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金魚姫

 夏祭り。
 トントントンと捻り鉢巻も勇ましい子供の祭り太鼓の音が鳴り響く中、おぼろげな提灯の灯りにあっちの出店、こっちの出店と誘われながら、浴衣を着た三歳になったばかりの娘とそぞろ歩く。ワタアメ・駄菓子・たこ焼きなどお祭り定番食事メニューが立ち並ぶ中、夕食を食べたばかりの娘は食べ物ではない、こちらもお祭り
の定番アミューズメント”金魚すくい”の前にぴたっと足を止めた。

「ママ、おさかなつかまえてあげるから!」

 一言も「やっていいよ!」と言ってもいないのに、「いらっしゃーい」の声も高らかに娘は、白い紙のタモ網を受け取る。以前は肌色のウエハースのタモが多かったのだが、最近は又白い紙のタモが多いようである。親としては子供がタモを受け取ってしまった以上、お金を払わない訳にもいかない。出店の人もこうした日本人の心理にはとかく詳しく。親よりも子供に商品を渡す事を先にするようにする。子供の方はやってみたいのだから、差し出された手を早々拒否できる訳も無く、親の出費が嵩む事となる。上手い物である。

 プラスチックの容器に水を入れ、タモを勢い良く振り上げる。バシャンという水しぶきが上がり、あっという間にタモは穴だらけ。「やっぱり取れなかったか・・・」と思いつつ、サービスで赤い金魚を一匹ビニールに入れて貰う。どこにでもいる赤い和金である。

 ドンドンドンと言う勇ましい祭り囃子が聞こえて来た。太鼓の叩き手が大人に変わったのであろうか。娘は折角貰った金魚を私に押しつけて音の方向へと走り出して行ってしまった。夏の風物詩とも言える”金魚”。金魚とは一体何なのだろうか。
 実際に調べてみると、別段”金魚”という特別な種が存在する訳ではなく、現在”金魚”と呼ばれている物は簡単に説明するのであれば、フナが突然変異した物である。(コイ科フナ属)一般的に庶民に頒布したのは江戸時代以降であると言われており、その当時は家の軒先などで貴重なペットとして飼われていた様である。生きて悠然と泳ぐ金魚を見て生きた宝石と形容する人も居るが、実際見る機会は少ないのだが、年を経た大型の金魚の美しさは正に東洋の宝石と形容するほかに言葉は見つからない。

 現代においては、お祭りで金魚を釣ったのだが、飼いきれ無いため川に逃がすという人が居るが、これはその川の自然環境を破壊することであり、メダカなどより小さな種を絶滅させてしまう可能性がある非常に危険な行為である。
実際”金魚を捨てないで!といった運動も盛んに行われている。実際見ている限りでは、フナなどに比べて動きの遅い事が多い金魚は川に放したとたん水鳥の餌食になっている事が多いのだが、万が一その川に住む鮒などと混合した場合、弱い体質の鮒が生まれてしまい、その川の生態系が崩れ、大げさでは無くその川の鮒が全滅する可能性も当然あるのである。飼っている人は、誤解の無く金魚は人の手無しに生きられない生物である事を認識しておかなくてはならない。

