アロマテラピー★ショック

 出産で自宅を二ヶ月ほど空けていた時の事である。

 自宅では旦那の父親が娘の面倒を見てくれていた。とは言え前回の出産では家中荒れ放題であった事から考えると部屋の美醜についてはとやかく言う気は無かった。リビングに転がる多数の半透明のゴミ袋。ここまでは想像していたが、家中の窓が開け放たれている事が気になった。何だろう? 焼肉でもやったのかな? と階段を登るとその理由が徐々に分かってきた。家中煙草の匂いが染み付いているのだ。

「誰かが煙草を?」

 旦那の父親は一日に三・四箱も吸うヘビースモーカーである。帰宅後余りのショックに一時間程口を開く事が出来なかった。探るように旦那に理由を聞くと、最初はベランダで吸って貰っていたのだが、流石に頼んで来て貰っている関係上、寒い冬空に一日何度も長時間可愛そうだと思ったようなのだ。「家で吸っていいですよ」と声をかけた。せめて換気扇の下で吸ってくれれば良かったのであろうが、そこまで気を使ってはくれなかったようである。

「吸ってたのはあそこでしょ。階段の上」
「良く分かるな。大正解」

 心霊番組で、「あそこに霊が居ます!」と言うかのように階段の一番上の踊り場を指差す。匂う。臭い。旦那の実家に娘が帰る度不思議な匂いを染み込ませて帰ってくる事があったが、一体何の匂いか永年分からなかったが、その答えがようやく分かった。何度洗ってもそう簡単に消え去らないあの匂い。あれは煙草の匂いだったのである。

「余計な事言わないでくれれば良かったのに……」

 全ては後の祭りである。煙草の匂いは壁紙に染み込み家中に漂うだけで無く、お風呂場に置いてあった多数のタオルにも染み込んでいた。顔を洗いタオルを鼻の側に近づける度に大嫌いな匂いがする。匂い消しの定番。ファブリーズを家全体に撒くが効果は全く無し。既に消臭用の薬剤で消えるような勢いでは無いのだ。タオルは天気の良い日に何度も洗濯をして匂いを消す事が出来たが、家に染み込んだ匂いはそうはいかない。私自身は万策尽き頭を抱えてしまった。

「煙草を吸っていたか、吸っていなかったか」

 それだけでその家の価値は大きく変わってしまう。
「先住民がベランダで煙草を吸っていてくれたお陰で匂いが染み付いていない」と言う事が購入基準となる一つの美談として伝わるのである。近所の煙草を吸う旦那さんが居る家庭に煙草対策としてどうしているのか、と聞くと家で吸わせる事は論外であると言う。最低でも換気扇の下、若しくはベランダであるそうだ。家の価値が落ちると言う事は家の財産が目減りする事である。苦労して家を買った人はまず家の中で煙草を吸う事は無いようだ。

「吸わせる訳無いじゃない。臭いのに!」

 煙草を吸わない人は煙草の匂いが気になるものだ。子育てをしている人は母乳に影響が出る上子供にも良くないと言う事で、出産を機にやめる事が多い。「私はやめるからあなたも吸う場所については協力して!」と言う事であろうか。我が家は旦那が喘息である事もあり、数年前に旦那は煙草は吸わなくなっている。私は匂いが厭なので口に咥えた事さえ無い。思い悩みデパートをフラフラしていると、花屋さんで緑色の「アロマキャンドル」を発見した。

「これ! これよこれ ためしに使ってみましょう!」

 欧米では赤ちゃんのオムツを交換する際、キャンドルを付ける習慣があるそうだ。蝋燭をつける事により臭い匂いを消し去ると言う事なのだが、我が家においては役に立つのだろうか。ホテルなどにおいて、宗教上の理由によりお香を炊いたお客の部屋で煙草を吸い、匂いで匂いを消すと言う手段がよく行われる話を聞いた事がある。普通の状態では何日も匂いが消えないのが、この方法を使うと一日で綺麗に匂いが消え去るそうだ。更に良く探すと「スモークイーター」なる煙草の匂い消し専用のキャンドルまで存在する。こちらは一個千円以上するので簡単に購入をする気持ちにはなれないが、三百円程度であれば試してみる価値はあるだろう。

