女三十代ノ戯言ナリキ

 突然、裏に住む、近所のおばあちゃんが亡くなった。

 「おばあちゃん」とは言っても実際の関係は赤の他人で、たまたま今年運悪く、自治会の役員をしていたので、毎月書類などを持ちその家を訪れては話をする機会があった。と言うだけの本当に薄い縁の、名前さえも良く覚えていない関係のおばあちゃんだった。

 高台の古い一軒家なのだけれど庭が惚れ惚れとする程丁寧に管理されており、花好きの私としては他人の家ながらも毎回訪れる度に「是非一度ゆっくり見せて貰えたら」と思うようになっていた。

 しかし「オレオレ」詐欺など、一人暮らしの老人を狙った犯罪が多い中、全く繋がりの無い私がうっかり声をかけなどしたらある意味疑われる? 又は不愉快に思われる可能性があるのでは無いだろうか。かくして私はおばあちゃんが亡くなるその日に至るまで、個人的な会話を一切する事無く、終ってしまった。

 ただ、唯一私の気持ちを込めて言ったのは

「庭が素敵ですねえ」

 と言う本当に当り障りの無い言葉だけだった。

 剪定され綺麗に実りを付け始めた柿の木や、憂いを含んだアジサイなど、庭を歩きながらそっと眺めているだけで、その家に住む住人の心優しさが見えるようだった。今は菓子や甘い物が安く簡単に手に入るので柿の木を家に植えていても全く関知せずそのままにしている人が多い。しかしそれでは美味しい柿を作る事は出来ない。放置された柿の木は実がめくらめっぽう出来てしまい小さく、不味い柿しか出来ないのだ。

 美味しい柿を作るには夏の実がつき始める段階から、枝打ちをし、木全体を綺麗に整えなければならない。近所に住むある他のおばあちゃんが

「遊びにいらっしゃいよ」

 と何度も声をかけてきた事があったが、私はありきたりの作り笑顔を作るだけで、足を向ける事は無かった。自分でもその理由としては良く分らない。ただ毎日公園で相手を変え四方山話に興じるそのおばあちゃんに然程興味を感じなかった事、普段合間に交わす会話にも興味のある話題が無かった事があるのかもしれない。

 近所の人は

「お年よりの相手をしてあげるのも大切な事よ」
「ちょっと顔出してあげたら?」

 と公園の前に住み子育てに明け暮れる私に何度も遊びに行く事を勧めてくれたが、諸事意味不明に忙しい私は、一顧だに相手にする事は無かった。

「自分自身が忙しくて、とても他の人の話し相手になる時間は……」

 でもあのおばあちゃんに対しては違った。
 何とか会話の機会を掴みたい。出来ればあの素敵な庭を一緒に歩けたなら、どれだけ楽しいだろか。と勝手ながらもずっとそう思っていた。

 そしてある日良いアイデアが浮かんだ。そうだ。あの庭の柿が実ったならば、娘と共に少し分けてくれるようお願いしに行こう。今時柿の一つや二つ分けてくれと言って断る人も居ないだろうし、半年以上訪問を続けた上だから、きっと違和感も無いだろう。一人そう心に決めていたのだが、突然の訃報に、それは実現不可能な夢となってしまった。

 縁が薄かったせいか、お葬式の日になっても、涙や悲しみは思いの他少ない。
 管理人を無くしたあの庭は、もう荒れ汚れる運命を、受け入れるしか無くなってしまうのだろうか。ある意味植物の生と言うのは人の何倍も長い。亡くなったおばあちゃんの家の前を通るたび、いけないとは思っていても私はため息をつくことを禁じえなかった。

「お前老けたなあ」

 おばあちゃんが亡くなって数ヵ月後、お盆の時期に実家に行った時、唐突に二歳年上の兄に冷たくそう言われた事があった。頭から雷が通り抜け、お尻の辺りから抜けたような衝撃が走る。それはまあ。二人も赤ちゃん産めばそうなるでしょうよ。認めたく無い事だが、確かに二人目を産んで老けたと思う。しかし兄はと言うと今もまた独身貴族を満喫し、趣味に遊びに明け暮れており出産を機に老けてしまう人間を見る機会はおそらくあまり無いのだろう。

「当たり前でしょ。三十過ぎて子供産んだんだから。 二十代で産むのとは訳が違うわよ!」

 強がって返事をしてみたが、落ち込みが抜ける事は無かった。
 自宅に戻った後、母が気にして「気にしないのよ」と電話をしてきてくれたが「大丈夫」と言うオウム返しのような返事をする事が出来ても、頭の中は真っ暗のまま、情けないながらも半鬱病状態になってしまった。

 確かに。手間がかからない。手間がかからないとは言っても子供が二人になってから
体力はしっかり二倍かかる。泣き叫ぶ赤ちゃん。「遊んでくれない!」と騒ぎつづける年長の娘。ここの所は腰の痛みが全く引かず、目の下には受験勉強以来の隈が黒く深く刻まれていた。何度も気にはしていたのだけれど、子供の世話に日々追われて、考えてみたら自分の身体を労る事を忘れてしまっていたような気がする。

 言われた翌日はとりあえず顔をパックし、簡単にケアはしたけれど、疲労し酷使された目の周りの調子はそう簡単に良くなる気配を見せる事は無かった。

「ママ! 何つけてるの! あたしもやりたい!」

 日本人女性のお肌の曲がり角は恐らく三十代では無いかと思う。
 三十代過ぎたなら、どうしても人一倍お手入れをしなければどうにもならなくなって来る。しかし、必死にメンテナンスに明け暮れる内に、ただぼーっと老けるのと疲れた気力のない顔とは違うのでは無いか、と思うようになった。顔や体は徐々に老いて行っても、もし生き生きとした顔つきで居るならば、それはそれで忌まわしい、悪い事ばかりでは無いのではないだろうか。

「あるがままを、素直に受け入れる」

 これは日本的な考えであるのかもしれない。
 夏の祭りの日、外をボーっと眺めていると一番浴衣が素敵に似合っていたのは、年配のどちらかと言うとふくよかな四人の子供を持ち、仕事に家事に忙しく明け暮れる五十代の女性だった。軽くしなを作りながら踊るその姿は二十代のガリガリ体型の女性が到底おっつかない女性の魅力を醸し出し、「私も来年は浴衣を着て踊りたいな」と自然に思ってしまうような、同性から見て何とも魅力的に感じてしまった。

「みんなが通る道だから、いつまでも二十代のつもりでその頃と比較して悩むのは止めましょうね」

 私の一人思いを諌めるように年配の友人はさりげなくこう呟いた。

 美しく老いると言う事。人が見て見っとも無いと思うような年を取らない事。
 一つ思うに、二十代と三十代以降では美の基準が違うのだ。

 年を取るに連れて、みかけだけの美しさだけで無く内面の美しさ、そして数十年後の自分の姿を思い描かなければならないとは、若い頃は想像もつかなかった。今私は娘や赤ちゃんにとって尊敬に値するような人間だろうか? 裏で笑われては居ないだろうか? もし望めるのであれば、裏に住んでいたおばあちゃんのように。私もただ立っているだけで声をかけたくなるような人間になれたらいいなと思う。楽しい三十代生活へ。

 それはまだ始まったばかりなのだから。