正しい乳歯の処理方法

 現在五歳の娘には一つの悩みがあった。
 それは「歯」が抜けない事であった。

「何でみきだけ抜けないんだろう……絶対これ変だよ」

 衝動を押さえきれず、まだ動かぬ乳歯を無理矢理動かし抜こうとする娘。止める迄も無く歯は抜けない所かグラリとさえも動かない。

 そう言われてみれば幼稚園から小学生に替わる丁度その頃に前歯の乳歯が抜け、象牙色に輝く永久歯が生えてくる時期なのである。道々で出会う幼稚園で会う子供達は、抜けてしまった歯茎を誇らしげに見せびらかす。「僕ね、痛かったけどがんばったんだよ!」「へえ凄いねえ!」この時期の子供は本当にちょっと誉められただけで飛び上がるように喜びだす。

「でもみきちゃんはまだなんだよね。変なのー」

 君、余計なことを言わない。
 かくして娘のノイローゼは徐々に進行し、一日何度も歯を触り抜けないかどうかを確認するようになった。

「歯が抜けないなんて、大変な事になってしまうのかも!」

 実際娘の永久歯は既に二本生えているのだが、本人に説明してもそれは分かって貰えない。どうしても子供達は歯が抜ける前歯から永久歯が生えてくるのだと信じているのだが、それは不正解で実際は奥歯の乳歯が無い部分に永久歯が生えた後前歯が抜け永久歯が生えてくるのだ。現在子供の食生活が変わり乳歯の虫歯が増え、「永久歯に生え変わるから……放っておいてもいいわ……」と虫歯を延々と放置する親が増えて居ると言う。

「小学生になる時の検診時で一割程度の方が虫歯を放置しているのが見られます。くれぐれも早期治療をお願い致します」

 実際問題、見た目は単純入れ替え交換しているように見えるが、乳歯の虫歯に付いたミュータンス菌は今正に歯肉の中で成長している永久歯にも多大な影響を与えると言う。例え乳歯であろうと虫歯は早期に治療をしなければ、一生涯虫歯になり易い歯質になってしまうのだと専門医は言う。かく言う娘も乳歯に虫歯を一つ作ってしまった口だが、これは発見後即治療をし現在は完治している。

「心配ないよみき。永久歯ってのは結局母親の身体に居た時と幼児期の栄養が関係するんだから。ママちゃんとみきたんに骨の魚食べさせてたから問題無いよ」
「だって……だって……」

 一言二言説明した程度では納得してくれない。
 笑い話ではなくて、母親がカルシウムの少ないインスタント系の食事を与えつづけた結果、乳歯が永久歯に五本以上生え変わらない子供も決して珍しくは無いのだ。娘のノイローゼを解くにはどうしたらいいのだろうか。奏効して私は一計を案じ夜寝る前の娘にこう呟いた。

「みきたん。歯が抜けたらどうするか知ってる?」
「知らない」
「下の歯は上に投げて、上の歯は下に投げるって方法もあるんだけどね、アメリカでは歯を枕の下に入れておくんだって。そうすると。なんと、なんと」
「ママ! どうなるの!」
「朝起きた時に歯はなんとキラキラのお金に変身してるんだって! みきたんはどうする? 歯が抜けたら外に投げる? それとも」
「枕に入れる!」

 これは良い話を聞いた! と目をキラキラ輝かせる娘。こうした態度からも私の守銭奴の血が紛れも無く娘に受け継がれている事が態度からも良く分かる。しかし、その日は中々眠れなかったらしく、夜何度も仕事をする私の元に

「歯が抜けてもママにはあげないからね! キラキラのお金は私だけの物よ!」
「その日は枕を三ケ置いて、どこに歯を入れたか分からないようにするんだから!」
「絶対お金取っちゃ駄目だからね! 取ったらみき角出して怒るからね。あたしは虎年生まれで怖い娘なんだから!」

 いいから寝なさい。と言いたい。
 作戦は失敗だったのだろうか。しかし昨今乳歯に対する社会事情は悪くなるばかりなのを知っているだろうか。古来よりの風習により歯を投げようとしても、田舎の一軒家などでは問題無いが、現在都心ではマンションやアパートなど軒下が無い家、上に投げてもマンションの廊下に落ちるだけの家が増えている為投げても直ぐ戻って来てしまうのだ。親としては子供に昔からの「良い歯を生やす為」の習慣をやらせてあげたいのだが、気持だけで結局出来ない家が増えていると言う。

 実際どうしても投げるたい人は自宅マンション等ではなく、近所のお寺に出かけその屋根に向って投げたり床下に投げたりする。お寺でもそうした事情での利用は大歓迎であるらしく、一報あればそうした行為を咎める事は無いと言う。

「歯を投げるって何だか勿体無い気がしない? 今は乳歯をしまっておく箱なんかもあるのよ」
「専用箱ですか!」

 臍の緒を仕舞う桐の箱と同じような仕様のその箱は何とも愛らしく、ちょこんと一本置かれた乳歯がその子の成長の具合を言い表しているような気がした。

「池田さんの所はどうするんですか?」
「投げて欲しいと思いますけど……余計な事教えてしまったので駄目だと思います」

 娘の歯はまだ抜けない。
 とりあえず現在は抜けない事よりも抜けた後の歯をどうやって私から守るかに頭が行ってしまっているらしく、人前で口の中に指を突っ込む事は無くなった。

「ママには絶対あげないんだから!」

 別にいらないわよ。でもどこの枕に入れたか教えてくれないと、お金を入れられないじゃない! と思いつつ。
 正しい乳歯の処理方法。あなたはどこまで知っていましたか?