子供の姿が消える時

 2002年に生まれた赤ちゃんは前年より1万6796人減って115万3866人である事が厚生労働省によって先日発表された。出生率は1.32%。国が予想していた物よりも0.01%低い数字である。

「このままでは社会制度が維持出来なくなる。異常事態だ!」

 日本の社会は右肩上がりに人口が増える事を予想し、計画されている。このままでは今後五-六年以降一億二千人居る総人口が減少を始めると言う事態にまで発展しかねない状況なのである。年金額の減額、そしてサラリーマンの扶養者である第三保険者にも半額年金を負担させる案など、現在国会ではこうした人口減に対する法律がまことしやかに検討されて居る。

「子どもが欲しくても産めない。育てられない」 

 保険金額算出も総報酬制に、デフレスパイラルで物の値段と共に給料も下がりにっちもさっちも行かない状態。子供が贅沢品とは言わないが、一人の子供を成人させるまで一千万円かかると言われている現在、常識的に考えても複数進んで子供を産もうと思う人は少なくなって当然だと思う。少子化対策が先なのか、年金対策が先なのか。縦割りの日本政府の対策は、効果が直ぐに出ない事に対してはとても冷ややかに出来ていると思う。

「やっぱり幼稚園まで、面倒見ないと仕事復帰は駄目みたい」

 近所の友人が、子供がようやく生後一年を経過したので仕事に復帰しようとここ数ヶ月保育園を探したが、公立の保育園は月謝八万円! 私立の保育園は二十人の子供に先生が二人! と言う現実の壁に憚れ、このままではとても子供を預けて仕事に復帰する事は出来ないのでは、と言っていた。

 彼女は一段楽したら是非次の子供を作りたいと言っていたが、現在の状況ではおいそれとその決断は出来ないと言う。次が続かない状況。昔仕事と子育てを両立させる状況を苦しんだ奥さんが、娘が出産するに至って、その頃と日本の保育事情が全く変わっていないのに驚いたとコラムを書いていた。子育てのリスクは全て母親が負う。三人に一人が離婚をする現代で、そうした選択をする事は難しい事であるし、仕事が好きな人にとっては仕事を三年休むと言う事は大きな痛手となってしまうのではないだろうか。

「やる事はやってるけど出来ないんだよね。どうしてだろ」

 環境ホルモン等の影響により男性の精子の数が減り「妊娠しにくい」夫婦が多い事も一つの原因と言えるかもしれない。インスタント食品ばかりの生活を続けていると、健常人の精子の数の半分も無く、動きも鈍い。と言った現象が起こって来る。二十代の男性よりも三十〜四十代の男性の方が精子の数が多い=妊娠させる力を持っている。と言った情報が流れる位、力が弱まってきて居ると言う。

「とりあえず食べられればいいや」
「うまければ、身体の事など気にしなくていい」
「早くて楽なのが一番」
「結婚? 自分が働いて稼いだ金を他人に使われるのは許せない」
「子供なんて要らないよ。今が楽しければそれで」

 全てにおいてそうした安直考えが結果として出生率を下げていると言えるのかもしれない。

 個人的には、出生率を上げたければ母親の負担を軽くする事が一番大切であると思う。とどの詰まりお金かい! と言う無神経な人も居るかもしれないが、高齢者に割り当てられる税金の十分の一も赤ちゃん達には割り当てられてはいない。ベビー用品メーカーコンビでは第三子出産の際は二百万円の祝い金を出し、男性社員にも育児休暇を取るように指導をして居ると言う。もはや国の施策を待っていられないと言う事だろうか。国が当てにならない以上、もしかしたら今後はこうした企業ベースの育児対策が多くなって来るのかもしれない。

 富の再配分と言い税金を取るのであれば、投票権は無いものの、将来の社会の担い手である事を考え、是非今後赤ちゃんに優しい社会作りをお願いしたいと思う。町の公園から子供の姿が消える時、それは決して遠い未来の話では無い。