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交尾箱

 横浜に本社を持つ、IT関連のベンチャービジネスの旗手であるA社。まだ新しい匂いのするオフィスに整備されたイントラネット・ネットワーク設備。表面だけを見ると新卒の大学生に人気となりそうな職場ではあるが、実際の仕事は格好の良い綺麗な物ばかりでは無い。

「あーあ。今日も現場だよ」

 入社二年目のアキラは、嫌味のようにぼやく事を人に隠さない。気は乗らないが早々に総務において出張旅費の清算を行い、搬入する器具の確認を行う。そんな中、社内恋愛進行中の啓子が何やら危険な言葉を呟きながら側へとやって来た。付き合いはじめて間もないせいもあり、二人の仲は会社の皆には内緒にしている。

「今日のコウビどうします?」
「交尾どうしますって、今言われても、えっとその困るんだけど」
「コウビもう用意しました?お手伝いしましょうか?」
「・・・」
「聞いてます?コウビですよ。きちんとしないと大変なことになりますよ」

 朝から何て大胆な事を。隠れて小さな声で言うのならともかく、こんな公共の場所で何と言う恐ろしい言葉を連呼するのであろうか。まさかこんな子だとは思わなかった。啓子の高いトーンの声は瞬く間に早朝の静かな広いフロア中に響き渡っていた。出来たばかりの、特に独身男性が多い職場だけに、皆の動きが不自然に止まる。

「コウビどうしますって、うーん。後でゆっくりするからとか、週末までちょっと待ってくれと言えばいいのか?それともパンツを脱いだ方が???」
「朝から何冗談言ってるんですか。怒りますよ。私は”工具箱”を持ちましたかって聞いているんですよ」
「だってお前、交尾、交尾って」
「工具!ですよ。朝から何寝ぼけてるんですか!」

 どっと笑いが沸き上がり、皆安心して元の作業員戻り始めた。啓子はぷんぷんと頬を膨らましながら交尾箱ならぬ工具箱をロッカーからアキラの机へと運んだ。怒っている。どうやら本気で怒っている様である。

「ああ。びっくりした。工具箱だったらそこに置いておいてくれればいいや。ありがとう」
「始めからそう言ってますよ。嫌だなースケベだから」

 その後A社において、特に独身男性の間では工具箱は交尾箱と改名され、呼ばれるようになった。その名前を聞くたびに啓子の怒りは爆発する。

「もう皆大嫌い!セクハラ!」
「啓子ちゃんが付けた名前だろ。はい交尾箱」

[完]


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