込みのファンチェン屋は怖いから、大学の側のタバコやさんで
やる事にする。でもね***大学では大学構内にあるんだって。びっくりだよね」

「大学の中に?違法業者が???」

15.少額紙幣

草川五月、東海大学4回生。大学では主に物理学を専攻し、メディカルエレクトロ
ニクスやスペクトル解析などコンピューター技術の専門家である。しかし、何を
勘違いしたのか第二外国語の中国語を3年間勉強し、大学の留学制度を使って中国
人民大学へ現在留学中。判をを押したようなまじめな留学生で、A、B、C、Dと4段
階に分かれている夏期短期留学講座では辛うじてBクラスに所属し、真面目な学習
態度は、大学の先生の覚えも目出度い。五月がついに違法行為を実行しようとし
ていた。

「そんなに体を堅くする事は無いから。あっという間よ」

あねごはそういって五月の手を引いて大学の門を出ていく。カラッとした湿度の
低い空気が肌の上を流れていく。門を出たとたん屋台の売り子の声が辺りに響き
渡る。大学の門の真ん前にお好み焼き?の屋台が出ているのだ。「くれぐれも屋
台の物は食べないように」という大学側の説明をまじめに守り、五月は一度も屋
台の物を食べたことは無い。おいしいのだろうか。

「ここで待ってて」

五月からさっと2万円受け取り、あねごはそのままたばこ屋?本屋?と見まごう店
の前へ向かって行った。お金を見せふたみこと話すとすぐ商談が成立したのか、
さっと日本円が店の中に入り、人民元の塊らしい物が姉御の手に渡された。すぐ
にポケットにそれを移し五月の元に戻ってくる。中身は確認しないのだろうか?

「はい、行きましょ」
「もう終わったの???」

小さい声で「中は確認しなくていいの?」と聞くと、「もし間違ってたらクレー
ムつけるから。この近所で商売してて、私たちにインチキしたらもう行かないか
らね。まずそういったことは無いわよ」留学生楼に戻り、中身を確認する。確か
に枚数は合っている、が、全て20元札だ。これは一体どういう事なのだろう。

「少額紙幣の方がいいのよ。高額紙幣の場合お釣りが大変だし、第一偽造紙幣つ
かまされたら大変だからね。覚えておいた方がいいわよ。海外に行ったら高額紙
幣を持たないこと。泥棒にあっても最小限の被害で済むから」
「偽造紙幣???」

後日計算してみるとレートは1元約11円であった。通常1元13.5円位であるから、
400元程得した事になる。こういった場所は中国各地あちこちにあるのだろうか?
五月はふと中国のアンダーグラウンドの世界を見たような気がした。留学人の外
貨を確実に吸い上げる不思議な人達。それは既に一つの商売として成り立ってい
た。

「でも、これでやめにしよう。私には合ってない」

あくまで真面目な五月なのであった。

16.シルク工場見学

数日後、約束通り、五月と王林は2人して工場見学へ出かけて行った。

公共バスを動物園前のターミナルで乗り換え、北京の市街地から少し離れた工場
へと向かう。五月は偽物タバコ工場の見学を希望していたのだが、その工場は北
京から少々離れた所にあるので、今回は王林の友達が働いている工場へと向かう
こととなった。

繁華街を抜けて行くと、道が段々狭くなって来、道々を軍の装甲車!がダダダダ
轟音を立てて走って居るではないか。こんな光景、日本では富士山側の自衛隊の
演習地側の道路でもそうそう見れる物ではない。

「すごいね。びっくりこんなの見たの」

何故五月が驚いているのか分からない王林。こういった光景は当たり前の事なの
であろうか。最後のバスを降りた後は足で工場へと向かう。そう大した距離では
ないがようやく工場に到着した。1階建ての大きな建物。入り口で王林が工場見学
の旨を伝えると、特に案内する人が居るわけでなく、中へと通された。こんな簡
単に中に入れて良いのだろうか?

