現代戦争〜イラク・米英戦争

 未来の戦争と言うコラムを昔読んだ事がある。
 シミュレーションが発達して居る現代、戦争は「始まりそうだ」と分かった瞬間双方の国の軍事関係者が双方の軍事能力を解析した結果、始まる前に戦争が終る。と言った内容の物だ。その時は、「成る程。そうかもしれないな」と漠然と思っていたのを覚えている。

 戦争が始まる。始まらない。始まるかもしれない。
 何事も「駄目・駄目」「やるだけ無駄」「そうかもしれないが」などと文句ばかり言うよりも実際に動く方が何倍も大変なのは間違い無い。北朝鮮拉致疑惑の横田めぐみさんの母横田早紀江さんは非常に現実的に「戦争は悪いに決まっている。でも、独裁者と話し合っても無駄です」とコメントした。話し合いが通じる相手ではない。「戦争以外にこうしたらどうだろう」と言う意見では無く、「戦争以外に何か方法は……」と言う他人任せだけでは、次のテロが始まるまで何もしないのと同じ事では無いだろうか。

「国連決議に従う」などと言うお題目は各国の及び腰により紛糾し、結局戦争は始まった。日本人の目にも、結局の所、国連はあまり役に立たないと写った事だろう。個人的には、始まる前にイラクが全面降伏、若しくはフセイン大統領の亡命が無い限りアメリカは開戦するだろうと思っていた。だから戦争が始まったと言うニュースにあまり驚くような事は無かった。ただ「早く終って欲しいな」と思いはしたのだけれど。

 何事も相手の善意を期待してはいけないと思う。
 強烈に圧力をかけなければ査察に協力しないイラク。前回の査察を行った日本人が言うには、嫌がらせとしか取れないような邪魔ばかりをイラク側は公然と行い、予定通リ査察が進む事は無かったと言う。

 未来の悪の芽を絶つ。そうした米英の考えに反対する人間が「人の盾」としてイラク入りした。文字通り読むだけなら、「自分の身体を張って戦争を止める」と言った高尚な行為のように見えるが、無論それだけの意味では無いだろう。「自分一人生きていくのが精一杯」であったなら、他国の戦争についてなど、関知する余地は無いだろう。更に言えば自分にとって夢中になれる事、他国の戦争よりも大切な事があったならば、わざわざ自費で飛行機代を出し行くような事は無かっただろう。

「人の盾」が存在する所以。それは日本人が昔に比べ豊かになって来た証拠なのかもしれない。

「イラクの人の命を守りたい」と入国した人の殆どは戦争前に出国した。イラク側がこうした「善意」の人の盾を戦争の道具として使おうとしたからだ。戦争が始まり二週間以上が経過してもイラクを出国せず、発電所などで寝起きする日本人は多数居、インターネットで日記を書いている人も居るようだ。成人したその人の命は、その人の物だけでは無いだろう。親・兄弟・親戚、それまで育ててくれた人の事は考えないのだろうか。昔の戦争から考えると、こうした「人の盾」の存在はとても考えられない。

 昔の戦争と大きく違う所、湾岸戦争の頃から違和感を感じていた言葉「誤爆」と言うのも不思議な意味である。東京大空襲の悲劇を考えると、あれもやはり「誤爆」だったのだろうか? と思ってしまう。「死亡者五人」等という表現も「約百人」などのようにアバウトで無く、数も格段に少ない事に驚かされる。大体昔であれば、こんな少人数の死亡であれば、記事にすらならなかったのでは無いだろうか。

 テレビでは日々最新戦闘映像が流され、占領地が塗り絵のように表示される。各社のコメンテーターは様々な状況を踏まえて「イラク軍優勢」「アメリカ軍優勢」と論説を奮う。ある意味テレビゲームを見ているような、「戦争」と言う名のドラマを見ているよな気分がしてきた。

「侵攻した」と言う事実から考えると、アメリカ側はシミュレーションの結果、「勝てる」と考えたのだろう。不確定な要素としては自爆テロだが、こればかりは防ぎようもない。イスラムにはジハードと言う便利な言葉があり、今回自爆テロによって命を絶った者には最大の栄誉が与えられる、と言う。「侵略者は米英であり、イラクを守るのは防衛ジハードにあたる」イスラムのジハードと言う意味は決して自爆すると言う意味では無いのだが、主義主張の為に自分の命を絶つと言う事が正しいと言う考えには同意は出来ない。が、「自分達の力で自分の国を守る」と言う気持ちは「人の盾」としてイラクに居る人達よりは理解出来るような気がした。

 戦争が始まって以来、私はテレビの電源を極力入れないようにした。あの落ちて行った砲弾の下に何人の人が亡くなっているだろう。と想像すると自然と悲しくなってしまうからだ。「今こそ日本人も戦争について話合うべき」その通りだと思う。イラクの次は北朝鮮。である可能性が高いからだ。他人事、横目で戦争を見ていた日本人が久しく直面する危機に我々は何が出来るのだろう。今は何が信じられて、何が信用出来ないのか見極める目を持つ必要があると思う。

 戦争が始まる前、つぼみさえ無かった春の桜はもう散り始めて居る。夏前に戦争は終るのだろうか。そうであって欲しいと心から思う。毎朝・一面トップに覗く戦争のニュースを眺めながら、祈る今日この頃である。