名前と言う魔法〜創氏改名問題を考える

 二〇〇三年五月三一日、自民党の麻生政調会長が東大において行った講演内容を巡り、日本列島に衝撃が走った。日本が朝鮮半島を植民地支配していた際行った「創氏改名」について、これは「朝鮮の人たちが名字をくれと言ったのが始まりだ」とマイク片手に力強く語る麻生氏に対し、ホール内をまばらに座る学生達が「一体この人は何が言いたいんだ?」と不思議がっている姿が印象的だった。日本人には聞きなれないこの「創氏改名」。これは一体どう言う事だったのだろうか。

 建前上の歴史はこうだ。日本植民地支配の時代、韓国人に対し日本名を付けよう。そうすれば差別は無くなりより良い日朝関係が築けるだろう。と。記録上は確かに「韓国人の方から提案があった」とされているが、日本では既に江戸時代から明治時代に変わる際、国民全員に無理矢理苗字を付けると言った政策が行われていた事を考えると、実施に当たり、やはり日本人的発想が強かったのでは無いかと思う。

 韓国では突拍子も無い事を「名前が変わるような」と言う表現をし、同姓同士は結婚出来ないと言った日本人には考えられないような風習が今も残っている。結婚しても女性の姓は変わらず、そのお陰で家系図は祖先まで遡る事が出来ると言う。

 この法律は強制では無かったのにも関わらず、実施率は八十パーセントを越えた。その理由としては実施率を競った朝鮮下級役人の暗躍等も囁かれるが、実際に「創氏」をしなければ子供は小学校に通う事は出来ず(当時韓国に義務教育は存在しなかった)、「非国民」と日常生活上差別されると言った事があったのである。強制では無いけれど、しなかった場合のデメリットは余りにも大きい。背に腹は変えられず、かくして「創氏改名」は韓国人の長く守ってきた伝統文化を破壊する事となる。

 歴史判断と言うのは非常に難しい。日本側としては「強制した訳では無い。自由意志だ」となるであろうし、韓国側にしてみれば「せざるを得ない状況に追い込んだくせに!」となるのだろうか。植民地時代、この「創氏改名」を自由に行えたのは韓国人だけであり、同じく植民地支配を受けていた台湾などでは神棚を飾っていたり、日本語が上手だったりと色々な条件を満たしていた者のみ「創氏改名」が許されたと言う経緯がある。「総氏改名」が許されると言う事は、先進国「日本」に同胞同格として認められる。そう言う意味合いもあったのだ。日本側としても、当時別段「創氏改名」をした所でメリットは少なく、むしろ韓国人を日本国民と同等の権利を与えなくてはいけなくなり、むしろデメリットも多かったのだ。

 とにかくこの手合いの問題は非常に微妙な問題であり、数時間で終る講演一つで終るような話では無い。自分は好意で行って居たとしても、相手にはそうでは無かった。相手は喜んでいると思ったのだけれど、実際は嫌がっていた。人間ならこうした行き違いは当然あっておかしくは無いだろう。

「交流と交渉を中断させるような事は望ましくない」

 今回の麻生発言を受け、北朝鮮側は又しても挑戦的な談話を発表したが、逆に韓国側は冷静だった。日本と韓国との関係は歴史認識一つで揺らいではならないし、現在北朝鮮の核開発問題、韓国大統領が訪日が決まっている中、そんなやりとりだけで貴重な会談時間を費やすのは馬鹿馬鹿しい事だと思う。そう考えると、自民党総裁選に出馬し、首相を目指した人間の今の時期の発言としては不適切であったのでは無いかと思う。ぽっと出た一言としてだけで無く、緊迫した状況下、講演において「創氏改名」を取り上げ、何が言いたかったのか。麻生氏の今後の日韓関係に対する行動に注目したい。

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