 しかし、中身は鮒と同じであるとは言え、外見は大分違う。現在金魚には多種多様な色形の金魚が存在する。折角なのでいくつか紹介すると

 ワキン;金魚すくいで一番いるタイプ。フナに赤い色が付いたという感じ、別名”エサキン”とも呼ばれ、近所の熱帯魚屋では100匹780円ほどで販売されている。
 コメット;ワキンの次にペットショップで見かけるのがこれでは無いだろうか。金魚にしてはかなりスリムな形をしており、尻尾が長いのが特徴。動きは素早く、元気な金魚が好きな人にお勧めである。一匹500円程
 キャリコ;形は丸形で動きが遅いように思われがちだが、非常に動きが早く、遊び好きな種類である。色も3種から5種入っていることが多く、非常に目立ち華がある。ペットショップなどでは余り見かけない。アメリカ輸出用に改良された金魚である。一匹300円程。
 頂点眼;長めの体型で、眼が上側を向いているのが大きな特徴。動きはノロノロと遅く色もオレンジ一色の物が多い。一匹500円程
 水泡眼;眼の回りに泡の様な頬袋を持った品種。頬袋の中はアミノ酸。長生すると非常に可愛い。動きも頂点眼と違い愛嬌があり可愛い。一匹300円程。目は見えない品種なので、餌をあげても音をたててあげないと上がってこないが、それはそれで愛らしい。頬袋は一度破れると二度と再生しないので、注意が必要である。場所によっては頬袋が割れた金魚を格安で売っている所もあるそうだ。
 ピンポン・パール;ちょっとおちゃらけた名前の現在大人気の品種。丸々とした体に宝石のような鱗が付いた新種である。愛嬌も良く、餌も良く食べる。中国名は珍珠鱗と書く。一匹500円程

 その他平成となって品種が確定した”オーロラ”や鱗の色が緑色に染まった金魚なども存在するが、一般にはまだ広がってきてはいない。こうした品種は品評会を含めた極々限られた場所で見る事が出来る。

 翌日、ふと気が付くと別の場所でもお祭りが開催されていた。「金魚が一匹だけでは可愛そう!」と生命の重さも考えず、調子に乗ってお金魚すくいを親子で何度も挑戦してしまった結果、果たして家には九匹の金魚がやって来た。可愛いのを選んで取ったつもりであったが殆どがワキンである。金魚すくいの金魚は繁殖的にも価格的にも有利なワキンと、”未分別”と呼ばれる色形が不定形の金魚である事が多い。一般的に金魚の稚魚を育ててみると全体の二割程しか親とは同じ体系・色をしていないそうである。売り物になるか、ならないか。姿形が美しいか、そうでは無いか、その狭間に立たされた金魚が”未分別”の金魚として親魚とは別の運命を辿る事が多い。大概そうした金魚の運命は悲惨なものである事が多い。

 帰宅後、金魚を入れておく所も無いので、娘の砂場用のバケツに入れておいたのだが、長い間このままにしておくことはできない。慌てて近所のディスカウントショップにて金魚用の水槽を購入。ポンプと人工的な木が付いて二千九百八十円、この時点では決して高くは無いのだが、ペットショップの店員の言葉に従い、他に水槽に入れる砂やお掃除係のヤマトヌマエビや石巻貝を購入するとあっという間に一万円を超えてしまった。一応予定ではヤマトヌマエビは金魚の残り物の餌を腐らせる前に食べ、石巻貝は水槽の壁に付いた藻を食べてくれるはずである。人の手を借りず、一つのサイクルとして水槽の中が回ってくれるのであれば、それにこした事は無い。無論早々上手く行くとは思ってはいないが、店員が力説した事と、知識が無い事についつい余計なものを買ってしまった。

「早くしないと金魚が全滅しちゃう!!!」

 色々更に思い悩みながら、午後に自宅に戻って来た時には酸素不足の為か金魚はバケツの中で既に四匹死亡していた。これは大変だ!!!と慌てて水槽に入れ替えたのだが、急に匹数が減ってしまった為水槽が寂しい状態になってしまった・・・

「どうする。これじゃヤマトヌマエビの数の方が多いぞ」
「そう言えば、家から少し離れた川沿いに金魚の繁殖場があったような・・・ちょっと行ってみようか」

 あやふやな記憶を頼りに、行ってみると金魚の卸を行っているお店であった。卸と言うだけの事はあり、無理を言い、中に入ると普段では見られないような金魚を多数見ることが出来た。水泡眼などはこのお店ともう一店でしか私は見たことが無い。オランダシシガラなどはお金持ちのお屋敷用か、十五センチを雄超えた型の物が販売されている。金魚の寿命は十年から二十年であるから、相当長く生きた金魚である事は間違いがない。

「これと・これと・これ・・・」

 金魚の美しさに惑わされ、調子に乗って五匹の金魚を購入。今回購入した水槽は四十五センチタイプと呼ばれる小型の物で、三cm前後の金魚であれば二匹程度が適量だと言われているのを知ったのは大分経ってからの事である。金魚を梱包しているときに色々と聞いてみると、最近の金魚は殆ど中国からの輸入であるという。どうしてもその方が安いし、大量に輸入が出来るからだというのである。

