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二人目という心理

 三年前の三月に娘を産んだ。
 産まれて初めて抱いた赤ん坊が自分の子供であると言う状態から、よくもまあここまで無事育ってくれたものだ。娘は既に日本語を話し、トイレに一人で行き、幼稚園へと通っている。夜のオモラシは時々は失敗があるものの、既に赤ちゃんと言う名称でよぶには相応しく無く、外に出ればしっかり子供料金のかかる歴とした子供である。

 私自身四人兄弟の長女として育ったせいか、一人子というのが一体どんな育ち方をするのか想像だにしなかったが、最近の娘の行動を見ていると、つくづく”我が儘”であるなと思う。一人で食べられるのにも関わらず、旦那の膝の上に座り口へと箸を運んで貰い、外に出れば歩けるのに抱っこをしてもらい、ちょっと歩いたかと思うと”疲れた”といって座り込んでしまう。こんな傍若無人な行動が許されるのは、家庭の中で自分が一番中心に居ると信じて疑わないからであろう。私が必死に自立を促そうとしても、聞く気配さえ無いときがある。このままではいけない。私は本能的にそう思った。

「子供はやはり一人では駄目」

 生活自体も大分落ち着いてきた。何をして良いのか分からなかった頃と違い、今はすっかり落ち着居てきている。両親も娘の成長する姿を見ては目を細めている。旦那に至っては目に入れても痛くないどころか、いつまでも入れておきたいと言う状態である。両者ともなかなか口には出さないが、一番欲しい物は一緒であった。

「智子ちゃん、そろそろ手も空いてきたし二人目を考えないといけませんよ」

 父は心遣いなどが全く無い人間なので、思ったことを 思った通りすぐ言ってしまう。三年前子供を産んだ時、「もう二度と子供は生まない」という言葉に父は「中国の一人っ子政策だと思って諦めよう」と納得してくれたはずが、ここ数年は顔を見るたびに五月蠅い。母はと言うと全く口に出さない、と思ったが最近、「二人目を作ろうかと言う話が出て居るんだけど」と言う話をすると、表情が和らぎ、こう言った。

「二人目を産んだら、智子ちゃんの欲しがっていた桜の茶道具あげるわよ」

 これは数年前から、母が死んだら私に頂戴とねだっている伝統工芸品の事である。これは風が変わった、と隣にいた娘に「でも二人目できちゃったら、貰えるプリンの量が半分になってしまうから、やめておきましょうね」と言うと母は間髪入れず「二つ買って上げる。みきちゃん大丈夫だから」と続ける。旦那に「そろそろ産んでもいいかなー」と冗談ごしに言うと、目尻を下に下げ誰よりも喜んでくれた。一番欲しかったのはどうやら旦那であるようで、形のある言葉にはしないものの、私を見る目が急に一段も二段も優しくなったような気がする。

「次は男の子がいいなあ。女の子でもいいけど」

 年子で産んで後楽しようと計算した人はもう既に二人目を産み、既に三人目に突入している家庭もある。しかし年子ではなく、ある程度上の子との年齢を離して”余裕を持って”出産に望むという理論派も存在する。丁度子供が幼稚園に行き始めて、手があいたので次の子を・・・と考える。その辺の心理について理解できないでいると、近所のある人はこう答えた。

「やっぱりね、家に一日一人で家にいると、やはり寂しいのよ。池田さんは仕事をしているから分からないかもしれない」

 子供が家に居ないのはおそらく五時間から八時間程度の間だけである。娘が幼稚園に行き始めの頃は確かに寂しかった様な気もするが、今となっては居ないことに慣れてしまい、全くそういう気持になることは無い。逆に年子で三人目が出来てしまい、経済的な理由により堕胎すると言うケースも存在する。当然子供を産めば遡って通院費用、出産費用、等々が発生する。特に若い世代のママさん達は大変である。

 さて、結果はどうなるか。先月も生理はしっかりとやって来たので、お腹の中に二人目の子供は居ないはずである。残念。一人目を産んだ時の感想として、私はよく人にこう言ったものである。

「一人目を産んでも人生なんて何も変わらなかったよ。私はしっかり元の仕事に戻って人生をより楽しく生きている」

 二人目を産んだ後も胸を張ってこう言いたい。
 さて結果はどうなるか、それは私もまだ知らない。

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