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北朝鮮亡命者連行事件を追う

 今月八日、日本中を震撼させる映像がテレビを流れた。瀋陽日本総領事館に五人の北朝鮮の人間であると思しき二人の男、二人の女、そして二歳の子供が駆け込んだのだ。結果は何度も映像として流されたが、二人の女と子供は門を入った所を取り押さえられ、先にビザ発給事務所に駆け込んだ二人の男性も武装警官の手によって連行されていってしまった。何度も再生される映像にはノンビリとポケットに手を入れ歩いて女性の下に行く男性の姿と、武装警官の帽子を拾い集める副領事の姿が写し出されていた。この日領事は大連で発生した航空事故の為不在であり、首席領事は休暇で日本に戻っていたのだと言う。

 つまりこの帽子を集めていた人間がこの時点での領事館の最高責任者であったのである。

 主権侵犯と言う言葉が新聞紙面を華やかに彩る。一般的に領事館の中は例えそれが中国・国内に建築されていても、日本国と同じ扱いとなる事は一般的に知られている。武装警官はあまつさえそれを犯し、ビザ発給事務所内にいた男性二人さえも連れ去ったのである。ここまでをただ単に聞けば「中国側は何を考えているんだ!」と思う人も少なくないと思う。しかし今回の問題は主権侵犯と言う言葉だけで片付けられない様々な問題が隠されていると思う。

 まず一番最初、何故亡命者五人が北朝鮮から中国へ逃げてきたのか、と言う理由について考えてみたいと思う。これは亡命者の手にしていた書簡によると、北朝鮮における生活環境の悪化が重要な問題として上げられるようである。彼らは”迫害”と言う言葉を持って自分達の環境の変化を表現していたが、政治難民であるか、飢餓難民であるかは重要な問題である為彼らの書簡が全て真実を語っているとは到底思えない。

 北朝鮮はここ数年飢饉が続いており、一日三食食べる事さえも困る事が多数発生していると言う事は日本に対しても米支援などを求めている事などから記憶に新しい。彼らはまず北朝鮮から川を挟んで陸続きである中国へと渡った。彼ら一族は既にアメリカや韓国に亡命している既成事実があったそうだから、頼る先がしっかりしている彼らとしては自由主義国家への魅力は耐え難い物であった事が想像できる。

 一族で亡命を行う事は北朝鮮においては連座制による罰が与えられるからであると想像する。彼ら一族の人間は一人だけ北朝鮮に残っているそうだが、その人間はすでに拘束されているとの情報もある。過去の北朝鮮関連の書籍にも連座制による悲惨な状況が描き出されている。逃げるなら全員で、順番に。彼らの頭にはおそらくはそんな考えが当然の事ながら浮かんでいたに違いない。

 北朝鮮の国境の川を渡った先の土地、それが今回の現場となった瀋陽であった訳である。

 この土地に日本の領事館が存在する事も北朝鮮と隣接する土地である事と無関係では無い。北朝鮮の情報収集の為日本領事館の隣にはアメリカの領事館が存在する。ここで一つの疑問が存在する。何故彼らは隣の自由主義国家である韓国を目指さず、中国を目指すかである。これは韓国が北朝鮮との関係を理由に、第三国経由以外で難民受け入れを拒否しているからである。

 結局は隣の国韓国に亡命するにはしても、一時は第三国を経由しなければ受け入れて貰えない。しかし中国に逃げ込んだ所で、中国側は北朝鮮からの亡命者を難民と認定しない上、北朝鮮との関係悪化を防ぐ為亡命者を発見した場合即北朝鮮へと強制撤去と言う手段を取っている。現在中国側に潜入しているこうした亡命者の数は三万人とも十五万人とも言われている。人道論云々ではなく、中国側としてももし一人でも中国経由での亡命を受け入れてしまった場合、莫大な費用及び被害を蒙ってしまう可能性がある為例外を作るわけにはいかないのである。

 では何故彼らは日本領事館を選んだのか。彼らは本当はアメリカへの亡命を希望していたのだが、その日アメリカ領事館の門は閉じられており、小さな子供連れの彼らはその高い門を越える事が出来ないと判断したからであると言う。これは事前に打ち合わせされており、急遽予定を変更して、毎日・一メートルから六十センチ扉が開いていた日本領事館に駆け込んだと言う事のようなのである。

 では何故カメラが用意されていたのであろうか。カメラマンは「亡命が成功しても失敗してもその事実が闇に葬り去られないためには危険を承知でメディアに協力を得る事は必要である」とコメントしていた。闇に葬り去られる? 日本は基本的に難民を受け入れない国である。すこし穿った考え方をすると、今まで日本領事館に駆け込んだのだが、今回のように武装警官の手によって連れ出された人間が存在していたので、今回は日本側が言い逃れできないように映像を撮ったとも考えられるのである。

 これらの事は全くの想像の話となるのであろうか。五月十三日発売の東京新聞においては日本領事館においては、身元不明者の亡命は一切認めないと言ったマニュアルが存在するとのニュースを掲載していた。もしかしたら日本領事館は「事なかれ主義」として今までも何度もこのような事件が発生した場合、武装警官に亡命者を渡していたのかもしてないのである。

 中国側も「日本側は領事館の立ち入りを許可し、謝礼まで言っていた」と発表している。無論このような事はあってはならない事であるし、もし万が一でもそうであったら、今までの日本の抗議は一体何だったのであろうか? 国際的にも最悪の形で評価される事は間違い無い。五人を引き渡す際、副領事は北京の大使に電話連絡を取ったそうだが「無理はせず、引き渡す事もやむを得ない」と回答したそうである。対立する日中の主張。今回の問題はそう簡単に解決する事は難しい事であるようである。

 週が変わって五月十三日、瀋陽の日本総領事館で通常のビザ業務再開された。これまでのように門を開けたままではなく、アメリカ同様、正門を完全に閉鎖したまま、武装警察官と中国人警備員による身元確認などを終えた後、入門する方式に変更された。何か解決方法が根本的に間違っていると思うのだが、川口大臣は至極真面目に「警備上の問題があった為」とコメントを出していた。

 又、もし最悪北朝鮮に送還されたとしても、現在は亡命者の数が増えてきた事もあり、即死刑と言う事はまず無いようである。強制施設に入れられ、もし生き延びられた場合は北朝鮮の元の場所に戻される。強制施設の環境は劣悪である為子供達は生き延びられない。とアメリカに亡命した女性は語っていた。

 危険を知り、失敗者が出ているのにも関わらず、現在瀋陽の各国領事館には亡命者の数が後を絶たない。国際問題化する事は必死の情勢である。そうした中日本はどうした立場になっていくのであろうか。今年は日中国交正常化三十周年記念の年となっており、中国が大好きな筆者としては、今後の中国との良好な関係を続ける為にも、日本政府の断固たる態度を心から望む今日この頃である。

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