「国内の金魚だったらこの値段じゃ出せないですよー」

 購入している間も、エサキンを求めて様々な人々が百匹単位で金魚を購入して行った。どうやらアロワナなど肉食の熱帯魚の餌として購入しているらしい。金魚が熱帯魚などに比べあまりメジャーでは無いのは実際飼ってみると分かるのだが、とにかく水を汚すのである。付属で付いていたモーターなどは水中の空気補給以外には殆ど役には立たない。翌週大型の水浄化用の大型モーターを購入する事となる。しかしそれ以外は熱帯魚に優るとも劣らない美しさ、仕草である。金魚がちょっとその部屋に居るだけで、毎日の生活が非常に楽しい物となって来るから不思議である。

「じゃこれから仲良くお願いしますよ!」

 一匹二百円で捕った金魚が大分大げさになってきてしまった。・・・しかし娘は綺麗な金魚にご満悦の様子であった。

 四苦八苦の末、ようやく自宅の金魚の水槽が綺麗になってきた。
 大型のモーター付き濾過器を購入したのが一番の勝因であるが、水草や巻き貝、ヤマトヌマエビはあまりというよりも殆ど役に立たなかった。そんなもので浄化できる様な汚れでは無いのである。ヤマトヌマエビは水が汚れていったせいか、それとも狭い空間の中でストレスが溜まってしまったせいか一匹一匹と自然に死に絶えて行き、数が減った所で多数の金魚に襲われあっという間に全滅してしまった。水草は金魚が隠れ家にするかと思い買ったのだが、やはり暇つぶしに食い荒らされ、引き抜かれ最初におまけについていた人工の木以外はやはり全滅。しかし隠れ家は必要であろうと思い絶対に食べられない流木を購入し、水槽の中に入れる事にした。巻貝の最後はと言うと前の二つ以上に情けなかった。ある日水槽の壁からポトンと落ちたきり動かなくなってしまったのである。どうしたのかな?と気になり手に取り匂いを嗅いで見るとこの世のものとは思えない猛臭がした。慌てて水槽の中の転がり落ちた巻貝を処分したのは言うまでも無い。

 かくして生き残ったのはやはり金魚だけ。巻貝を処分し、水を取り替えたばかりなのに、酷い悪臭がしてきた。今回は単純に金魚が水を汚している様である。慌てて空気清浄ポットなどを購入し部屋に置く。無論殆ど効果は無い。

「トイレの空気洗浄ポットを置いた方がいいんじゃないの?」
「あれはあれで、結構匂いがきついぞ。やめておいた方が・・・」

 しかし親の立場から考えると、小さい頃に生き物に触れるというのは良い経験である事は間違いが無いと思う。今年一番最初にやって来た金魚は娘に”ちゅ””ちゅ”と指で何度も触られまくり、網で振り回された結果、あっという間に死亡してしまった。水槽を置いてからは金魚を自然に観察するようになり、毎朝、毎夕餌を上げ、側で金魚の絵を書き楽しくやっている。実際購入した水槽にも”子供の情操教育の為に!”との広告文が書かれていた。旦那も小さい頃金魚を飼っていたらしく、色々とその時のエピソードを聞くと面白い。

「俺の水槽はもっとごちゃごちゃしていた。
 中にカメを入れたりドジョウを入れたりしていたんだが
 あれだな、入れたくても、複数の種類を一緒に入れちゃ駄目だな。
 あっという間にドジョウが金魚の頭だけ食べてしまって、びっくりしたよ
 そしてカメはその後・・・、
 金魚とドジョウをあっという間に食べてしまった・・・」

