シグナル

 毎週水曜日は取引先に合わせてか残業ゼロの定時退勤日と決まっていた。仕事はまだ小山のように残っているけれど、会社命令とあっては仕方が無い。電車を乗り継ぎ、自宅へと急ぐ。子供たちは六時半から食事をしている筈だから、上手く行けばギリギリ間に合うはずだ。足のスピードがどんどん早くなって行く。住宅ローンをまだ三十年残した我が家は駅から遠く離れた僻地にある。健康住宅といえば聞こえが良いが、駅から往復一時間の距離を毎日歩くのは正直大仕事だ。国道を越え、住宅街へと通じる脇道に入る直前の陸橋に差し掛かった時、俺は不思議な光景を目撃した。

「ありゃ何だ?」

 陸橋の上部に白い布が張られ、上から小学生と思しき子供と母親が手を振っている。この陸橋は朝と夕方、小学生の通学以外に殆ど使われる事は無い。二人は見上げる俺の姿に気がついても動じる事無く、上空に向って手を振りつづけて居た。

「ありゃ今流行りのパナ○エーブ研究所か???」

 少々気になりはしたが、それ以上深くは考えず家路を急いだ。翌朝陸橋の前を通った時、白い布は影形もなく消え去ってしまっていた。幻覚か? と思ったが又翌週水曜日、陸橋の前を通ると又しても白い布が張られ、親子が手を振っていた。

「やばいんじゃないか?」

 二度目と成ると流石に気になり、家族に相談した。すると嫁さんは見た事が無いと言うが、今年四年生になる子供は「夕方たまに見るよ」と証言した。どうやら毎日白い布が張られて居る訳では無いようだ。では何故? 何の為に? その夜俺の夢の中に陸橋から手を伸ばした親子が銀色に光り輝くUFOに乗り込んで行く姿が登場した。宇宙人とコンタクトを取っている? 教祖がスカラー波に犯されないように守っている? 浅いまんじりとしない眠りの中俺は一人悩みつづけていた。

 翌週の定時退勤日。陸橋に白い布が張れている事は遠めでも良く分った。近寄ってみるとその日上には子供の姿しか無かった。いつも居た親は……周りを見回してもそれらしい人物は居ない。これはチャンスかもしれない。これ以上悩むよりは……と俺は陸橋の階段を駆け上り手を振る子供の前に立った。

「君は一体何をしてるんだい!」
「パパに信号を送ってるんだ」
「信号?」

 子供は質問される事に慣れているようだった。
 詳しく話を聞くと、彼の父親は国内線のパイロットで月に何度も家へと帰って来れないそうなのだ。それで父親が成田を飛び立つ日は空から彼の姿が見えるように、この辺では一番大きく目立つ陸橋にマークとして白い布を張り、手を振っていたと言うのだ。

「パパはねお空から良く見えるって言ってた。だから僕は頑張らないといけないんだ」

 暫らくすると子供の親とおぼしき女性が反対側の階段を登って戻って来た。俺は急に自分の行動が恥かしくなり、慌てて階段を降り家路を急いだ。何だそうだったんだ。改めて考えてみるとたいした事では無かったのだ。

「どうしたの? 何か言われたの?」
「ン? 別に。パパの飛行機まだ飛んで来ないねえ」
「そうねえ。もう少しで来るんじゃない?」