「人民大学の留学生だと言ったら全然大丈夫だったよ。行ってみよう」

中は暗くてシンプルな造りであった。まずあったのは繭から糸を取り出す女性の
工員達の姿であった。煮出した繭を扱うからか誰しもストッキングを履き、靴下
をはいて下半身が冷えるのを防いでいる様だ。しかし、五月が驚いたのは誰しも
ぺちゃくちゃ・ぺちゃくちゃ仕事よりも会話に夢中になっている。

「仕事しなくていいの?あの人達」
「一杯やっても、やらなくてもお金は一緒だから。だと思う」
「え???日本だったら大問題だよ!」
「何故そんなことを驚くの?何か変?」

思い出してみれば、ちょっと売店などに遊びに行っても”仕事をしている”とい
うよりも”仕事をしてやっている”という態度の店員が多かった事を思い出す。
よく見なくても仕事の手を完全に止めて遊んでいる人も居る。決して休憩時間で
は無い。工場の奥では織物の機械がカタン・カタンとさぼることなく元気に動き、
綺麗な白・緑・ピンクのシルク布を作り上げていた。

「織物工場ってのは、本当に産業の”最初”の段階の一番大切な産業なんだよね。
材料その他全てが自国で賄えるじゃない。日本の戦前の一番の外貨獲得手段はこ
ういった織物産業だったからね。あの車で有名なトヨタだって始めはこういった
織物産業の会社だったんだよ。そう言った意味でこういう工場を見るのはすごく
勉強になる。私見るの始めて。」
「五月は物知りだね」

共産主義の悪所と言っては言い過ぎだが、やはり自由主義の国が栄えているのは
やはりこういう理由からであろうか。以前見た日本企業で働く中国人とは全く違
った工場で働く女性達の姿を見ながら、考え込むのであった。人は幸せであれば
それでいい。楽しければそれでいいのかもしれないけれど・・・

「もっと見てみたい。中国という国を」

17.トイレ

何と、日本から友人が寮に遊びに来た。

しかし、大学寮に泊める訳にはいかないので近くのシャングリラホテルに宿を取
る。留学生の群にまぎれて大学寮に遊びに来た彼女。ちゃきちゃきの普通の日本
人である。

「もの好きだね。ホテルは5つ星だから綺麗だったでしょ」
「もうびっくり。トイレから出ると人がすぐタオル持ってきてくれたり、ディス
コが付いていたり。中国じゃないみたい」
「もう色々回ったの。これから。連れて行ってくれるでしょ」
「ok!」

すぐお出かけの準備をする。財布、タオル、ミネラルウオーター。そして長時間
のお出かけには忘れてはならないトイレットペーパー。

「何でトイレットペーパーを持っていくの」
「5つ星ホテル以外のトイレにトイレットペーパーはありません。中国では自分の
トイレットペーパーは自分で持ち歩く物なの」
「え???」
「陽子にも一つあげる。こっちでは必需品だから」

引き出しから大事そうにピンク色のトイレットペーパーを出す。迂闊に机の上に
置いておくと週に1回の掃除の時に持って行ってしまわれるかもしれないからだ。


「それからもう一つ大事なこと。トイレットペーパーを使ったら流さないで、必
ず前に箱があるから、その中に入れるようにして。そのまま流すと詰まってしま
うらしいから」
「え????それって臭くない?大丈夫なの?」
「慣れた。いい。箱に入れるのよ。それがこっちのマナーだから」

バスを乗り継ぎ故宮博物館へ、映画ラストエンペラーのシーンを思い出しながら
ゆっくりと回る。海外からの環境客のみでなく、中国国内からの観光客も非常に
多い。ホテルでトイレに入ってから早4時間。陽子はだんだんトイレに行きたくな
ってきた。

「五月、いいかな。トイレどこ?」
「入り口の辺りに確か公衆トイレがあったけど。あそこはやめておいた方がいい。
タダだけど隣との仕切りが無いから。隣が丸見えなのよ。日本人はあそこでは出
来ない」
「仕切りが無い???」
「ちょっと探すわ。ちょっと待ってて」

数分後、有料トイレを発見し、水洗である事を確認して一安心。入り口でお金を
払い、マイ・トイレットペーパーを持って扉を開ける。が、中は前の人が出した
であろう黄色い水が便器に溜まっていた。

「マナー悪いな」とひもを引っ張る陽子。ぐっぐっぐ、と何度も引っ張るのだが
水が出ない。順番待ちの人は陽子がなかなかトイレから出てこないので、”どん
どんどん”と金切り声を立てながら扉を激しく叩く。仕方ない・・・出来ない・
・・でも今を逃したらいつできるかどうか・・・

真っ青な顔で五月の元に戻る陽子。「早く日本に帰りたい」ぼそっとそう呟きな
がらホテルへの帰路を急いだのであった。

「貴重な体験した」

中国では当たり前の事です。


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