 近所の川で取れた物を、とりあえず水槽に入れた為に起こった事故であるようだが、私の場合はもっと酷い。金魚の入った自宅の池に、うっかり?近所の川で取れたフナとナマズを入れてしまい、見事金魚及びフナを全滅させてしまった事がある。気が付くと池に赤い金魚の姿は無くなり、変だな?と思い池の水を取り替えたら、丸々と太ったナマズの姿が出てきた時は家族全員本当に「ぎゃーーーー」と悲鳴を上げ、大騒ぎをしてしまった。慌てて川にナマズを逃がしたのだが・・・犯人は誰だ?と言われた時、「ついうっかり・・・」と言った時の家族の冷たい視線は一生忘れない。結局巨大化したナマズを殺す事は出来ず、そのまま川に放す事になった。ナマズに罪は無いのである。悪いのは・・・
無論その後、”池にナマズを入れてはいけません”と相当怒られた。娘はこの水槽にどんな思い出を残すのか、どんなトンチンカンな事をしてくれるのか、金魚には少々悪いが、楽しみでならない。

「ま、君達、死なない程度に頑張ってくれたまえ!!!」

 既に死亡者は数知れず。しかし人間生きていく上で綺麗なことばかり言ってはいられないので小さなこの小宇宙を取り囲んで良い幼児体験である。
 仕事の合間に、水槽を見ながら考える。
 旦那の話から考えると、魚は頭の部分が一番美味しい。言われて見てみると、本当にその通り、元気な頃のヤマトヌマエビの餌にと小魚の日干しを中に入れると、頭だけ食べて残してしまっているのに気が付く。頭を残してしまう人間の食べ方は一番美味しい食べ方では無いのかもしれない。

 金魚は悠々と私の物思いなど関知せず、「えさよこせー・えさよこせー」とばかり顔の側に寄ってきた。結構人なつっこい。水槽の中に指をつっこむと餌だと勘違いしてつっついてきたり、威嚇をしているつもりであるのか、わざとらしく水しぶきを上げてきたりしている。水槽に水草が浮いているのを見て、人が慌てて植えなおしているのを見て、人が困っている事が分かると、何度も水槽の水草を引き抜いては遊び喜んでいるのが目に映る。最後は諦めてぼろぼろになった水草をごみ箱へと捨てた。とにかく悪戯好き。遊び好きなのである。夏も終りに近づき、何度も何度も書いている内に、娘は赤いペンを持って金魚の絵を上手に書けるようになってきた。夏休みが終わった後の先生の顔が楽しみである。

 良い思い出は浄化され、自分の心の糧になり、悪い思い出は、悪い思い出としてそのまま心に残される。当然良い思い出ばかりの方が良いのだけれど、悪い思い出というのも後から考えるとなかなか感慨深い物になるから不思議である。

 更に時が流れる。三ヶ月が経過した。

 水槽購入時に七匹居た金魚も現在は四匹、一番大きくて可愛かったピンポン・パールも死んでしまった。原因は一番元気なキャリコがいじめたからである。金魚がいじめ?と思われたかもしれないが、魚の世界にも当然イジメは存在するのである。
 残念ながら人間の様に社会現象になる程では無いが、一般的には水槽に後から入ってきた金魚が新しく入ってきた金魚を苛める傾向がある。これは鳥も同じで、どう対処したら良いかと言うと、鳥の場合は一度小屋から全ての鳥を出し、全て同時に入れてあげると苛める事は少ないと言われている。なわばり争いというのが一番の原因である。

 その次に上げられる原因が繁殖の為である。鶏の場合は死ぬまで闘い続ける為一つの群には一匹以上雄を入れない方が安全である。実際それを知らないで一つの鶏の群に二匹雄を入れて置いたら、繁殖期にとんでもない物を見ることとなった。羽を飛び散らかし、嘴で体中とにかくつっつきまくる。鳴き声も「ギャーギャー」すさまじく、回りに居るメスは当然の事ながら止めようとはしない。どこ吹く風、といった様子である。何とか二匹を引き離し、一匹を近所の小学校に預けることにしたのだが、それ以後実家の鶏小屋の中にはメスは十匹以上入れても、雄は常に一匹しか入れないようにしている。繁殖期の生き物は鳥だけでなくある意味人間も含めてとにかく非常に危険なのである。