 毒を毒を持って制す。私には購入したリンゴ型の蝋燭が正義の剣に見えてきた。

「これで何とかして!!!」

 確かに何とかなった。しかし蝋燭をつけている間だけ。

 蝋燭が燃える事により、仄かなレモンの香りがして、一時的に煙草の匂いが消えるのだが、蝋燭を消せば元の木阿弥である。小さな子供が居る関係上、自分の目が届いている間だけ蝋燭を付けるがこれでは埒があかない。どうしよう。悩んだ上私は近所に居る人達に愚痴を零しつづける事にした。もしかしたら誰か良い方法を知っているかもしれない。結果はあっという間に出た。イギリスにもアロマテラピーの研究で留学した事がある友人がアドバイスしてくれたのである。

「アロマオイルを調合してあげる。これを一日一滴素焼きの板に垂らしておけば匂いが持続するから。気になる場所に置いておけばいいわ。好きな匂いとかある?」
「いえ別に無いですけど」
「じゃ、生まれたばかりの赤ちゃんが居るから。赤ちゃんが安心する香りにしましょうね」

 パパパとアロマオイルを調合する。慣れた手つきである。話によるとアトピーを治療するようなオイルから空気を洗浄するオイル。虫除けのオイルなどまで用途に合わせて調合する事が可能なのだと言う。失礼な事に正直言ってその時はアロマオイルよりもアロマキャンドルの方が香りが強いような気がした。

 それでも言われた通りにガラスのキャンドルポットに素焼きの板を置き、毎朝アロマオイルを垂らした。徐々に香気が蒸散するからであろうか、一日継続して香りが漂うようになった。その匂いは煙草の匂いと違い厭な思いはせず、むしろ心地よく感じられた。目の届くリビングではオークションで大量に落札したアロマキャンドル。一番匂いが漂う廊下ではアロマオイル。という方法で対策を一ヶ月続けた。結果、あれ程私を悩ませ続けたタバコの匂いは綺麗サッパリ消え去った。アロマオイル最強。そう思った瞬間であった。

 今回は素焼きの板に垂らして使用したが、その他「アロマポット」と言う壷の上部が皿のようになっている容器を使用して、下部で蝋燭をつけ、上部の皿に水を張りアロマオイルを垂らし、蒸散させると言う方法もある。

 しかし火を使う関係上子供の居る家では不向きであろう。と言うと最近は電球を使用した「アロマポット」同様の事をしてくれる手元灯が販売されているそうだ。電球の仄かな温度で水分を蒸発させ、アロマオイルを飛ばす。値段的にもそれ程高くは無い。

「でも素焼きの板に垂らすだけで十分効果はあると思うのよ。どうだった」
「おっしゃる通りでございます」

 四センチ程の瓶に調合して貰えば二ヶ月は使用する事が出来る。しかし日本には薬事法と言う物があり、認可されない限り、自分で調合したオイルを販売する事は出来ないそうだ。アロマオイルとは植物に含まれる濃縮された芳香物質の事であり、たとえば100グラムの精油を抽出するにはバラの花びらが二百キロ! 以上が必要となるのだと言う。効用は匂いを楽しむだけでは無く、傷を治したり、精神を安静にさせたりと様々な効能がある。現在は医学にも応用され、気がつけば出産の際は陣痛で苦しむベッドからはラベンダーの匂いが漂っていた事に気がつく。ラベンダーは抗菌能力が強く、心を安心させる効果があるのだと言う。喘息を患っている人は吸引すると効果があり、不眠症の人にも向いているのだと言う。

 今年の夏は虫除け効果のあるキャンドルやアロマオイルに活躍して貰おうと思いつつ。徐々にアロマテラピーの世界に嵌りつつある自分の姿がそこにはあった。

[続く]