 では真実、ピンポンパールが殺された原因はなわばり争いの為か、繁殖の為、かと考えてみるとやはりこれはなわばり争いの為であったのでは無いかと思う。体も大きく、力もあったパールちゃんではあったが、如何せん毎日悪戯に明け暮れ、騒ぎすぎ、体力を使いすぎて弱ってきてしまったのである。

「ちょっと疲れちゃったかな・・・」

 それを乱暴者のキャリコが見逃すはずも無かった。口で何度もパールちゃんを突っつき、餌を食べさせようとしない。弱って水槽の隅の方に横たわっていても、容赦なくイジメに来る。「隔離させようか・・・」と思った次の日の朝にはピンポン・パールは水面の上に浮かんでいた。あっという間の出来事、しかし等のキャリコは悠々と泳ぎ、朝から元気に餌をついばんでいた。キャリコは元々アメリカ輸出の為の品種であり、気性が荒い種類であるようなのである。金魚繁殖所において購入する際に「元気の良い、飼い易い金魚は無いか」と尋ねた所、

「元気な金魚が良かったら、やっぱりこのキャリコだよ!」

と進められたのも事実である。乱暴者・・・考えてみれば一番最初にヤマトヌマエビを生きたままかじり始めたのはキャリコである。娘はもう乱暴振りに耐えきれず、

「もうキャリコは要らない!ゴミバコに捨てる!」

 子供は大人よりも結構残酷な生き物である。娘の発言に慌てて金魚捕獲用の網は娘の手の届かない場所に隠した。うっかり私の留守中にゴミバコにキャリコを捨てかねないからである。第二第三の虐めの被害者を生まない為にも、早めに隔離用のしきりを早めに購入した方が良いのかもしれない。このしきりは現在使用している水槽の一部を区切る事が出来るものである。しきりには複数の小さな穴があいており、金魚は入る事が出来ない。費用的に安く上がる上に、卵などが生まれた場合にもあれば重宝するかもしれない。

「早めに買っておく事にするわ」

 四ヶ月が経過した。じっと何度も何度も眺めてもどう見ても金魚が異常に成長している気が付いた。今となっては自宅に来た時に正確な重量と寸法を測らなかった事が悔やまれるが、水の中だから膨張して見えると言った点を考慮しても、既に金魚すくいのタモに入るサイズでは無い。
 
「いつからこんなに巨大化してしまったんだ???」

 自宅を訪れる人全てが頭を傾げる。実際に毎日餌をあげている人間が一番不思議に思っているのだが、ふと気になったので実際に使っている沈下型の赤いフレーク餌の内容成分を確認する。フィッシュミール・オートミール・昆虫卵・じゃがいも・鱈の肝臓・・・

「これって、共食いしていたってこと?」

彼らは毎日動物性タンパク質を摂取していたのである。これは大きくなるハズである。近所に住む以前金魚を買っていた人にこうした疑問について話を聞くと、

「昔から言われているのは、まず金魚を大きくしたければ、ミミズとか生餌をあげるといいと言われているのね。指摘は間違っていないと思うけど」

 という。特に繁殖を行う前に生餌を与えると気性が荒くなり、繁殖が上手く行く事が多いとも彼女は言う。更に気になり金魚の生育書などを読んでみると、動物性の餌を与え急速に巨大化させた金魚は概して短命となる傾向があるので注意が必要であると書かれていた。聞いてびっくり、読んでびっくりである。慌てて餌を従来よく使われている、深緑色の小麦色や大豆カスなどから作られた浮上型の餌を買ってきて与えた。そうそう、昔の金魚の餌はこんな色だった。大体赤や黄色の餌など昔はまず見た事が無い・・・しかし金魚は餌を入れても全く見向きもしようとしない。普段であれば餌を入れたとたん、後も見ず大喜びで水面から飛び出してしまうかのような勢いで浮かび上がって来ていたにも関わらずにである。

「えさだよー食べていいよー」

 トントントンと水槽を叩いて餌の存在をアピールするが反応無し、結局植物性の餌は三日で打ちきりとなった。理由としては金魚が全く食べず水が汚れるばかりであったからである。食べないのなら仕方が無い、と元の動物性タンパク質を多く含んだ餌に変えたとたん、金魚は目の色を変えて餌に飛びついてきた。巨大化した金魚。原因は餌にあったのである。先だって牛に牛の骨を食べさせ、BSE(狂牛病)が全世界で広がり、大パニックが発生したが、これもまた共食いと言う禁忌を犯す事により、効率よく牛の体を太らせると共に、乳の出を良くすると言う目的を持っていた事に他ならない。気に食わない仲間の金魚を容赦無く殺してしまう気性の荒さも、もしかしたら餌が大きな原因になっているのかもしれない。
 
 「肉がそんなに美味しいかね」

 金魚よりも初心者向けの淡水魚として、メダカが居るが、これは成魚となっても共食いをする種類である事はあまり知られていない。生まれたばかりの稚魚は勿論の事、自分よりも体の小さいメダカを集団で容赦なく食い散らかす。かくして糸のようなメダカの体は小型の鮒のような丸いボールのような体型となり、更にメダカを食い散らかしていく事となる。唯一メダカであるなと分かるのは体色が黄色であると言った点だけであろうか。自然界において”肉食”を行うと言うのはそれ程タブーでは無いのだが、現実問題としてその効果を目の当たりにすると、その効果の恐ろしさに身震いをしてしまうのも事実である。

 五ヶ月目。急に用事が出来、家族全員で数日家をあける事になった為、水槽には五日間ゆっくりと溶け続けると言う餌のタブレットを入れておくことにした。噂では一日一回決まった時間に規定の餌を水槽に落としてくれると言う自動餌上げ機も存在するそうだが、近所の大型ペットショップにおいて発見することは出来なかった。
 出かける間際、忘れる前に、水槽に五十円玉程のタブレットをポトンと落とす。心配なのでしばらく見つめていると確かに少しずつ解けて白い煙が上がってきた。どうやらこれが餌の様である。

「君達、こんな物を食べてやっていけるのかい?」

 やってもらわなくては困るのだが。体にも大分脂肪が付いているから、数日食べなくても十分やっていけるような気がする。独身時代飼っていたグッピーは数日留守にしただけであっという間に全滅してしまった。急に餌が変わった事に対応しきれなかったようなのである。熱帯魚に対して金魚はこうした環境への順応性は高いのだろうか? 低いのだろうか?
 かくして数日後帰宅した時、かつての全滅した水槽を思い出し、やはり実家に水槽を預ければ良かっかもしれない・・・と後悔をしながら水槽の置いてある部屋の扉を開けた。嫌な匂いはしない。生きている。生きている!
 
「やったー無事だ!」

 タブレットはまだ溶けきらず、水槽の片隅に小さな塊のまま小さな煙を上げていた。旅行に出る前までは人間が水槽に近づくと餌を求めて我先にと近寄ってきたものだが、そうした積極性が無くなってしまっている。どうしたのだろう。と心配になり、大好物の餌を少し水槽に入れたとたん、金魚たちの動きが一変した。バシャバシャと大きな音を立てて、水面近くに群がってくる。どうやら人間と一緒に住んでいた事をすっかり忘れてしまっていたようである。

「ただいまー今日から元の状態に戻るからね。安心して」
 
 正直気性が優しいままであるのなら、タブレットの方が良いのだが、金魚たちにその気は無い様である。タブレットはいつしか排水溝の近くにまで追いやられ、ごみと同じような扱いにされてしまっていた。

「やれやれ」

 金魚たちは小さな口を使って、まめに細かい砂をいじり自分達の好みに水槽の中を整地する。水槽の水を交換した際、最初の頃は人間の手で綺麗に平らにしていたのだが、砂が飛び散ったままで置いていても、金魚たちは自力できちんと砂を整頓する事が分かったため、最近は砂に穴をあけたら、そのままで置いておく。おそらくは砂を口で運びながら運良く餌でも無いだろうかと考えているのでは無いかと思うのだが、良く観察していると、結構まめな生き物である事が分かる。

 季節は秋を通り抜け、冬に辿り付いた。
 水温が大分低くなってきたため、水槽の中にヒーターを入れる事にした。これさえ入れておけば、水槽の中は冬でもぽかぽか一定の温度に保たれる。魚のヒーターは人間のコタツなどとは違い赤い光などは放たない。そのまま白いガラス管が見えるのみである。そのまま外から見るとついているのだか、いないのだか判別が全くつかない。

「うーん。役に立っているのかしら?」

 しかし外気がかなり下がる夜になると、普段仲の悪い金魚たちであっても、自然とヒーターの側に集まり始めた。どうやら人の目には分からなくても金魚達にとっては十分役にたっているようである。
 この魚用のヒーターはかつての阪神大震災において、停電が回復した際、割れた水槽から落ちたヒーターから発熱し、二次災害として火災を発生させると言う事故が多数起こった。通常ヒーターは一定の温度となった際自動停止し温度を保つ物だが、それが下に落ちカーペットなどの媒体に辺り温度の制御がつかなくなった事が原因ではあるが、地震など不測の事態が発生した場合は冷静にブレーカーを落として非難を行えば、例え通電が再開されても二次災害が起こる可能性は低いが、そうでない場合はやはり注意が必要であると共に、必要が無い季節は自動的に止まると分かってはいても早々に撤去を行った方が無難である事が分かる。ペットショップなどでは、昨年使ったヒーターを今年又使わないようにと指導を行い、こうした二次災害についての対策を推進しているようである。

「寒いよー」

 冬の日の見ず変えはこれまた大仕事である。とにかく天気の良い日に水を外に出し、太陽の光を出来るだけ当て、温度を上げると共に水の中にたくさんの酸素を含ませるようにする。カルキヌキと呼ばれる薬剤を使用し、魚に適した水を作る事も可能であるのだが、こうしたカルキヌキ剤は現在外国製の物が多く日本の水にとっては少々強い傾向がある為、やはり自然の力を借りて水を作った方が有効なのである。
 水槽の中の砂利を洗い、水を交換する。その日はとにかく汚れが酷かった事と水替えの回数を減らそうと欲をかき、思い切って水を全て交換した事が後で大問題となった。夏の間に何度か全交換をした時も大丈夫だったからと、季節を忘れ安易に納得し、綺麗になった水槽の中に金魚たちを移し変えたとたん。金魚たちが全く動かなくなってしまったのである。

「え? 何か大失敗しちゃった?」
 
 全く動かないならまだしも、唯一の温源であるヒーターに寄りかかり体を斜め四十五度に傾けてしまった金魚まで存在する。ぬれて温度感覚が無くなって来てしまっている手を水の中に入れる。確かにいつもより少々冷たすぎたかもしれない。

「ここまで頑張ったのに、全滅してしまうの? それだけは嫌だ!」

 金魚の不調を聞きつけ、すっかり興味を失っていた娘も久しぶりに水槽の前へとやってきた。「死んでしまうの?」「大丈夫なの?」とかなり不安げである。水槽の温度は早々簡単に上がらない。目に見えて金魚たちの動きが弱弱しくなっていく。まずい。これは絶対にまずいかもしれない。

「今夜が山になるかもしれないぞ。覚悟しておけ」
「え、それって?」
「何匹かは死んでしまうかもしれないぞ」

 深刻な旦那の言葉を余所に、翌朝慌てて水槽を見ると金魚たちは全く元の姿で泳ぎ回っていた。どうやら何とか危機は脱した様である。以前人間を冷凍し長期冬眠を行う手法の説明として金魚を製氷機で凍らせ、後日解凍しても無事生き返るといった物を紹介していたものを見た事があるが、案外金魚はこうした温度差に強い生物であるのかもしれない。

「とにかくよかった。今週も頑張って行きましょう!」

 今日もまた朝起きてまず最初に金魚に餌をあげる。
 変わらぬ単純ないつもの生活がこうして始まる。これはこれで楽しい習慣であるなとしみじみと感じる様になった。金魚の居る生活。それは平穏で単純な生活を時には意味不明にかき乱してくれる楽しいパズルの一つの部品であるのかもしれません。

「さ、今日も仲良く行きましょう」

[完]

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